社員を追い込むパワハラの実態22 〜トンがって、ハブられても・・・〜 | レスキュー女子es番外 『料理でコーチング』

初めて水を得た魚は喜びのあまり…

 

 

報道系の雑誌記者という仕事は、なんでもありです。

 

 

 

 

記事にできるものはなんでもするし、取材できる場所へはどこであろうとすぐに現地に向かいます。

 

 

 

と、いっても、

 

 

 

 

新聞記者に、政治部、社会部、経済部と専門部があるように、雑誌記者も、政治記者、芸能記者、事件記者、スポーツ記者と専門的に取材執筆する方もたくさんおられますが、わたしは、いわゆる”なんでも屋記者”でした。

 

 

 

 

 

映画やスポーツは好きですが、専門家というわけではありません。

 

 

 

 

だから、

 

 

 

 

「依頼された仕事はどんな仕事だろうと絶対に断らない」

 

 

 

 

 

と、この仕事を始めるにあたって、心に決めていました。

 

 

 

 

 

その結果、

 

 

 

 

 

◯阪神大震災が発生した8時間後には現地に入りました。そこから10日間、現地に滞在。

 

 

 

 

 

 

◯地下鉄サリン事件が起きたとき、たまたま日比谷公園で女優の撮影をしていて現場に急行。規制線が張られる前の地下鉄築地本願寺駅構内に入りました。

 

 

 

 

 

◯指名手配中の殺人犯のインタビューをしました。翌朝、一緒に警察署に出頭しました。

 

 

 

 

 

◯発覚前の殺人事件で、自首したいという共犯者と協力して、主犯の男を隠し撮りしました。主犯の男はその後、逮捕され、死刑判決が出て執行されました。

 

 

 

 

 

 

◯殺人事件の逮捕前の共犯者と共に、主犯の男が遺棄(この場合、隠した)した遺体を捜索したこともあります。

 

 

 

 

 

◯ある芸能人が、覚せい剤取締法違反で逮捕され、その取引現場だと噂の出ていたバーに取材に行って、監禁されそうになったこともありました。

 

 

 

 

 

 

 

◯記事を掲載しないように脅されて、抜き身の日本刀をクビに当てられたこともあります。もちろん、記事は掲載しました。

 

 

 

 

 

◯ある芸能人に性的暴行を受けたという女性の告発記事を進めていたとき、女性の身が危険にさらされるということもありました。この女性は、その後、自殺しました。

 

 

 

 

 

つらいことばかりではありません。

 

 

 

 

 

◯会いたい芸能人やスポーツ選手がいれば、インタビューを申し込んで会うこともできます。

 

 

 

 

 

 

◯月に一度は、グラビアの撮影に立ち会っていました。もちろん、仕事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

記事にできることは、なんでもかんでもやる。それが、雑誌記者です。

 

 

 

 

 

 

 

 

記者になって、半年経ったころには、

 

 

 

「風は仕事が早い」

 

「忙しくても断らない」

 

「仕事がやりやすい」

 

「危険な仕事は風に依頼しろ」

 

 

 

 

 

そう言ってくださる編集者も徐々に増え、多くの方から信頼をいただけるようになっていました。

 

 

 

 

それこそ、本当に寝る間もありません。

 

 

 

 

 

仕事1本のギャラがどんどん上がっていきました。

 

 

 

 

 

その金額こそが、わたしへの評価です。

 

 

 

 

 

野球選手の契約更改と同じです。

 

 

 

 

 

上がる時もあれば下がる時もある。

 

 

 

 

 

でも、わたしのギャラは下がることなく、ものすごい勢いで上がっていきます。

 

 

 

 

 

 

時は、バブル崩壊後の暗黒時代です。

 

 

 

 

 

デフレだの、リストラだの言われている時代に、わたしは、ゴルフを始め、外車を現金で購入し、左手には金むくの時計をはめ、海外旅行に行きたい時に行ってました。(1992~2000年、いわゆるIT夜明け前のニュース雑誌全盛の時代です)

 

 

 

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サラリーマン時代のことを考えると、自分自身がまったく別人になったような感覚でした。

 

 

 

つまり、

 

 

 

