不完全な切り紙細工 -33ページ目

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある

 

  理由は他にもあったと思う

 それは鷺の翼の白さと大きさだった

 生きているものでこんなに美しいものがあるのかとさえ思ったほどだ

 大袈裟なと言われるかもしれないけれど

 こんなに間近に鷺を見たことがなかった僕には

 信じられないほどの美しさだった

 しかもそれは生きている!


 この日も真新しい緑の中に

 黄色い嘴と白く長い首を見たとき僕は幸せだったと思う

 一面の若い緑の中に真っ白な姿が一つ

 浮かび上がるのだ









 水の側までゆっくりと近づいていく

 とても慎重な生き物なのか

 それとも時間の進み方がわれわれと異なっているのか

 歩むときの彼らはとても静かに見える


 この日は風のせいで

 池の至るところの水が波立っていた

 それは細かな波ではない

 うねるような緩やかだが強い波だった


 一羽佇む鷺の背景にそのうねるような波が寄せてくる

 その光景は静と動

 いやそうではない

 水も鷺も動なのだ

 しかしその動がそのまま静寂であるようになる時間が

 嵐の前に訪れたのだ


 静かなるうねりという不思議なものを見た気がした






 鷺はずっとこの緑の茂みを歩き

 小魚か虫を捕食し続けていた

 それは食うための真剣な行動であるに違いない

 けれどその動きは

 ゆっくりと自らを潜めては

 目を輝かして水中を見据え

 そしてすっと水に嘴を差し込む

 油断のない速やかな動きであるのに

 静けさそのものに思えた


 美しい緑に映えた真っ白な姿は

 極端なコントラストのように思え

 この白は決して緑に染まることはないと確信させられるほどなのに

 その浮き立つほどに美しい白は

 緑に静かに相和してしまう


 それは羽を大きく広げて飛ぶときですら

 そうなのだ









 羽を広げて飛び立つまでの時間が極めて短いせいで

 飛ぶという力強い行為が執り行われているのだというふうには見えないのかもしれない

 気づけばましろな翼は風に包まれている







 しかし鷺は風に押されても過つことなく

 羽を適切な形に整えなくてはならない

 こんなふうに思わぬ横風を食らったとしても

 鷺は焦る素振り一つ見せずに

 左右の翼の形を風の流線形の流れを包むように操って






 ふわりと舞い上がらなければならないし

 そして見事にそれを成し遂げる

 両足をよく見れば水が滴り落ちているのが見えるのに

 その見事さゆえにこのダイナミックな動きさえもが

 静寂に相和してしまうのだろう








 むしろ背景の水のほうが緑に染まっているように見えるのに

 染まず舞う鷺がこの絵から浮き上がってしまうことはない







 この鷺は舞い上がると大きく旋回するように飛んで

 だいぶ離れた水中木の太い枝にとまって

 しばらく何事か考えているようにも見えた

 今日の漁はこれまでにするべきか

 それとも場所を変えて更に夕暮れまで


 でもきっと鷺は考えてはいなかっただろう

 考えるという狭量な仕組みを超えて

 鷺たちは生きているような気がする

 考えて緑の背景から浮き上がってしまうようなことはしない

 水の色 光の加減 風の流れ

 太陽の位置

 それが次の漁をするか否か

 するとしたら何処でするかを決めるのだ


 思考が介在するとすればそれは

 ほんの一瞬だけのことなのだろう

 けれどその一瞬こそ

 この鷺の今日一日の今この時にしか与えられないような

 一瞬に違いない


 鷺の静けさは

 その尊い一瞬を聞き逃さないための最大の努力

 張り詰めた静寂の中の

 かすかな動き

 かすかな水音がすべてを左右するからだ






 やがて鷺は一羽

 あの鷺たちの島へと帰って

 その水際でまた静かな息をし始めた







 静寂

 それは保たれねばならぬ瞬間なのだ




 この日僕は池の周りを三周も歩いたが

 見かけた鷺はこの一羽しか居なかった


 この広い池とその上の空にただ一羽の鷺

 それが水辺の静謐を

 ひとしお静かなものにしていたのかもしれない