灯りをつけて | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 そうやって僕たちは外が完全に暗くなるまで
 静かにしていた
 実際にはそれほど長くではなかったのだろうが
 長い時間そうしていたと思えるほどに
 ゆったりと過ぎて行った時間

 春から色々なことが立て続けに起き
 出来事に追いまくられ
 あるいは押し流されかけている気がしていた
 その中でこの小一時間ほどの時間は
 時の流れからするりと逃げ出した時間のように思え
 身体中から緊張感が抜け落ちて行った
 ダフネはいつの間にか僕に倚りかかって
 目を閉じていた

 何時頃か
 暗闇がいっぺんに明るくなり
 白を基調とした
 というかほとんど白しかない部屋が急に
 暗闇から飛び出してきたように広がった
 足音は聞こえなかったけれど
 灯りが点く直前に僕は人の気配を感じていた
 あのひとか医師かのどちらかしか来ないと
 思い込んでいたので僕はそのままにしていた
 けれど
 すぐにあのひとでも医師でもない人物の
 僕たちを覗き込む顔が見えた
 女の人だった

 看護師のようには見えなかったが
 それは白衣ではなく薄カーキ色の
 ポケットがそこら中についている作業着か制服みたいな服を
 着ていたからだ
 髪はきちんとひっつめて奇麗にまとめられていた

 その人が少し驚いたような
 また僕たちがそうしているので安心したような表情だったので
 きっと僕らがベッドにいないので驚き
 ベッドを回り込んで僕らが静かにしているのを見たのだろう
 少し笑ったような頬
 口が開いて多分「あら?」とか言ったのだろうか
 見上げるとベッドサイドに食事が置かれているのが見えた
 その人が持ってきたのだろう

 それからまた何か言ったのだけれど
 今度は何と言ったのか僕にはわからない
 僕は「すみません 聞こえないみたいです」と
 言おうとし声も出したと思う
 でもちゃんとそう言えているのか自信はなかった
 おそらく何か不明瞭な言い方をしているにちがいない
 そのひとが不審そうな目になり
 戸惑っているのがわかる
 自分の状態を医師に話して
 どういうことなのか聞くつもりだったけれど
 こんな調子では
 とても伝えきれないという気がした

 その女性は人差し指を一本立てて
 頷いて見せ
 それからポケットからタブレットみたいなものを出し
 見たことのないものだったので
 多分院内での記録や連絡用の端末なのだろう
 それに向かって指を動かし
 僕に見せた
 「聞こえない?
  他に頭痛とかはどうですか?
  気持ちが悪いとかはない?」
 と書いてあったので僕は頷く
 もう一度
 「わかりました
  そういうことが起きるかもと言われてます
  ドクター呼んできます
  ベッドに戻れる?
  だいじょうぶ」
 僕が頷くのを見るとその人はすぐに
 ダフネをひょいと抱き上げて立たせる
 ダフネは何も抵抗しなかった
 それから僕の脇の下に手を入れて
 くいっと引っ張った
 僕が立ち上がるとまた人差し指を立てて
 タブレットを僕の手に残したまま
 頷いて出て行った
 恰好は違うが看護師らしい動き方だなと思う
 動きに余分なところがなかった

 5分もしないうちにあの医者が一人でやってきた
 僕はベッドに腰掛けダフネはすぐ横に立っていたが
 僕に何か言う素振りも見せずに
 さっさと手を伸ばし
 僕の瞼を軽く押し広げてペンライト
 それから左右の耳を覗き込み
 そうするときにダフネが少し邪魔だったのだが
 彼はダフネを押しのけるでもなく
 巧く避けようと上半身をくねらせた
 それががっしりした身体つきといかにも不似合いで
 可笑しかったので僕は声を出して笑ったのかもしれない
 医者はちらりと僕を見返して少し笑ったようだった

 それから
 同じタブレットを白衣のポケットから取り出し
 直後に僕の持っていたタブレットが振動した
 「リンクしたから これで話せる
  いつから?」
 「はっきりは・・昼頃から」
 「ほかに問題は?」
 「ありません 僕は話せてますか?」
 そう書きながら実際に言ってみた
 「ほぼちゃんと話しているが無理に話すな
  聞こえないので実験吃音みたいになって
  舌とか口の中を噛んだりすると
  傷が開く」
 『ほぼ』というのが気になったが
 「わかりました」と僕は文字で答える

