砕けやすき止水の鏡(2) | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 止水の鏡を砕くようにして
 頭から水を割って入り魚を獲る
 (1)で何枚かのスプラッシュ(パッシャン)映像を見てもらったのだけれど
 その多くは捕らえた魚が小魚だった
 遠目には魚を咥えているのかどうかわからない程度の大きさだ

 下の数枚の写真は同じ鳥の一回の漁をたどった連続写真で
 (といってもいわゆる連写ではないのと
  説明のために順番が変えてあり抜けもある)
 魚はかなりの大きさだ

 何だか白鳥みたいでもあるが鷺だ
 ただこの形は首の曲げ方や水に浮いているところなど
 確かに白鳥に似ているなと思う





 一枚目の写真から鳥は少しずつ向きを変えて
 顔が僕の方に向いてくるので横顔がだんだん正面の顔になり細くなる
 水鏡に映った両方の翼は実像の羽と合わせて4枚





 なんだかバタフライ曲線というのに似ているなと思う
 これがシンプルな(線が一重の)バタフライ曲線の例だが
 何重にも線を重ねた図も


 x = cos(u) (ecos(u) - 2 cos(4 u) - sin(u / 12)^5.0)

 y = sin(u) (ecos(u) - 2 cos(4 u) - sin(u / 12)^5.0)

 みたいな方程式で描くことができるのだそうな
 (ここでその説明などやらないからご安心を)

              
 
 バタフライ曲線の上の2枚だけを見ると翼を広げた鳥に見えないだろうか
 いや尾羽を少し大きめにすればバタフライ曲線全体が鳥に見えなくもない
 実際この曲線を紙に描いて円筒形の何かに貼り付けると
 鳥が羽撃(はばた)いている姿にそっくりだ

 水の中に
 水鏡の向こうにある大きな尾羽で
 鳥はバランスをとっているのではないかとすら思えてくる
 一枚目の写真では水の中の身体の部分が草色に微かに見える
 実はこの状態で鳥は水に浮いているのであって脚で立ってはいない
 いや立てない深さではないのだが立ってはいない
 なぜなのか鳥類学者に教えてもらいたいと思ったくらいだ





 本当に浮いているのか
 ではこの後この鳥が脚で立つまでの分解写真を(笑い)





 いかにも水に浮いているような姿から
 水を蹴ると同時に翼を広げて空気と水面を叩くように





 そして飛び立つみたいな格好になって水の上を
 忍者みたいに走る

 なんだか
 「おっとっとおおおお」と言っているみたいだ
 そこまでオトトにこだわるか





 でそのまま飛び立つかと思いきや
 ずぶずぶずぶ
 と水に脚をとられたみたいに沈み



 おっとっとっとっとと二三歩
 下手なローラースケーターみたいに倒れないように努力

 そして
 すっく



 羽が濡れて毛羽立っているのがわかるだろうか

 それにしても
 なぜこのような形なのだろう
 実は(1)のスプラッシュでは鳥は脚で立ったままだった
 ところが今回は獲物が大きかったので
 チョンあるいはパシャッでは勢いが足りないのか
 もっと体当たりでなければいけなかったらしい

 ちょっとだけ時計を巻き戻そう

 鳥は脚で立っている状態から突然
 関節が全部外れてしまいそうな勢いで身体を伸ばし
 宙にジャンプ
 脚から水が滴っている
 水中に大きめの魚を発見したのだろう
 僕の目には魚は全く見えないので
 このジャンプが起きるのはなかなか予測できない
 (しかし ある前兆はあるのだが)



 それからこんな
 いささか剽軽な姿になる

 あらよっと


 でこれから後が一枚目の写真になるのだが
 一枚目の写真では鳥はもう魚を咥えている
 実は一枚目とこの写真との間はこの例では撮りそこねてしまったのだ・・・

 何が起きていたかというと
 この半飛び状態から身体をほぼ水平に持って行き
 その位置で上半身から水の中に飛び込んだのだ
 猫や犬が獲物に飛びかかるスタイルに似ていなくもない

 そして羽ばしゃばあしゃあばしゃあああと大暴れして
 で
 あっという間に一枚目の「やったぜ」になる
 この間の写真がないのは大変残念なのだが
 上の動作が瞬時に起きるのでなかなか撮影は難しい
 そのうちヤッタルゾとは思っているのだけれど
 代わりにアオサギ氏のその状態をご覧あれ




 まあとにかく大暴れする

 結局この推移

 澄み切った波一つ無い止水を通して鳥は魚を探し見つめている
 そのとき波立てば魚の姿を見失う可能性が高くなり
 そこまでいかなくても正確な位置がつかめなくなる

 彼らの美しい姿を映していた止水の鏡は
 彼らにとっては鏡であってはならない
 鏡になってしまったら自分の顔を見るだけになり
 ゲンナリするだけだ

 波立って余計な反射をまき散らさない
 透き通る水でなければならない
 あの静かな歩行
 僕たちが見て
 静謐の時間だと感じる止水の鏡を
 砕かぬように静かに歩く

 そして獲物が見えた瞬間に
 鏡は砕かれて
 水飛沫が飛び散る
 静と動

 僕たちが美しいと思う
 止水の鏡は
 鳥たちにとっては死活を左右する
 緊張の時なのだ
 その緊張の時が
 なおも僕たちには美しく見える不思議

 鳥たちと見ている僕たちでは
 止水の意味が違うのだ

 ただ僕は
 止水の鏡に映る鳥たちの美しさに見とれていたのだが
 そう思い当って
 鳥の思いの一端にやっと辿り着いたように感じた

 それでも僕はこれからも
 美しき静寂の姿に見惚れることだろう
 ただ
 その静けさの意味は何がしか深まった気がするのだが



 そんなことを書いてきたのではあるけれど
 こんな鳥の姿を見ると
 もしかしてお前
 止水の鏡に映る自分に見とれていないかと言いたくなる
 ナルシッソスになるだけの美しさがある生き物だとは思うのだけれど
 止水に己を鑑みる時でもあるのだろうか






              次回シリーズ最終回は美しさを追いかける?