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2週間の海外取材から戻りました。
ロスに入り、サンディエゴへ。
世界ジュニアを観戦した後、スコットランドに飛び、ミュアフィールドでの松山英樹選手の奮闘を頭に刻んだ後、世界ベスト100コースをプレーして帰ってきました。
今回プレーしたのは、
1日目 Castle Stuart Golf Links
2日目 Cruden Bay Golf Club
3日目 ROYAL ABERDEEN GOLF LINKS
4日目 Carnoustie Golf Links
5日目 KINGSBARMS GOLF LINKS
リンクスを代表するような5コースですが、
それぞれに味わいがあって、甲乙つけがたいですね。
ただ、やはり本場のリンクスコースでのプレーは私のゴルフ観を根本から変えたように思います。
最も強く思ったのは、ショットとパッティングを分けて考えるべきではない、ということでしょうか。
2オン2パットとか、3オン1パットとか、グリーンに乗せるまでと、乗せてからのプレーを分けて考えるようにこちらのコースは作られていません。
グリーンの手前がラフでガードされているホールはほぼなかったし、手前から攻めれば、アプローチはパターで転がしていけるのです。
つまり、ティグラウンドからグリーンのようなものなのです。ホール全体が1つのグリーンで、その中にバンカーがあり、フェスキューのラフがある、そう考えるととてもシンプルです。
必要がなければ転がしていけばいいし、バンカーやラフという障害があれば、そこだけボールを浮かして飛び越してあげればいい。そういうプレーがゴルフの原点ではないかと思いました。
最終日のKINGSBARNS。ドライバーを振ったのは90ホール中3ホールだけです。
その昔、ゴルフパートナーが店内配布している冊子『Com.』を編集していたのだけれども、さっきバックナンバーをパラパラとめくっていたら、マンガ家のエリオット後藤氏が描いた4コマ漫画が目に付いた。
エリオットが亡くなったのはいつだっただろう。
たしか冬ではなかったはずだ。今頃だっただろうか。記憶は定かではない。
2年前? いや、3年前か?
日本文芸社のM編集長から連絡をもらったときは、信じられなかった。
マンガ家さんや原作者はよく集まって遊んでいるのだが、私やエリオットは若いほうだった。
だから誰かが亡くなったと聞いたとき、まさかエリオットだとは思わなかった。
「エリオットさんが亡くなったんですよ」
「まさか」
しかしMさんは、「そのまさかなんですよ…」という。
それからのことはよく覚えていないけれども、とにかく私は数日後、千葉で行われたお通夜にいた。
QPちゃんこと関プロが泣きじゃくっていたのをよく覚えている。
私とエリオットの付き合いは長い。
15年ぐらい前だっただろうか。増田哲仁プロのレッスン漫画の連載を始めるにあたって、マンガ家さんを誰にしようかという話を編集部の人としたとき、私が推薦したのがエリオットだった。
たしかそのとき、クラブを紹介するマンガを描いていたと思う。
絵はあまり上手ではなかったけれど、話の持って行き方が上手かったので、読みやすかったのだ。
クラブの描写が正確で、「きっとこの人ギアが大好きなんだろうな」というのが伝わってきた。
ゴルフも上手だという。
そういうわけで、『ゴルフ未来研究所』という作品をエリオットと一緒に始めたわけです。
この作品は、増田哲仁、雄二という天才兄弟のエッセンスを、私が演出し、エリオットがマンガにした、というような意味合いの作品。
日ハムの2軍に取材にいったり、ベン・ホーガンやボビー・ジョーンズなど、伝説のプレーヤーについて細かく調べたりして、ふたりの理論に肉付けをした。
ツイスト打法について、しつこく書いたりもしました。
いってみれば、全員がいいところを出し合ったような形になり、連載は人気を博し、ムック本はかなりの数売れたようだ。
とにかくエリオットは寡黙な人で、余計なことをほとんどしゃべらない。
それでいて、飲んでいる場にはニコニコしながら参加しているという不思議なキャラ。
一度も悪口のような発言を聞いたことがないから、優しい人間だったんだと思う。
で4コマなんだけれども、レッドベターの発言をネタにしているもので、いま読んでみると、アンテナ張り巡らせてゴルフの情報をいっぱい持っていたんだろうし、理解も深かったのだろうなあ、と思うのです。
こういう引き出しの多さが、作品に奥行きを出していたんだなあ、とつぐづく思います。
惜しい人を亡くしたものです。
