倒立した女神 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある






 なぜ逆さ女神かと不審に思われるか

 また何か企んでいるなと思われるか

 それは読者各位の全くの自由であるが えへんっ

  相手が逆さまだといろいろわかりにくく

 上の写真の女神の表情は読めないので一旦逆転すると

 



 
 やっぱり表情は分からない
 だいたいこの種の像は表情がどうにでもとれるというか抽象的で
 それはまた見る人の気持ち次第で如何ようにも見えるようにしてあるわけで

 実はこれ
 かの左右非逆転鏡を90度回転してそれに物を映したらたらどうなるか
 一枚目の写真のように上下逆転してしまったのです

 まぁ中学の物理をしっかりやった人は
 あっ凹面鏡だと気づいたかもしれない
 前回の記事でも書いたけど
 この鏡は左右をひっくり返すようにできていたので
 縦にすれば今度は上下逆転するわけで

 そこまで考えるとふと
 あれれ 普通の鏡で左右逆転してるって言うけど
 首を右に傾ければ鏡の中の私の首もそろって動くのが
 左右非逆転じゃないの?
 と思った人もあるはず
 むしろ逆転してるの実体と鏡像があべこべになる
 左右非反転鏡の方こそ左右逆転ではないのか?!
 と言いたくなるのだが
 「いやいや文字を映せば逆転してるのが分かるでしょ!」と
 言われて何となく押し切られた経験のある人いませんか?

 ところで最近すっかり鏡像づいてしまったシガナキフー
 頭の痛い方もあるかもしれません
 是非ご容赦ください今夜もまたその話です

 I

 仏像ってありますよね
 仏の像(イメージ)
 まあ宗派によっては開眼法要とかで仏像に魂を入れるそうですが
 もともとこの有難い仏像は仏ではなく仏の像
 古代仏教では仏像を偶像崇拝として拒否
 そのために仏様の足跡だけを象って仏足石としたとか
 この話が僕は比較的好きでして
 だって仏様ではなくその偶像を拝むくらいなら
 足跡を見てそこの仏様が居られる(浮き上がる)のを
 イメージしていたほうが仏教らしいと
 (それにねぇ
  シンデレラのガラスの靴見てシンデレラを思うみたいでいいよねぇ)
 まぁそれはともかく

 仏像は仏ならずただその像のみという勢いで
 仏様ご本人と仏像とをわけて考える

 化身とか化性とか色々あるけれどそれは今は横に置いて


 II

 今度は実像と虚像
 ついホンモノとニセモノだと思ってしまいがちだが
 ホンモノは実体(実態ではないですよ週刊誌さん)
 
 今このページの写真の女神像が僕の手の内にあって
 感触からしてそこにあることが一応間違いないとして
 これが女神像の実体ですね

 光学の世界で言うところの実像は
 例えば豆電球を点け その横何十センチか離して 凸レンズを起き
 またそのまま何十センチか離してピンと伸ばした薄紙を
 豆電球ーーレンズーー薄紙を結ぶ線に垂直に置くと
 ああら不思議 薄紙に豆電球のコイルが映る
 まぁ古い家の木の雨戸に節穴があり
 そこから光が入り込んで雨戸の内側の磨りガラスに幻灯機
 ああら不思議外の木が映ってるなんてのとおんなじで
 光がレンズで屈折し集まったところに薄紙があれば
 そこに像が結ぶわけで
 それを人が見ていようがいまいが
 陽光と木と節穴と磨りガラスが有れば結像するのが
 これが これがですよ 実像で
 これはもちろん実体である木ではない

 では普通の鏡に自分の姿を映しているときに
 あっニキビあっ無精髭とか言ってるあれは
 ミラー・イメージ即ち鏡像ですね
 あれは虚像

 というのは光があなたから出て鏡にぶち当たり
 ある角度で戻ってきた
 鏡の向こうに像が実際にできるわけはない
 だって鏡の向こうは押入れかなんかで
 その中にあなたの像が浮かんでたら怖い
 つまり鏡像は実際には「無い」!

 ただあなたに跳ね返ってきた光の
 あなたに向かってきたのと反対方向に
 あなたが在るように
 あるいは実像を結んでいるように見えるだけだから虚像

 だから言うゾー 鏡像は虚像

 オーサムコサムマグナムで
 さて問題はここからだ

 凹面鏡つまりあっち側に向かって凹んでいる鏡
 放物線状ならパラボラで宇宙の音が聞こえるぞ
 これも鏡なのだが
 こちら側の面だけでしかもレンズのように透明でもないけれど
 レンズみたいに光を集め
 凹面に水を貯めたとするとその水面の円の中心近く
 水底の中央から水面の中心に伸ばした直線の上の
 何処かに焦点があり そこに像ができるのが
 これは光が実際にそこに集まってくるので実像

 でこの実像は実体が上下左右逆転したものになる
 でも「実像」なのだぞウ

 僕の左右非反転鏡は完全な曲面ではなく
 二枚の平たい鏡を「へ」の字に組んだものだから部分的な凹面鏡
 それを今90度回転して横から見れば「く」の字にしたもの前に
 置いた女神様はまさに実像なのだ (いいですか? ニヤッ)

