
海の印象は何色だろうか
海といえば青だと答える人は海の何を見てそう言うのだろう
あるいはエメラルドのような翠(みどり)を思い浮かべる人は
海の印象を白い波頭だと思う人もいるだろう
でもそれは砕け散る波なのか
それとももっと違う何か
砂浜の白だろうか
打ち寄せる波と聞けば
それは磯や岸壁に激しく打ち当たる波だろうか
あるいはもっと穏やかな
そうした印象はきっとその人一人ひとりの
思い出や生活の場所そのほか諸々の事どもによって異なるに違いない
僕も生まれてから色々な海を見て育ったから
それなり色々な海の印象を抱いていると思うのだけれど
その中でも原風景になっていると思うものがある

僕にとって海は青と翠と白の色をしている
しかもその青はほとんど紺
つまりこういう海なのだ
だから僕は海を描こうとすると
ほとんど無意識なほどに青と翠と白を手にとっている
(例えば こんな悪戯描きでも)
明るい空のような青の海も知っているけれど
僕の胸の底にある海はその海ではない
明るい青の海はどちらかというと僕の頭の中にある海だ
打ち寄せる波
それだって色々な強さで寄せてくるに違いない
この同じ場所で台風の日にはもっと高い大きな波が打ち寄せるのを
小さかった僕は恐ろしい思いで眺めたものだった
しかしそういう場合を除けば
ここの波はこんな波


おや ちょっと黒が飛び入りしてしまったか
ちょっと強く打ち寄せて砕けても
それが満ち潮のときでさえ
すっと砂に沁みこんでしまうように白く薄くなる
波打ち際の白い泡の敷物
寄せて崩れて
白く広がって
それから静かに退いていく
その繰り返し
僕はずっとその束の間の白い敷物を
濃いミルクだけで作った白いクレープのようだと思っていた
キメの細かなよく泡立てた材料を
見事なタイミングでさっとひと振りしなければ
こんなに可憐でしなやかな薄膜のようなクレープは作れない
でもその膜はよく見れば
とても小さな泡の集まりで
この泡が海を浄化し続けるシステムにさえなっているのだと
海水水槽の浄化システムであるスキマーについて学んだときに知った
泡が様々な有機物を巻き込んで浮き上がらせ
浜辺に残していく
それだけではない
波が泡立つということは海が酸素を呼吸することでもある
話は少しそれてしまうけれど
泡というものは実に不思議な存在だ
ただの水に空気をボコボコさせて気泡を作ることはできるけれど
それが泡になってしばらく残り「泡立つ」には
水の中に例えば蛋白質みたいな高分子が混じっていなくてはいけない
そう石鹸もそうだ
僕たちの細胞だって脂質二重層の膜でできていて
要するに泡みたいなものなのだ
生命の起源は泡だったのだと考えた人も居たほどで
泡は昔から生命と関係づけられてきたものだった
だから僕にとって
海の白はこの泡のクレープだ
この泡のクレープ
ここから十数分も歩いて崎の向こうの浜に行くと
不思議なことに
白い色を失ってしまう
その浜はここよりも遠浅で
しかも海水浴の海岸でもあるから幾つもの消波ブロックに
力をそがれて穏やかになり
打ち寄せる海は
長い平坦な砂地をするすると滑べって浜に近づいてくる
打ち寄せる波はまるで鍾乳洞の中の段々池のような模様を作って
波打ち際に届く頃には
ほんの微かな泡しか作らないからだ
その海はこんなふうにやってくる
ひたひたと
ゆっくりと
それをなんと喩えればいいのか僕はわからない
その海の水を僕は目でみるよりも
波打ち際で身体で感じてきたからだ
水に座れば足を尻を
寝転べば身体すべてと首や髪までが
この不思議にやさしい海水の広がりに包まれる
それはどこか快楽の感触がある
海は一つなのに
幾百幾千もの姿と顔を持っている
今僕は
ただ海を
その深き色と波の形
広がる泡と水の姿だけを見ていた
そうしたかったからなのだ
海辺には
鳥やその他の生き物が生きていて
それから様々な人たちもやってくるのに
そういうものから
少しの間だけ目をそらし
海の色と形だけを眺めていたかった
でも
海は生きていて
そして生き物の場所でもあることを
僕は忘れはしない
生き物とともにいるとき
海はまた違った表情をして笑いかけてくるに違いない
The Chopin Variations (on piano, violin and cello) by Chad Lawson
