不完全な切り紙細工 -34ページ目

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 昨年
 僕は白鷺のいる水辺の虜になっていた
 そして
 何故これほどまでに水辺に惹かれるのかと自問した

 国会で安保法案が強行採決され
 国の平和追求と戦争権という重要な問題を
 閣議だけで決定したクーデター内閣が日本の民主主義を破壊し
 なおも先へ進もうとしている

 すべきこと
 できることは何であるか
 考えない人はいないだろう
 そしてまた僕もできることはしようとしている

 けれど一方で
 僕はこの国の現在に辟易しつつある
 怒りとか諦めとか
 そういう感情を超えて
 日本から消えてしまいたいという想いがつのるのだ
 もうどうしようもないという感覚

 どうしようもないなら
 そこに居る意味はない

 そう思ってから
 僕は気づく
 水辺へ来ることは
 水辺に惹かれることは
 少なくともその一つの意味は
 僕の逃避行なのだと


 ここには自然がある
 人間の愚かな社会を遠ざけて
 人間も自然になれるのだと言っている気がする
 けっきょく僕は人間が
 というより人間の社会が好きになれない人間なのだ
 人間は嫌いではない
 しかし人間が集団で生活し
 食うため以上の利潤や贅沢を得るために
 醜い行為を繰り返さざるを得ない社会
 人間を決して幸せにはしない社会

 そんなもののために
 どれだけの時間をかける意味があるのかと
 そんなものは皆滅びてしまえばよいと

 逃避であるとしても
 自然に埋没しているのであるとしても
 ここにいるとき
 僕には深い多幸感がある
 それがすべてではないのかと

 恍惚として風に吹かれて
 水辺を彷徨い続ける生

 











 最近僕は気づくと雲を見ていることが多くなったと思う

 雲は単なる水の粒の集まりに過ぎないのだけれど

 その変幻自在な形と色はとても美しい

 時には空を圧倒するような

 そしてまた空に笑いかけるようにやさしいときもある雲

 雨を降らせるときも降らせずにただ空に浮かんでいるときも
 








 雲を専門に撮り続けている写真家はいるのだろうか

 難しい被写体には違いない

 けれど雲の成り立ちを思うとき

 それを巧みに写すことは

 光の変化を撮しとることのはず

 だから「雲の写真家」はいるはずだと






 ある意味

 雲は水と光による造形作品だ

 そのことはとりもなおさず

 雲がこの星の大気の産んだ美であるということであり









 颱風が間近になったこの日

 白銀色に輝く雲と

 雨を降らすだろう
 
 あるいは既に今降らしているであろう暗い雲とが

 複雑に絡み合っていた

 
 風も強く吹いて歩いている僕の両耳に

 まるで車で走っているような風切り音を立て続けた

 そして水辺の水も

 その風に押しまくられて波立ち岸へと寄せていた


 そこにも光は降り注ぎ

 水に反射して光の大小の渦を作っていく









 銀色の波






 あの雲のところでは雨が降っているのだろうか






 輝く雲と水に包まれた場所では

 夏が満ちていた

 緑 緑 緑






 水辺の至るところに葦のような水辺植物が茂り

 池は緑に包囲されている

 その緑の包囲網へ打ち寄せて緑を潤していく水





















 昨夏

 二百羽はいたと思われる鷺の群れは帰ってきただろうか

 鷺たちの集団営巣地になっていた島は

 鳥たちが居ても容易には見えそうもないほどに

 緑が繁茂して

 水の上の森のようになっていた






 生きるということは

 鳥たちにとって自然と和することであり

 また戦うことでもあるだろう

 それは人間にとっての生きることと

 どれほど異なっているというのだろうか