昨年
僕は白鷺のいる水辺の虜になっていた
そして
何故これほどまでに水辺に惹かれるのかと自問した
国会で安保法案が強行採決され
国の平和追求と戦争権という重要な問題を
閣議だけで決定したクーデター内閣が日本の民主主義を破壊し
なおも先へ進もうとしている
すべきこと
できることは何であるか
考えない人はいないだろう
そしてまた僕もできることはしようとしている
けれど一方で
僕はこの国の現在に辟易しつつある
怒りとか諦めとか
そういう感情を超えて
日本から消えてしまいたいという想いがつのるのだ
もうどうしようもないという感覚
どうしようもないなら
そこに居る意味はない
そう思ってから
僕は気づく
水辺へ来ることは
水辺に惹かれることは
少なくともその一つの意味は
僕の逃避行なのだと
ここには自然がある
人間の愚かな社会を遠ざけて
人間も自然になれるのだと言っている気がする
けっきょく僕は人間が
というより人間の社会が好きになれない人間なのだ
人間は嫌いではない
しかし人間が集団で生活し
食うため以上の利潤や贅沢を得るために
醜い行為を繰り返さざるを得ない社会
人間を決して幸せにはしない社会
そんなもののために
どれだけの時間をかける意味があるのかと
そんなものは皆滅びてしまえばよいと
逃避であるとしても
自然に埋没しているのであるとしても
ここにいるとき
僕には深い多幸感がある
それがすべてではないのかと
恍惚として風に吹かれて
水辺を彷徨い続ける生

最近僕は気づくと雲を見ていることが多くなったと思う
雲は単なる水の粒の集まりに過ぎないのだけれど
その変幻自在な形と色はとても美しい
時には空を圧倒するような
そしてまた空に笑いかけるようにやさしいときもある雲
雨を降らせるときも降らせずにただ空に浮かんでいるときも

雲を専門に撮り続けている写真家はいるのだろうか
難しい被写体には違いない
けれど雲の成り立ちを思うとき
それを巧みに写すことは
光の変化を撮しとることのはず
だから「雲の写真家」はいるはずだと

ある意味
雲は水と光による造形作品だ
そのことはとりもなおさず
雲がこの星の大気の産んだ美であるということであり

颱風が間近になったこの日
白銀色に輝く雲と
雨を降らすだろう
あるいは既に今降らしているであろう暗い雲とが
複雑に絡み合っていた
風も強く吹いて歩いている僕の両耳に
まるで車で走っているような風切り音を立て続けた
そして水辺の水も
その風に押しまくられて波立ち岸へと寄せていた
そこにも光は降り注ぎ
水に反射して光の大小の渦を作っていく

水辺の至るところに葦のような水辺植物が茂り
池は緑に包囲されている
その緑の包囲網へ打ち寄せて緑を潤していく水
昨夏
二百羽はいたと思われる鷺の群れは帰ってきただろうか
鷺たちの集団営巣地になっていた島は
鳥たちが居ても容易には見えそうもないほどに
緑が繁茂して
水の上の森のようになっていた

生きるということは
鳥たちにとって自然と和することであり
また戦うことでもあるだろう
それは人間にとっての生きることと
どれほど異なっているというのだろうか













