雨の中を車を走らせる
それは実に不思議な体験だと言ったら
奇妙なことをと思うだろうか
特に夜は
外は暗い道
ところどころに街灯や店の灯りがあるにしても
外は夜だ
それが雨に濡れている
傘をさしている人たち
あるいはレインコートでバイクに乗る人もいる
皆濡れまいとしているに違いない
電信柱も
道も道端のもろもろの物たちも
濡れて
走っている車のライトに浮かび上がっては光り
光っては消える
僕はふとヘンリー四世のことを思い出していた
シェークスピアではない
ルイジ・ピランデルロまたはピランデッロという
イタリアが生んだノーベル賞詩人・作家の戯曲 Enrico IV
それを見たのは
おそらく高校生になるかならぬかの頃だった
しかもそれは日本語で上演されたものではなく
イタリア語から英語に翻訳されアレンジされたものだったと思うので
僕の理解には不完全なところが多々あるに違いない
けれどその芝居を僕はかなりよく覚えている
貴族だったか
あるいはまあそれに類する働かなくても生活には困らない類の
演劇好きの男が主人公なのだが
その男が陰謀か仕掛けられた罠にはまって
死にはしなかったものの記憶を失ったか
気が狂ったかで
自分をヘンリー四世だと思い込んでしまう
というような
いやあるいはヘンリー四世をいつもいつも演じている
つもりのようにも見える
そんな話だった
これだけだとラ・マンチャの男みたいで
愉快な話になりそうだけれど
この主人公
時間が経つうちに(と言っても長い年月が経ってからなのだが)
次第に正気を取り戻していく
しかしそれを誰にも知らせないまま
狂気の人物であり続け
そこへ訪ねてくる人々への積もる思いを浮かび上がらせ
そして自分を陥れ人生のさまざまなものを奪った者への
復讐を企てる
もとより劇中の登場人物たちは
この男が正気に戻っているとは思わない
しかし次第に正気なのではないかと疑い始めるのだ
というのは
男の言うことが何かの偶然か
過去の古傷を突いてきたりするからなのだが
ほんとうはどうなのか
正気に戻れば困るし
狂気とは言え痛くもない腹を探られるようでは・・・と
登場人物たちでもそう悩むのだが
劇中の会話はどこまでが
正気でありどこからが狂気なのか
実は観客にも定かならないところがあって
観客は加害者でも何でもないのだが
この男の芝居に巻き込まれていってしまうのだ
しかしまた当人も
正気であるほうがいいのか狂気であるほうがいいのか
思い迷うことばかり
こういう劇中劇の伝統は演劇の世界ではかなり長いものだと思う
その不思議さがずっと好きだった
なぜ雨の中でそんなことを思い出したのか
僕はこの芝居を見た後
何度かこの本を探したことがあるのだけれど
なかなか見つからず
いや それは今はどうでもいい
雨の夜に走る車の中には雨は降らない
それは当たり前の話だ
余程の豪雨で古い車であるか
あるいは前が見えないほどの雨ゆえに窓でも開けない限りは
しかし車は外を歩く人たちと同じように
雨の中を移動して行くのだ
時には旅してさえいる
そして
雨は降っていないのだ
車の中にとっては雨は虚構に過ぎないようでもある
まして夜は暗く
現実との差異が曖昧になる時間
あの雨に濡れていく人たちが現実なのか
濡れていない車中の者たちが現実なのか
むろんいずれもが現実なのだけれど
夜の雨の中の車の中に居るように
僕たちは気づかぬうちに毎日の生活の中で
雨中の車のような世界に座っていることはないのだろうか
何一つ不思議でもなければ異様でもない
しかし
ただ車の屋根が在るだけのことで
雨に濡れる濡れないが切り分けられている
こんなとき
僕たちは何と言うべきか
「今夜は雨が降っている」
そう確信を持って言えるのか
そんなことを考えていたら
なんだか信号までが非現実に見えるような気がしたので
僕はピランデッロを何処かに閉じ込めて
走り続けた
家に帰ってから検索して
Henry IV が電子書籍で入手できることを見出し
何年来頭の隅に引っかかっていた
あの戯曲を読みなおすことができる
もっとも電子書籍にしては
随分高価な思い出探しになってしまったが
他の戯曲もついでに読むことにすればいいか
こういう時間のズレも何かしら虚構めいているなと思うのだ