 さあ鏡像なのに実像だぞう

 では鏡なのに虚像は無いのか
 まぁ僕の角ばった鏡では難しいのだが
 緩やかな曲面なら
 実物をどんどんこの凹面の底に沈めていけば
 上下反転していない大きな(拡大された)虚像ができる
 むろんそれは鏡の「あっち側」であってそこに「在る」わけではなく
 像があるように見えるだけ

 今度よほど暇があったらデッカイ凹面鏡を何処かで手に入れて
 (むかし僕のオヤジは直径が2メートルもある凹面鏡を持っていた
  今でも持っている人も居るだろう
  要するにそれは光を焦点に集めるので
  太陽光オーブンになるわけだ)
 大きな女神像を写してみたいとは思っているができるかな?

 さてこの話からわかったかもしれないが
 実像は見る人が居なくても結像して宙に(まあ何処かに)
 実在する(ただし実体が実在するのではなく実像が実在する
 でなければカメラだって写真が写せない

 ところが虚像ってやつは見る人が居ないなら
 捉えられようがない
 だいたい鏡は見る人によって
 見る位置によって見えるものが異なるでしょ
 要するに見る者に
 ある意味依存した現象なのだ
 
 III

 さて何にせよ
 実体ー>像
 実体ー>実像ー>虚像(要:観察者)
 なわけで色々実体の性質は少しだけ変わるけれど
 まあ基本的な性質の多くは維持される
 でも
 左右非反転鏡だと可愛い人なのに
 左右反転鏡(いつもの鏡)だと冷たく見えたりするのは
 ひとの顔がほんらい左右非対象だからで
 ちゃんと知人たちはそれを(気づいていようといまいと)知っているので
 左右が反転した友人の顔は何だかよそよそしく
 見知らぬ人のように見えるのだ

 実は先日
 実像を結ぶ光を逆転して
 実体を再現する機械というのが発明された
 名づけて実体回復鏡と言う
 3Dプリンターの理論の光学的応用だそうだ

 実像を台の上に置いてやると
 例えばしがなきふーの実像を置くと
 シガナキフーその人が再現される

 さらに装置の裏側に「虚像台」もあって
 そこに彼の虚像を置いてもシガナキフー本人が・・・・
 
 まぁ一休さんじゃないけれど
 実体の虎なしには
 実像も虚像も在りはしないので
 しかも虚像に至ってはシガナキフーを
 あなたが実際に見てみないとできないわけで
 この装置の話はいつものホラーじゃない法螺話かUSO放送

 でも在ったらきっと楽しいだろうなぁ
 でも像を作ってそこに置くのができない悲しみよ
 破れちまった夢の哀しさよ

 IV

 さて
 では皆さんまた来週お目にかかる前に次の話題

 夢は何でしょうか
 実像ですか虚像ですか

 何処かに光が実際に集まって像を結ぶものですか
 それとも見る人が必須の虚像なのでしょうか

 実体としての出来事が在って
 それが眠りの中に像を結んだと考えられなくもない
 しかしまたシガナキフーが空を飛んだり
 突然ライオンになったりするほど脈絡もなく
 事実関係もグチャグチャになっているから
 凹面鏡の光の経路みたいな
 字たちと像を結ぶ線は曖昧だ
 いやあるいはほとんどランダムで
 ほんの少しだけ関係がある程度
 のものなのかな

 手が届くといえば届くようでもあり
 触ったり匂ったりする限りではそこに在るようで
 けれどまた
 実体ではない

 V

 しかし実に人間の世界は奥が深うございましてな(昔物語風・・・
 例えば
 人の「記憶」
 今やその内容はそこに実体としては存在しないのに
 時にはまざまざと思い浮かべることがある
 そしてそれは
 あなたの今日の生きかたを左右することだってある
 でも実体ではない

 なんとも不思議なことではないですか

 VI

 いや
 まだあった
 感情
 
 感情は実体としての出来事があなたに映ったものだとも言えるだろう
 あるいはあなたの行動が実体として現実的に何かを引きおこすとき
 感情は実質的に何かをしたのだろうか

 さあ握って右に回したい気分になってきたぞ
 さあ回してやるからな
 頑張るぞ
 おお回ってきた
 そうだ回った 大喜びだ!
 といくら大感激して騒いでも手を動かさなければ
 トイレのドアノブは回らない

 さあさあ
 どうしますかね
 これから眠るとき
 夢を捕まえて入れるビニール袋を用意しましょうか
 そしてそいつを実体回復鏡にセットする


 VII

 これだけは言って置かなければいけない
 光が進むには極めて極めて短いながらも時間がかかる

 つまり
 実体と実像のあいだには空間だけでなく時間も横たわる
 ましてや
 見る者がいなければならないい(意味を成さない?)虚像に至っては
 どれだけ時間がかかるやら

 世の中は何事も光でさえも
 時間というものがかかるのさ
 まあある意味
 心は空間にではなく時間の中に在るものだからね