真夜中のコム・ゴギャン(12) | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 大切にしていたもの
 大切にしていたから小箱にしまった
 そしてそのまま
 いつの間にか忘れてしまったもの
 そういうものが人には幾つもあるに違いない
 この僕にしたって今まで生きてきた中で
 二つやみっつ
 いやそれ以上あるだろう
 忘れてしまっていたら数として数え上げることもできない
 だから自分が知っているより遥かに多く
 大切なものが引き出しの小箱の中に埋もれているに違いない

 僕は
 未踏にはそれがダフネではないと
 どうしてわかったのか知りたかった

 見かけはダフネと変わらない
 もしかしたら未踏と同じか未踏より背が高いのだけれど
 ほっそりとして
 顔を見れば実際の年齢よりも子どもに見える
 アンバランスなダフネそっくりなのだ
 違うのはダフネ2がしっかりと言葉を話し
 ごく普通の女の子のように人と向き合ってくる
 いや普通の女の子よりももっと強く

 ダフネに会ったばかりの未踏が
 この少女がダフネでないと直感した理由は
 未踏とダフネの間に生まれつつあった何かのつながりに
 関係があるに違いない
 それにしてもこんな馬鹿げた出来事を
 すぐに信じることは難しいことだった

 それなのに
 どちらかというと
 なかなか頭の切り替えができない未踏が
 ダフネが話すようになったと驚く代わりに
 ダフネ2の話すのを聞いただけで
 ダフネではないと判断した
 それは並外れた直感だった

 しかし未踏は「この子 誰」と言ったなり
 以前の未踏に戻ってしまったようにフリーズして
 微かに震えてさえいた

 僕は
 どうやって未踏に説明すべきなのか全く分からなかった
 僕の幻影
 僕だけにしか現れたことのないダフネ2を
 未踏が見ている
 いや未踏だけではない
 今ここにいるほとんどの人が見て聞いたのだ
 けれど
 ダフネでないと明瞭に感じとったのは未踏だけだったろう

 「未踏 ダフネでないとわかるの?
  こいつがおしゃべりするからか」と僕が聞くと
 未踏はほとんど舌を噛みそうに揺れ動く舌で言った

 「ダフネも話すわ 少しだけれど
  でもこの子はダフネじゃない
  ダフネじゃないわ
  ダフネであるはずがない
  私 息が苦しい
  ダフネなら私の息づかいの一つ一つを聞き取って
  私に息をさせてくれる耳がある
  この子にはない
  ダフネをどこにやったの
  K あなたのしたことなの
  私がダフネを貸してと言ったから?

  Kが私から離れていくような気がずっとしていた
  私たちが結ばれたら
  Kは私の息づかいが聞こえなくなる
  聞かなくなる
  そう思って不安なの

  ダフネなら居なくならずに私を聞いてくれる
  私に歌わせてくれる
  Kと同じ耳をしているの
  信じてたのに
  K
  どこなの
  ダフネはどこにいるの」

 「ここに居るわ」とダフネ2が静かに言った
 「ダフネに執着する者が現れれば
  いえ初めての人でなくたって見知った誰かが
  急にダフネに執着するようになったら
  私がダフネになりかわる
  それが定められていること
  そうやってダフネは切り離されていなければならない」

 それは以前にも聞いた言葉だった
 「未踏がダフネに執着していると言ってるのか」と僕
 「ちがう あなたよ K
  今はあなた以外の執着は問題にならない
  それに未踏さんは別」
 
 その言葉に僕は深く傷ついた
 未踏が「ダフネを貸して」と言ったとき
 僕があんなに取り乱した理由を言い当てていたからだ
 僕はダフネに執着している
 いや少なくとも執着し始めている

 人に執着することは悲しいことだ
 その人をも僕をも絞め殺すようなものだと僕はずっと信じてきた
 執着しても
 失われるときには失われるものなのだ
 人も命も
 そして
 あがけば足掻くほど息ができなくなるものなのだ

 ダフネ2が少し胸を張るようにして僕を責めたとき
 突然にあのひとが口を挟んだ
 「他の顛末も知っての上で言っているのか
  君は?」
 それは明らかにダフネ2に向かって言われた言葉だった
 他の顛末?
 一体全体何のことなのだ
 僕が「何を言ってるんですか」と聞く前に
 ダフネ2が微笑みながら答えた

 「それもあるわ
  その意味でなら私はあなたにとっても
  役に立つかもしれないけれど
  ただの共通の利益で
  それだけね
  すれちがう世界の束の間の共通の利益に過ぎないわ」

 あのひとが低く唸るのが聞こえ
 コム・ゴギャンの外で朝陽が昇り始めた
 どこか遠くで鶏が鳴いた

 それから
 バタンと車のドアが閉まる人工的な音がして
 更には次々に車が急発進する

 ダフネ2は言いたいことを言い終えたのか
 スカートの裾をきちんと両手で整えながら
 子どもみたいに
 すとんとソファーに腰を下ろした


 僕たちはいったい何処にいるのだろうか
 ここは何処なのか