言葉が通じない人とのコミュニケーション3 〜会話=面倒臭い な、人たち〜 | レスキュー女子es番外 『料理でコーチング』

SNSの弊害

 

 

あることがきっかけで、コミュニケーションを諦めざるを得なかった人はたくさんいると思います。

 

でも、

 

そうではなくて、自分では全く気づいてないのに、

 

いつのまにか、

 

コミュニケーションを諦めた人になってしまっていたとしたら、

どう思いますか?

 

 

 

そのきっかけにSNSが大いに関係していると、わたしは思います。

 

 

 

 

いまさらSNSの責任を論じても仕方のないことなのかもしれませんが、

 

SNSは、バーチャルの世界である。

 

 

と、いうことを今一度、意識していただきたいと思うのです。

 

 

 

ラインでの会話があなたと友達の関係を語る上での真実の全てではない。

 

ツイッターのつぶやきから得られる情報は、ほんの、ほんの一部に過ぎないのであって、

 

Facebookの「いいね!」が、あなたの評価の全てではない。

 

ブログは、あくまで身近な読み物であって、

 

メルマガに書かれていることがあなたを正解に導くとは限らない。

 

ネットワークから得られるニュースが真実とは限らないのだし、

 

炎上したからと言って、凄まじい数の人々が攻撃をしているわけではない。

 

これらは全て、携帯電話や、タブレット端末やパソコン上に現れる言葉に過ぎない。

 

 

 

 

SNSは、必要な情報を得るための一次的な手段であって、最初から最後までSNSで完結してはならないと思うのです。

 

 

 

 

「いや、あなたのようなおじさんに改めて言われなくても、わかってますけど」

 

 

いやいやいや〜!

 

わかってない!

 

 

 

わかっていたら、どうして朝から晩まで、移動中の電車の中でも一人ランチの間も、バーで一人のみの最中も、それこそ大勢での飲み会でも、運転中も(言語道断)、テレビを見ている最中も、恋人とのディナーの最中ですら、どうしてそこまであの小さな画面に目が釘付けになっているのですか?

 

 

 

 

例えば、

 

結構混んだ電車で隣り合った同士、肩と肩がぶつかったとしましょう。

 

あなたも相手も携帯電話の液晶画面とにらめっこしたまま。

 

 

数年前だったら、

 

「人の肩にぶつかっておいて、知らんぷりってどういう神経してんだ!?」

 

と、憤っていたはずなのに、今では、なんとも思わないんじゃありませんか?

 

 

 

どうですか?

 

 

「あ、すみません」

と、声をかけたこと、かけられたこと、最近ありますか?

 

 

 

スマホが現れる以前の自分の行動を思い出しだください。

 

同じような状況の時、

 

「あ、すみません」

 

「あ、いえ、大丈夫です」

 

お互いにきちんと目を見て言葉を交わしていませんでしたか?

 

 

もう、そんな遠い昔のことは忘れましたか?

 

 

ぼーっと車窓を眺めるなんてこと、今でもやってますか?

 

 

眺めながら、人はいろんなことを考えます。

 

 

仕事の合間、読書の合間、歩きながら、人はいろんなことを考えます。

 

 

 

 

 

今のあなたはぼんやり何かを考えていますか?

 

 

 

 

 

私の周りにも気がつけば、携帯の画面とにらめっこをしている人ばかりです。

 

「いつもそんなに何を見てるの?」

 

「ほとんどネットサーフィンですね」

 

「調べ物」

 

みなさん、そう言います。

 

 

 

そんないつも携帯を睨んでいる人たちを見ていると私には浮かんでくる映像があります。

 

 

 

手にする携帯電話とその人の脳みそが一体化したような映像です。

 

その人たちの脳みそは実は手にしている携帯電話で、脳みそを取り出して携帯電話という端末にして持っていたり、内ポケットに入れている。

 

眉から下の顔や体の部分は全てただの張りぼて。

 

携帯から入ってくる情報によって動かされている物体に過ぎない。

 

