日本プロゴルフ選手権最終日から一夜明けた5月20日。

外国特派員協会主催の松山英樹記者会見に出席しました。


松山選手の話を聞いていて思ったのは、


彼はやはり大物だ


ということ。



ジャンボ尾崎の登場と重なる、という記事をDaily NEW BORDER  に書いたけれども、



もしかすると、日本のゴルフの歴史を変えるかもしれません。



松山「オーガスタは難しいコースだと思っていたけど、行ってみたらたいしたことなかった」



いいですね。


自分の中で難しいというイメージを作り上げてしまった、と言っていましたが、


難しいと思ってしまえば絶対に勝てないわけで、


もしかすると、もしかします。



質疑応答で私は、



「コーチをつけることに関してはどう考えていますか?」


と質問したのだけれども、



「アメリカで戦うためには絶対にコーチは必要だと思っています」という返事。




裏を返せば、




日本のレベルじゃコーチは要らない、ということになるけれども、


残念ながら事実だし、


彼には早くアメリカに渡って欲しいと思いました。



ビッグマウス 好きです。頼もしい。






いまから15年ほど前に、ゴルフトゥデイをやめてフリーになった私でしたが、

その後のあてもなく、これからどうやって食べていこうかと、半ば露頭に迷っていたのです。


実は本の出版が決まっていたのですが、

ちょっと事情があって、その出版を自分でとりやめてしまいました。


当時娘がまだ乳飲み子でしたから、 文字通り、ミルク代を稼がなければいけなかったのですが、

それまでの忙しさの反動から、しばらく何も手につかないという、モラトリアム状態。


自分の文章が下手だということも自覚していたので、


とにかく文章に磨きをかけなくてはならないと、家にこもって習作を書いたりしていましたね。





まあ、はっきりいって、プチ引きこもりだったわけです。





そんなときに、声をかけてくれたのが深堀圭一郎プロでした。



当時のゴルフトゥデイには「プロファイル」というドキュメンタリーのページがあったのですが、

依頼を受けた深堀プロが私に書いてもらいたい、と編集者に言ってくれたのです。





それを知ったときはうれしかったですね。




自分はこのまま沈んでいってしまうのではないかという不安の中に差し込んだ、一筋の光でした。



必死に書きました。


そういう心意気を持っている深堀プロの良さを読者に伝えたい、という想いとともに。




だからいまでも、私が人について書くときは、その人の良さが伝わるよう、全力を尽くします。





そしてもうひとり、私を救ってくれたのが、


先に独立していたフリーライターの山田誠さん。



プチ引きこもりになって3か月後ぐらいだったでしょうか、


「小林さん、最近何してるんですか?」



と連絡をくれたときは嬉しかったなあ。



山田さんがそのとき紹介してくれた週刊パーゴルフの仕事がきっかけで、ポツポツと仕事が来るようになり、私は自殺しなくて済みました。





大げさかもしれないけど、そのときの気持ちをリアルには思い出せないけど、


当時の私はそこまで追い込まれていたような気がします。








だから、お返しをしなくちゃいけないと思いますよね。























昨日はお昼から中井学プロと鶴舞カントリー倶楽部で対談の仕事でした。






その前もインターネットの生放送で中井プロと一緒で、ほぼ1日一緒に過ごしたことになります。






思えば約10年前、まだ中井プロを誰も知らない頃、新幹線から近鉄特急に乗り換えて奈良のゴルフ練習場まで会いにいったのが知り合うきっかけでした。当時中井プロが教えていたすし石垣プロの「奈良に凄いコーチがいるんですよ」という言葉だけが頼りで、なんの予備知識もなく、とにかく行ってみようと東京駅を発ったわけです。






中井プロのいた練習場は交通の便があまりよくない場所で、寂れた駅前にはタクシーもいなかったので、田んぼの間の道をトボトボと歩いて練習場に向かったことをよく覚えています。






いまよりもややスリムだった中井プロは取材に一生懸命答えてくれたし、内容も的確。なによりもお手本として打って見せてくれたスイングと弾道を見た瞬間「これはホンモノだ」と思いました。






一人で会いに行ったので撮影も自分でやったのですが、カメラを向けると、どうしても笑顔がこわばってしまう中井プロ。そのとき私は「これから撮られることも増えるでしょうから、いずれ慣れますよ」と言ったらしいです。自分では覚えていないのですが、中井プロは印象的だったみたいで、昨日そのことを教えてくれました。






私は半ば無理やり中井プロをメディアに登場させたのですが、その後、中井プロは持ち前の実力を発揮し、ゴルフメディアに登場することが多くなりました。そうなったら私が出る幕もないだろうと思って、活躍を嬉しく思いつつ陰ながら応援していたのですが、一月ほど前、Tポイントレディスのネット中継で久しぶりに会ったのです。






そのとき二人でしみじみ語ったのは、「まさかあのとき、こういう形で仕事ができる日が来るとは夢にも思いませんでしたよね」ということです。






中井プロが「自分を見つけてくれた」と感謝してくれているのは、人づてに聞いていたのですが、再び一緒に仕事ができることをこんなに喜んでくれるとは思いませんでした。






私は中井プロが表舞台に出ていく人だろうと思っていましたが、最近私も担ぎ出されることが多くなり、そのおかげで二人でメディアに出るという、なんともありがたいシチュエーションが実現したわけです。






少し前に、自分は人前に出る星のもとには生まれていないことを悟った私ですが、そう思い始めたらお呼びがかかるようになったという……人生というのは本当に不思議なものです。断るのも生意気ですし、ゴルフジャーナリストが署名原稿を書くというスタイルを日本で定着させたい、という気持ちもあるのでありがたくお受けしていますが、やっぱり何か、不思議です。






ただ、自分の考えを述べることができるのは貴重ですし、中井プロと全開で喋ることができたのは物凄く楽しかったですね。「いいね!」をたくさんいただいたスティーブの件にしても、中井プロは同じことを思っていましたし、昨日のテーマであった井上誠一氏の設計についても、こちらの意図やニュアンスをすべて理解してもらえるので、嬉しさのあまり、喋り過ぎてしまいました。






この仕事を長くやっていると、こういう嬉しい瞬間がある、という話でした。