彼はいくつもの複雑な葛藤の中に置かれていた
意図せずに
もうほとんど生まれ落ちたときに決められていたものも
自ら選んだことも含めて
並外れた才能を持って
持てば持つほどに葛藤は深まった
煌めく波の美しさに酔って
太陽の甘さに海の底しれぬ深さに酔い
ただミューズのために捧げるべき詩を理想として
それは繰り返す波音のように
いつ終わるとも知れない
少しずつ姿を変えてはまた訪れる
けれどその夢は時の中でいつの間にか醒め
夕暮れに飛び立ったミネルヴァの梟(ふくろう)に席を譲った
彼は情感の為せるわざを捨て
知り思考すること無窮の科学へと行く道を変えようと
それは言わば死者の家の上に建てられた塔だった
深みは高みへと変容し
波の撒き散らす乱反射の中で総てが変貌し始める
ポール・ヴァレリーはそうやって
自らを眺める自分をも眺めようとし
似た眼をしたジッドの勧めた方向とは違う方へと
見下ろせば深き淵のめくるめく底へと落ち始めていた
彼がこの詩を自伝的と半ば笑って言ったとしても
その詳細を誰が細々(こまごま)と知り得たことだろう
それはむしろ彼の中に繰り返された
思念と叙情の予告ですらあった
そこには繰り返しがあった
詩を捨てて思索に走ってから二十余年の後に
また詩を書き始めなければいられなかった
それはある意味悲しき堂々巡りではあったけれど
繰り返される度に深められてもいったのだ
永遠と見える海ではない者にとって
海は母であり敵であったのかもしれない
人の意識は思考に似て
いや思考とは歩行と操作の意識に過ぎないのかもしれない
繰り返される歩みは繰り返し自分を見つめてしまう意識となって
果てしもない循環になっていった
アキレスが亀に追いつけないのは割り算でものを考えたからだった
無限に細分化された少数の果ては見えない
けれどもし
アキレスの一歩と亀の一歩を引き算すれば
瞬く間にアキレスは亀を追い越して
いや飛び越えてしまったに違いない
しかし意識の循環はアキレスのように減算をしない
絶え間ない分数の無限な退行
そうやっ思索者は自らの影の中にさえ深淵を見た
墓石に映った影の奥底には水が湛えられ
その上を意識が幾重にも谺して
それはそのまま思索者の詩の身体の奥へと響き返り
墓地の土台の下深く潜んだ海にまで届いて荒れた
悲しみは怖れるに足らない
苦しみもただ苦しむことのみに息をそろえれば
けれど不安は
己のことだけではない総てのことが数多並んだ墓石のように
お互いに空虚な音を撥ね返し合い
詩と思索と生はあい矛盾するように思えたのだった
しかしそうやって人が葛藤の中で地団駄踏むときも
真昼の海は全く身じろぎもせずにそこに在って
ゆっくりと深い呼吸を続けていた
詩人であり思索者であった者がそのことに気づかないはずもなく
生が死として憩う場所でヴァレリーは絶叫しつつも
海に動かされて何がしかの意味を見い出し
「生きてみなければならぬ」と
風になり飛沫になって沈黙の音響のなかへと歩こうとした
il faut tenter de vivre
それは生きなければならぬとは言っていない
生きてみる
生きる試みをすべきだとしか言ってはいないジッド
いやあるいは試みることだけをと
「風立ちぬ」の詩人は
Le vent se lève! . . . il faut tenter de vivre!を
「生きめやも」と歌ったけれど
それは「生きよう」というただ力強い意思ではない
生きようと
生きようとすべきなのであるのだろうかと
死の間近にあることを知ってのぎりぎりの言葉のように震える
海を見下ろす崖の上の微風のように
深き灰の海底から吐かれた吐息だ
それをヴァレリーの覚醒と決意めいた詩と同じとは言えないと
そう考える人たちも居るだろう
そうなのかもしれない
しかしヴァレリーが
詩と科学の
情念と思索の
そして意識と試みる行為との間に見たものは
ほんとうに覚醒と決意だけだったのだろうか
音韻はもっと深い往復運動のように響動(とよ)もしている
真昼の海を望む墓地に立つ者にはそのように聞こえてくるのだ
ポール・ヴァレリー 『海辺の墓地』