 「他には変わったことないか?」
 僕は音の色について言っておくべきか迷ったが
 当座は関係ないだろうと決めて
 「ないようです」と打つ
 その後に返ってきた文字を見て僕は息を呑む
 「シナステジアは?」
 返答が遅れていると次のラインが来る
 「色聴があるらしいが」
 僕は思わず相手の顔を見る
 こんな話はMにもあのひとにもしたことがない
 「どうしてご存知なのですか」
 「なに 先生から聞いた
  小さいときの君はそうだったと」

 またか!と僕は思う
 僕はもう自分の小さな頃のことを
 それほど多くのことを覚えていない
 印象に残って消えないものもあったけれど
 それ以外のことは大学以降次第に薄らいでいた
 僕が崖の上の家にやってくるようになって
 それはダフネをどうしていいかわからなくなった面もある
 そうなって僕は自分のことを思い出さされる機会が増えた
 今回も
 もしかしてあのひとは折に触れ自分でも昔を思い出し
 またそれを意図的に
 僕にも思い出させている
 そう思えた

 「そうですか
  そうですね
  少しばかり強調されたかなと」
 それに対して返事はなかった
 代わりに
 「食事して
  終わったらコールする
  いいね
  その間に用意するから」
 「用意?」
 「手術」という字が画面に浮かび
 僕はドキリとする
 その僕の表情を確認した後で
 鼻の先で笑いながら
 「は必要ない
  ただ静注するだけだから」
 「薬?」
 「任せてもらえるか?
  95%確信あり」
 「よく状況が・・」
 「一種の解毒剤
  うまく行かない確率5
  任せるか??」

 僕は仕草でちょっと待ってと言う
 薬が怖かったのではない
 聞こえなくなって
 僕が得たものを失うかもしれないと
 そのことを本気で躊躇したのだった
 音の色が薄れることと聞こえないこと
 比較にならないことだ
 それなのに

 僕は隣に立っていたダフネを見る
 ダフネが手を5本の指をまっすぐに伸ばしたまま
 ゆらゆらと動かした
 その意味を僕は図りかねる
 いや意味などもともとないのかもしれない
 なのに僕はどこかで
 ダフネの同意を求めていた

 でも考えてみれば共感覚がなくなったからと言って
 ダフネの音を聞けなくなるわけではないはず
 その結論にたどり着くまでにずいぶん時間がかかった
 こちらから文字を打つ前に次が来た
 「心配するほどのことはない
  多少シナステジアが強まることがあっても
  生活に障ることはない」
 それを見て僕は首を縦に振る
 何で音の色を失うという気がしていたのか分からなかった
 とっさに思い込んだのか

 「よし
  食事して!
  しばらく食えなくなるから」

 僕にはまだ戸惑いがあった
 何を
 何だかわからない戸惑いが
 きっと分かることのない戸惑いだ
 何であるか考えたところでしょうがない
 もう決めたことだから食べなければ
 そう決めて食べ始めた

 ダフネは僕が食べ終わる頃まで僕の方を
 少し遠い目で見ていたが
 やがて座らずにトレイの上のパンを手にとって
 しげしげと眺める
 ようやくそれを口に持っていったとき
 ドアが開き少し疲れたふうのあのひとが入ってきた
 いろいろと僕の知らないことがいっぱいあるのだろう
 僕には何も知らせずに
 動き回っているのだろうと
 僕は少し腹立たしくなる
 でもあのひとが僕をここに連れてきたのだ
 当分は知らないことがあっても
 知る必要はない
 文句を言う筋合いではない

 そう思って
 僕が何か言おうとする前に
 あのひとは自分の耳を指差す仕草で
 全部聞いていると言う
 それから多分「家に帰ったら」ということなのだろう
 運転するジェスチャーの後に
 何かに気づいて箱のようなものを開け
 中から取り出したのだと笑顔で示し

 僕に僕宛のエアメールの封筒を差し出す
 見ただけで僕にはわかる
 それがMからの手紙だと