2022年11月25日(金)
その日は、いつものかかりつけの医院での1月に1回の定期診察を受ける日。
11時の予約に間に合うように主人の車で医院に向かい、12時少し過ぎ、別にどうということもなく、まー、通常どおりで異常なしだよねと診断をいただき、これまたいつも通り、私はそのまま待合室で会計を待ち、一足先に父は医院の隣の調剤薬局へ。
父が医院の玄関先へと歩いて行くのを見送り(待合室からは見えなくなる)、イスにそのまま座っていると、不意に看護師さんたちが玄関先に走っていく。
もしや!
直感で父がと思って駆けつけてみると、案の定、玄関先で父が転んでいた。
痛みで立ち上がれない状態。
父曰く、酸素ボンベを入れているカートがすうっと少し先に移動したのを止めようとして手が届かずそのまま転んでしまったとのこと。
おそらく、玄関横にある消毒液で手を消毒しようと、カートのハンドルから手を放したときに、ほんの少し勾配(普通なら気にならない程度のモノ)があるためカートが前に進んでしまったのだろうと思う。
少しでも動かすと痛みで叫ぶ父をなんとか診察室横のベッドに運んでもらい、近くの外科病院に連絡をとってもらって、そこへ救急車で搬送されることに。
突然のことに私も少しパニック?
救急隊員の方にスマホの番号を聞かれ、記憶しているはずの番号がうろ覚え。
一旦近くの外科診療も対応している病院に運ばれるも、レントゲンの結果大腿骨骨折が分かり、その病院では対処できないということで、再び救急車を呼んでもらって市民病院へ搬送されることになり、1日に2回も救急車に乗ることになった日でした。
いつもどおり会計を澄まして薬をもらって帰宅・・・の予定が、青天の霹靂、予想もしなかったハプニングで一旦市民病院の救急外来で父を顔を合わせたものの、コロナ禍ということもありそのまま病室へ運ばれていった父の顔を見たのはそれが最後。
手がかからないといえばそうなのだが、無事な顔が見られないというのは、寂しさを感じるものなんだと改めて認識させられた。
入院しているのだから心配はないのだろうが、今までの入院時は、やれ着替えが足らないの、あれだこれだと呼びつけられて面会していたときとは状況が違い、当時はうるさいなーと思ったものだが、今回は拍子抜けというよりも寂しく感じ、家にいても落ち着かない。
今はどこでもそうなので仕方ないと言い聞かせるしかないし、それで自分は納得しても、父は大丈夫なのだろうか、気落ちしていないかと、つい考えてしまう。
元気な笑顔で帰ってくるよ!と自分には言い聞かせているんだけど。