水平鏡(すいへいかがみ)の国から | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 ちょっと今日は走りすぎて頭がポーなので
 退屈なおしゃべりを一つ

 だいたい鏡って垂直の壁に掛けてあるか
 掛けてなくてもまあだいたいほぼ垂直に立っているよね

 床に鏡を置くのは普通ではない
 ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』でもない限り
 (エロティックなところを取り上げられがちな作品だけれど
  感情も哲学も政治性も深くて悲しい話だ
  がその小説の話をするわけではない)

 垂直に置かれた鏡に平行に立って自分を見ると
 左右が反対だ(「反対」と言っていいのかどうかはまた別の話)が
 上下は反対にならない
 それはなんでだ?
 っていう論争が昔からあるけれど
 これについてここで論議したいわけでもない
 実際のところ湖に映った富士山は上下反対になってるわけで
 そのときは左右反対にはならない
 まあただそれだけのことだということに今はしておいて

 鏡に映った像ミラー・イメージは
 左右反対か上下反対かはともかく
 とにかくひっくり返せばピッタリ重なる像になっている
 まあ普通そう考えてしまうのだけれど
 そしてそういう意味合いで
 ミラー・イメージという言葉を使うことが多い

 さてここで
 急に可愛らしいペット吹きのペットに登場してもらおう
 しかもこのクマ君
 耐えられないほど軽い存在ではないが
 水平に置かれた鏡の国にいる

 でもって僕がスマートフォンで
 (あれセクシーフォンだったっけかな?いえこちらのlocalな話)
 クマ君のほぼ頭上から徐々に下の方へ下がりながら
 カシャカシャ撮ってみたのが下の数枚の
 ちょっとお粗末な写真なんだけれど

 さあ何がわかるでしょうか?
 クマ君が可愛いって? まあそれはそうさ
 皆さんは鏡に向かって自分の顔見るとき
 目や鼻や口が見えるわけだけど
 クマ君は自分の顔を見るのはちょいと難しい
 それはわかるよね

 で僕たちがカメラを下げていけば
 徐々にクマ君の顔の全体像が見えるようになる
 同じようにクマ君の身体もだんだん正面から見えるようになる

 さてそこでだ
 クマ君実物とクマ君ミラー・イメージは
 クマ君と鏡の接する線で反転したら
 どの写真でも富士山みたいにピッタリ重なるかな?

 重ならないよね
 重なりそうなのは下から数えて1枚目と2枚目くらいで
 この2枚もピッタリとは重ならない

 富士山が湖の水面に映っている写真を撮っている人は
 おそらくほとんど水面の高さに近いところから撮っているし
 しかも富士山を一枚に収めるためには
 そうとう遠くから撮っていなければならない

 僕とクマ君は仲良しだから
 そして彼は15cmくらいなので
 こうやって近くから写真が撮れたのだし
 ミラー・イメージと実物の形や見え方が撮る位置に從って変わっていく

 でも一番下の写真でもミラー・イメージのクマ君の目は
 見えるかな見えないかなくらいで額は見えそうもない

 逆もまたありでね
 クマ君の顎の下はミラー・イメージではどの写真でも見えるけれど
 実物のクマ君の顎の下は僕たちには見えない
 でも耳は見えてるよね
 ふうむ
 なんだなんだ

 つまりこういうシチュエーションでは
 実像と鏡像が反転すればピッタリ重なるなんてことは
 すごく稀なことだということになる
 しかし
 それはクマ君の立体的な身体のどこなのかで
 いろいろと微妙にヴァリエーションがあるんだな



















 で?
 で?
 で だから何なんだよ~って?

 いやクマ君可愛いだろって言いたかっただけなんだよ
 僕が大切にしているプレゼントなんだよ

 では今日はこのくらいにしてお休みなさい (^^)
 いい子は早寝しましょうね
 悪い大人は夜更ししましょうね?

 次回(かその次)の記事は
 『明鏡止水に生きる』(まだ仮題)というタイトルでおおくりする予定です
 クマ君はその予告編のチューター役をやってもらいました マル♪