 

 

「俺はできる!イケてる!よし、このままナンバーワンにのし上がってやる!」

 

 

 

 

 

 

調子に乗っていたんだと思います。

 

 

 

 

 

わたしの悪い癖です。

 

 

 

 

 

トンガってましたし、粋がってもいました。

 

 

 

 

 

 

記者間ではタブーとされている、他の記者の取材方法に対して意見を述べるということも、たびたびありました。

 

 

 

 

 

 

その結果、わたしは、一人の記者さんの号令によって、全スタッフからハブられることになります。

 

 

 

 

四面楚歌になってみて

 

 

 

 

 

記者になってから半年、

 

その当時、大きな事件や事案があると記者やカメラマンがチームを組んで仕事をしていました。

 

 

 

 

 

たとえば、汚職の噂がある大物政治家を毎日追っかけるなんてことになれば、作戦を練って、記者4人カメラ4人で車4台。

 

 

 

 

それぞれが無線を持ち、持ち場を決めて行動します。

 

 

 

 

 

チームには必ずリーダーがいます。

 

 

 

 

 

その頃、どんな事案でもチームを組んだ時、リーダーとなる記者は超ヘビースモーカーの葉巻さん(仮名)と決まっていました。

 

 

 

 

 

わたしより10歳以上年上のベテラン記者さんです。

 

 

 

 

 

 

でも、葉巻さんは毎日、現場へ行く前の1時間はミーティング。

 

 

 

 

 

終了後1時間は反省会と称してみんなを集めて話をしていました。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、わたしにはそれが、ただの雑談にしか思えませんでした。

 

 

 

 

 

だから、まず、他の若い記者に、

 

 

 

「このミーティングは本当に必要なのか?」

 

 

尋ねました。

 

 

 

若い記者は、

 

 

 

 

 

「葉巻さんはああやって集まってしゃべるのが好きだから仕方ない」

 

 

 

 

と、言います。別の若い記者は、

 

 

 

 

 

「リーダーは葉巻さんだから」

 

 

 

 

 

と、二人とも理由にならない理由しか言いません。

 

 

 

 

 

 

て、ことは、誰もが、このミーティングや反省会は”意味がない”と、感じている。

 

 

 

 

 

そう思ったわたしは、Aさんに、

 

 

 

 

 

 

「みんな疲れているのだから、2時間も集まって話をするのは無駄です。事前に決め事があるときや、本当に反省しなければならないときだけ集まればいいと思います」

 

 

 

 

と告げました。

 

 

 

 

すると、葉巻さんは、

 

 

 

 

 

「俺のやり方に従っていれば間違いない」

 

 

 

 

と、聞いてくれません。ならばと、

 

 

 

 

 

 

「だったら一度、僕に現場を仕切らせてください」

 

 

 

 

 

とお願いしました。

 

 

 

 

「おまえ仕事を舐めてんのか!」

 

 

 

 

 

と、一喝されました。それでも、わたしは、

 

 

 

 

 

 

「一度でいいから現場を仕切らせてください」

 

 

 

 

 

と何度もお願いしていました。

 

 

 

 

もちろん、答えは「No!」です。

 

 

 

 

 

 

数日後、わたしは、副編集長に呼ばれ、

 

 

 

 

 

 

「君が現場を混乱させている。好き勝手やろうとする記者とは一緒に仕事はできないからクビにしてくれと葉巻さんが言ってきたよ」

 

 

 

 

 

と、言われたのです。しかも、

 

 

 

 

 

「葉巻さんによると、他の記者、カメラマンもみんな君の勝手な振る舞いには困っているから誰も組みたくないと。ほんとう?」

 

 

 

 

 

 

「ぼくは思っていることを口にしただけです。それが間違えていると言うんだったら、なんでみんな僕に直接言わないんでしょう?」

 

 

 

 

 

 

「そりゃ、みんなライバルだからな〜。クビにしたいと思っている人間がいてもおかしくないし、葉巻さんにそう思われてるってことは、ライバルとして認めてもらってるってことじゃないか。よかったじゃん」

 

 

 

 

 

 

「ぜんぜんよくないですよ。フリーにはそういうの、ないと思ってたのに…」

 