だから、出てくる言葉や態度にハートがない。

 

 

 

本当だったら胸のあたりに赤いハートが薄らぼんやりと見えてなきゃいけないのに、

それが見えない。

 

見えるのは心臓という臓器だけ。

 

そこには全く熱が感じられない。

 

 

 

そういう映像が見えてきた人と話をすると、共通することがあります。

 

 

どんな会話をしていても、その人たちの声なき声が聞こえてくるのです。

 

 

どんなに楽しく会話をしていても、言葉にはしなくても聞こえてくる言葉があるので

す。

 

それは、

 

「基本的には他人に興味がない」

 

「興味がある相手は、自分にとって大切だと思える人だけ」

 

「それ以外の人が何をしていようが関係ない」

 

「人に迷惑さえかけていなければ、それでいい」

 

「気に入らない言葉は聞かなければいい」

 

「とにかく、面倒臭い」

 

 

 

表面上は、会話をスムーズに続けていても、

 

「全く言葉が通じてない」

 

わたしには、そう感じることが、年々、確実に増えているのです。

 

 

 

そりゃそうだろうよ!

 

 

だって、考えても見てください。

 

 

 

大切な仕事の依頼も交渉もSNS。

 

取材の申請もインタビューそのものもお礼も全てSNS。

 

恋人への告白も、楽しい会話も喧嘩も別れの言葉も全てSNS。

 

 

 

「そういえば休日に言葉を一言も発しなかった」

 

そういう人ばかりです。

 

 

 

 

声の出し方が退化し、言葉そのものが退化し、自分の言葉を聞く耳の機能が退化するのは当たり前でしょう。

 

 

言葉に心がこもらないのは感情の問題ではなく、経験値の数に比例しているだけ。

 

 

声を荒げることもなくなり、大きな声で泣き叫ぶ経験もできなくなります。

 

 

喜怒哀楽が希薄になると、当然、表情の変化も少なくなる。

 

 

 

人の行動に感情が揺さぶられるということに対して、

 

「面倒くさい」

 

という感情が最初に出てくるのは、当然のことかもしれません。

 

 

 

 

先日、ある女性との会話の一部をご紹介します。

 

女性は30代独身。

 

彼女もスマホ依存症のようなところがあります。

 

 

「カレが欲しい」が口癖ですが、合コン、紹介といった出会いを求める行動が苦手です。

 

 

趣味は美味しいものを探すことと、バーでの一人飲み。

 

 

話し相手はもっぱらライン。

 

 

字にすると、矛盾だらけの行動のように思えますが、これが若者の現実だと思います。

 

 

普通に接して普通に話している限り、極めて普通の感覚の女性です。

 

「彼女、変わってるな〜」

 

と、いう印象はほとんど持ってません。

 

 

 

「初対面の人や特別仲の良い人じゃなければ、できるだけプライベートでは会いたくない」

 

そう言います。

 

私と話していても、たまに、

 

「どこまで人の話をきちんと聞いているのだろう?」

 

そう感じることが多かったので、ある時、このような提案をしました。

 

「あのさ〜。おれのはなし、長いな〜とか、今聞きたくないな〜とか、思ってるのに

我慢して聞いてるんだったら、ちゃんと言ってね」

 

「え!?どういうことですか?」

 

「今は話しかけないでくださいとか、もうその話飽きましたとか。聞いてもないのに聞かれてるふりをされるのは辛いからさ〜」

 

「わかるんですか?」

 

「わかるよ。普通」

 

「そんなこと初めて言われました」

 

「だろうね。思っていても周りにそんなこと言う人いないだろうね」

 

「本当にわかるんですか?」

 

「わかるよ」

 

「なんか気持ち悪いですね」

 

「失礼だな〜。これが普通だよ。ちゃんと相手の目を見て、相手の態度を見てたらわかるよ」

 

「へ〜。そうなんだ〜」

 

 

 

 

そんな彼女とのある場面でも会話を次回はお伝えしますね。

 

 

続く