幻視者の森 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 またいつの間にか木立に隠された森の中へ迷い込んでいた
 外は朝だったはずなのにここは夜
 なのに
 咽せ返るような葉と花の匂いがした

 白い馬を見た
 柔らかな腹と伸びやかな背をして濡れた真っ黒な目で僕を見た
 それから向き直り走り出す
 木々の幹の間を巧みに通り抜けていくのではない
 重く沈んだ森の木の幹に突進し
 そしてこともなげにするりと
 まるでセミが羽化するように木の幹を脱いで走り抜ける

 追いかけると
 ぴたりと万両の赤い実の横で立ち止まった
 鼻先にいた真っ黒な烏が舞い上がり
 馬の背に乗って一声啼いた

 また森が水底のように静かになり
 遙か頭上の高みで
 空が笑い声を立てていた

 僕が見ていたのは何だろう
 まっすぐな青い光が射し込んだ先にあったのは
 鬼百合と黒百合で
 百合たちが揺れると
 その強い香りとともに
 遠い蹄の音と耳元近い羽音が
 僕を信じられない甘さで苦しめた

 入り乱れた白鍵と黒鍵のように
 ああ
 この幻はこの曲が僕にまざまざと見せたのか

 手が止まると
 夜の森は白昼の影のように瞬く間に消えた