
少し激しい雨が上がった後で
とうとう咲いたキウイの雌花が濡れて光る
幾つもの滴が花を飾る自然の宝珠
キウイの花は上を向いて咲かない
虫たちの訪問を待ち受ける形
雨に花粉や蜜を奪われないようになのか

そして睡蓮鉢にも新しい花が開いていた
睡蓮はとても多くの種類があるが
この鉢で咲くのは黄色・白・そして赤
それでも飽きたらなくて
僕はよく近くの公園の大きな池を歩いて
まるで連れ立っているかのように咲く睡蓮を眺める
モネはいったいどのくらいの種類の睡蓮を観たのだろう
庭の睡蓮は
それを小さく小さく模したものに過ぎないと思う
でも
一つ一つの花をしげしげと眺めるのにはちょうどいい
今日はこのアシナガは睡蓮には近寄らず
なぜかベンチに固執して
飛び立ってはまた戻ってくる
こんなところに営巣するわけでもあるまいに
まだ濡れたままのスイカズラの花のジャングルには
いろいろな虫たちがやってくる
彼らは時としてスイカズラに何処か似ていて
花に同化したみたいに見えにくくなる
勿論このお馴染みの外来種のクマバチも
タマムシのような羽を光らせてやってくる
スイカズラは
忍冬とも金銀花とも言われるけれど
この写真を見ていれば
なぜ金銀なのかがよく分かる

ここの金銀花はもう垂直面で数メートル四方に広がって
花の数も相当数になり
甘い匂いに誘われてくる虫たちの数も
相当数になる

視野を狭めて
一枝一塊だけ見れば
可憐な花だと思う
でもその生命力
一面に咲き乱れる花を見ていると
可憐という言葉を
どこかに見失ってしまいそうだ
忍冬はスイカズラの冬の実の硬さと辛抱強さから名付けられたとか
そうでなくてはこの美しい繁茂はあり得ない
ところで
この虫
大きさは3センチもあるかないかだが
ちょっと変わった飛び方をするので
最初は一体どんな虫なのかわからなかった
蝿の仲間かと思うような
高速の羽
どうやら曲がった脚
でも葉に止まったのを見れば
カミキリの仲間らしい姿をしている
それなのに飛ぶとなると
下の写真みたいに
腹を突き出したような格好で身体を曲げて
黒く長い触角を動かしながら
羽をバタバタと動かす
下の写真では羽は身体の前に来ているが
その次に写真では
羽は身体の後ろにあるのがわかる
身体の姿勢は変えずに
羽だけが高速に前後する
そしてもっと不思議なのが
その脚だ
下の写真ではこいつは左に向かって飛んでいるのだけれど
脚は何と後方に投げ出された
というか
どう見ても右側が前という感じになっている
大きな目のある頭の形からすれば
前は左なのだが
後ろから見ると
なんだか
スカイダイビングする人たちのように
四方に脚を広げている
でもヘリコプターのような羽があるから
こうやって一箇所でホバリングしていることもある
もちろん見慣れたカナブンの仲間たちもやってくるが
連中は花に食らいつくとなかなか離れていかない
それに比べると
蝶たちは
「花から花へ」と歌われるように
移り気で浮気者のように
ひらひらと花から花へ飛び回る
しかもその動きも予測しにくい
おそらくは「食べているときが食べられるとき」という
自然界の理からして
一箇所に長く留まる危険を避けているのだろう

開きかけだったのか閉じかけだったのか
ちょっと不思議な羽の形になっていた
一瞬の間だけのちょっと素敵なトポロジー
こうしてみると
鳥と同じ羽を持った仲間なのかと考えさせられる
こういう飛び方は鳥の飛翔の一部にそっくりだ
花に紛れるような模様の蝶がいるかと思えば
決して花に似て紛れるのではなかろうと
言いたくなるような黒い翅

黒というのは美しい色だなと思う
いや色という言葉が当てはまらないのかもしれないが
そして赤い斑点
蝶を美しい女性の喩えにしたのは
いったい何処の誰だったのだろう

その黒い麗人が飛び立ったとき
僕はまた「美」というものの在りようを考える
左後方の翅は無残にも千切れていた
それでもこの蝶は飛び回り
花の蜜を吸い込んで命をつなごうと懸命になっている
僕は蝶が美しいそのままに地面に落ちて死んでいる姿を
何度となく見てきたから
蝶はそうやって完全な形で死ぬのだと思い込んでいた
けれど考えてみれば
これほどにか弱い生き物なのだ
鳥に襲われ
風雨に叩かれて翅を失いながら死ぬものも当然多くあるはずだった
この蝶の欠けた翅を見て
今さなながらにそのことを考えてしまう
それは命への執着を通り越し
神々しいまでに生きる意思を表わしているように思えるのだ

静かな庭で
淡々と五月が過ぎていく
そこにはドラマらしいドラマもないけれど
いや
ドラマらしいドラマがないからこそ
命の営みが輝くのかもしれないと
そう考えると
あれこれ悩み考えて先へ進めない人間は愚かだなと思う
どうあったとしても
生きていくことが
生きていくことそれだけの価値を
もっと確かに愛せれば
人間はもっと賢く逞しくなる
そんな気がする庭は
音がしないわけではないのに
なぜか
しんとして
「静謐」と呼ぶのがふさわしく感じられた
たぶん
五月の美しさのどこかには沈黙の底がある
命輝く初夏の底
そこにあるものは何?
















