持病の事もあり手術はムリということで、自然に骨がくっつくことを待ちながらの入院生活18日後、リハビリ病院へ転院。

 

その前に転院先の病院を決めるため家族面談に2か所行ってきました。

父の飲んでいる血液サラサラの薬が高価なため、受け入れられないかもしれないと聞きつつ、ギリギリだったそうで受け入れ可能という連絡を受けほっとしました。

 

そして、転院当日、リクライニング対応の介護タクシーを頼んで転院。

 

 

病室に持ち込んだ私物を取りに父のベッドのところへいくと、元気いっぱいで看護師さんにあれこれ指図している父がいた。

動けなくて面倒かけているから少しは大人しくなっているだろうかと思ったことは、すっ飛んで思わず苦笑。

 

転院先でもそんな感じで、顔を見せてもこちらへの声がけもなし。

もしかして娘と分かってない?…こともないみたいだけど、今まで入院したきは、「おお、来たか」くらいは顔を見て言ってくれたのに。

 

おそらく体の自由がきかなくなってしまって、イラついているのだろうとも思ったけど、世話になる人に怒鳴るような態度はこちらが恥ずかしくなる。

 

自宅療養になったときのことを思うと気が重くなった出来事。

 

転院先も面会禁止なので、着替えを持っていくだけで会えないわけだけど、それもあって、動けないに加えて捨てられた感でイライラ度、常にMAXなのかも?

 

痛みはまだまだ少し動かしただけでも酷く走るようで、動かされたからとか文句。

血液を採っただけなのに、採られてから足が痛いとか。

 

本当に看護師さん、介護士さん、担当医の先生方には、頭が下がります。

この場で言っていても届かないのですが、お手数おかけして申し訳ありません。

父を世話してくださって心より感謝申し上げます。

 

もしも年齢を重ね、父のようになっても周囲に感謝と気配りを忘れない私でいたいと心の底から思いました。

でも、痴呆も入ってしまったら、モンスター患者になってしまうんでしょうか。

そう思ったら、本当に気が滅入ってきますが、今それを考えても仕方ないので、そんな今起きてもいない遠い未来の心配は手放します。

 

父の痛みが少しでも早く緩和⇒解消され、気持ちも穏やかになりますように。

 

先週の金曜日に大腿骨転子骨骨折し、緊急入院して7日目の父(95歳)

今日、車イスに乗ってナースステーションまで出てきて本を読んでいますよという看護師さんから電話をいただいた。

 

手術できなかったから、1月位安静していなければらないかな?と思ってたのが、こんなに早く車イスに乗れるとは思わなかったので、びっくり!!(@@;

 

 

今まで痛みを訴えてずっと寝たきりだったのが、今日は痛くなかったのかあるいは痛みが許容範囲だったのかというお話で、かかとのある履物を持ってきてほしいという電話でした。

 

このコロナ禍、面会はできないので本当に必要なものを持っていくだけなんですが、明日は転院先の一つである病院へ家族面談に行くことになっていたので、それと時間を合わせて靴をもっていくとお返事をしておいた。

 

順調に回復してきているようで良かったと一安心しつつ、さて、どこまで回復するのかが問題。

 

ケアマネさんも今日来て下さり、介護認定の見直しの申請などをしていただけることになり、本当に周囲にお世話になりっぱなしで助かってます。

 

引き続き様子見ですね。

 

2022年11月25日(金)

その日は、いつものかかりつけの医院での1月に1回の定期診察を受ける日。

11時の予約に間に合うように主人の車で医院に向かい、12時少し過ぎ、別にどうということもなく、まー、通常どおりで異常なしだよねと診断をいただき、これまたいつも通り、私はそのまま待合室で会計を待ち、一足先に父は医院の隣の調剤薬局へ。

 

父が医院の玄関先へと歩いて行くのを見送り(待合室からは見えなくなる)、イスにそのまま座っていると、不意に看護師さんたちが玄関先に走っていく。

 

もしや!

直感で父がと思って駆けつけてみると、案の定、玄関先で父が転んでいた。

痛みで立ち上がれない状態。

 

父曰く、酸素ボンベを入れているカートがすうっと少し先に移動したのを止めようとして手が届かずそのまま転んでしまったとのこと。

おそらく、玄関横にある消毒液で手を消毒しようと、カートのハンドルから手を放したときに、ほんの少し勾配(普通なら気にならない程度のモノ)があるためカートが前に進んでしまったのだろうと思う。

 

少しでも動かすと痛みで叫ぶ父をなんとか診察室横のベッドに運んでもらい、近くの外科病院に連絡をとってもらって、そこへ救急車で搬送されることに。

 

突然のことに私も少しパニック?

救急隊員の方にスマホの番号を聞かれ、記憶しているはずの番号がうろ覚え。

 

一旦近くの外科診療も対応している病院に運ばれるも、レントゲンの結果大腿骨骨折が分かり、その病院では対処できないということで、再び救急車を呼んでもらって市民病院へ搬送されることになり、1日に2回も救急車に乗ることになった日でした。

 

 

いつもどおり会計を澄まして薬をもらって帰宅・・・の予定が、青天の霹靂、予想もしなかったハプニングで一旦市民病院の救急外来で父を顔を合わせたものの、コロナ禍ということもありそのまま病室へ運ばれていった父の顔を見たのはそれが最後。

 

手がかからないといえばそうなのだが、無事な顔が見られないというのは、寂しさを感じるものなんだと改めて認識させられた。

 

入院しているのだから心配はないのだろうが、今までの入院時は、やれ着替えが足らないの、あれだこれだと呼びつけられて面会していたときとは状況が違い、当時はうるさいなーと思ったものだが、今回は拍子抜けというよりも寂しく感じ、家にいても落ち着かない。

 

今はどこでもそうなので仕方ないと言い聞かせるしかないし、それで自分は納得しても、父は大丈夫なのだろうか、気落ちしていないかと、つい考えてしまう。

 

元気な笑顔で帰ってくるよ!と自分には言い聞かせているんだけど。

半年続いているクンルンに加えて

はじめたのが古神道。

 

先祖開放しないと人勢は開けないと聞き、

浮遊感で止まってるのってそれかな?と。

 

ま、神頼みとかもいいけれど、

実際問題、その為の行動をしていなくちゃ

先祖開放しても道は開かないよね。

 

ということで、

いいかげんスイッチオンしようよ!と

自分にはっぱをかけてみました。

 

 

Webの仕組化の知識があるのにやれてない。

パソコンが苦手なわけじゃない、

ツールも使えるんだから、

作業も自分でできるのに

面倒とか、

どうせやっても

という気持ちでやれてない。

 

そろそろ卒業してもいいよね?

というより、いい加減卒業してやらないと

人生終わっちゃうよ!

 

肉体を持って生まれてきたけで

フィーバーがかかる直前なんだそう。

 

やるっきゃないよね?

 

という言葉は何回目?

 

小出しにやってないで、

一気にやるときだよ!!

 

と、今日は自分にはっぱをかけてみました。