 

 

 

 

 

「それは、風がサラリーマンをやってたから、ある意味、常識人すぎるんだな。記者カメ(カメラマン)なんて、みんな食っていくのに命がけだよ。なんの保証もないんだから。人を嵌(おとし)めるなんてことは日常茶飯事だよ。まあ、葉巻さんは人脈も実力もあるし、あまり逆らわない方がいいよ」

 

 

 

 

 

 

そう言われても、いまさら遅いのです。

 

 

 

 

 

 

「だったら僕は、葉巻さんとは二度と仕事をしません。したいと言っても無理でしょう。チームから外してください」

 

 

 

 

とお願いしました。

 

 

 

 

 

「謝ったほうがいいと思うよ。知らないよ」

 

 

 

 

 

 

副編集長が、この状況をとっても楽しんでいる姿が今でも忘れられません。

 

 

 

 

 

社員にとって、フリーのトラブルなんて、どうでもいいのです。雑誌さえできれば、あとはなんでもいいのです。フリーの記者なんて、代わりはいくらでもいます。

 

 

 

 

 

 

わたしは単独で仕事をするようになり、カメラマンにコンビを組んでくれとお願いにまわりました。

 

 

 

 

 

ほとんど全員から断られました。

 

 

 

 

 

ハブられたわけです。しかも、

 

 

 

 

 

「なんであんなことを葉巻さんに言ったんだ。みんな迷惑している」

 

 

 

 

こうも言われました。

 

 

 

 

 

 

「正しいことが全てとは限らないんだ。君一人で現場はできないんだよ。バランスを崩すような記者とはやりたくない」

 

 

 

 

 

 

この時期、わたしのことをよく知らない編集者からも、初めて仕事をしたときに、最初の挨拶でこう言われました。

 

 

 

 

 

 

 

「風くんて、ものすごくいろんな人から嫌われてるよね。いい噂ぜんぜん聞かないよ。なんで?」

 

 

 

 

 

明らかに最初からわたしのことを舐めた態度で接してきたのです。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、具体的にどう言ってるんですか?誰も僕に教えてくれないから、わからないんですよ。教えてくれますか?」

 

 

 

 

 

 

 

「人の仕事のやり方にケチをつけるとか、打ち合わせをきちんとしないとか?記者カメの飲み会に全然付き合わないとか?」

 

 

 

 

 

 

 

「それっていけないことですか?ケチをつけてるのではなくて、こうやったほうが取材方法として正しいということを主張しているだけだし、打ち合わせをしないのではなくて、打ち合わせ中に雑談をやめようと言っているだけです。記者カメの飲み会に出て編集者やその場にいない人の悪口を言い合うことがそんなに大事なことですか?僕にはわかりません」

 

 

 

 

 

そして、こうも付け加えました。

 

 

 

 

 

 

「その前に、あなたと仕事をするのは今日が初めてですよね。わたしの仕事ぶりを見もしないで、自分で判断する前に、そういう言い方をして、わたしの上に立とうとするのは卑怯じゃないですか。わたしはあなたの年齢も入社年度もわかりません。知りたくもありません。対等な立場だと思っていますから。そういう口の利き方しかできないのだったら、わたしもあなたへの対応を変えるしかありません」

 

 

 

 

 

 

「…風くんて、歳いくつなの?」

 

 

 

 

わたしが、年齢を伝えると、その編集者は、

 

 

 

 

「あ、風さん…。すみませんでした」

 

 

 

 

 

と、すぐに態度を変えたのでした。

 

 

 

 

 

一時が万事、こんな感じでしたから、

 

 

 

 

それからの約5年間、わたしは、いわゆる本流の取材チームとは一度も仕事をさせてもらえませんでした。

 

 

 

 

それでも構わない。

 

 

 

 

こっちはこっちのやり方でキャリアを積めばいい。

 

 

 

 

 

トンガってましたから、平気でした。

 

 

 

 

 

 

葉巻さんのことも、「あいつ絶対許さない!」と、ずっと思ってました。

 

 

 

 

以来、口をきかない期間が何年も続いたのでした。

 

 

 

つづく

 

 

 

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風宏