世界の音と僕の手足 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 ダフネが僕の手を小さな胸まで導いたのは
 「私を愛して」でないことは分かりきったことだった
 それでもダフネは何かが示したかった
 言葉では言い表わしきれないこと
 微妙で曖昧なことというわけではなく
 ダフネにとっては言葉として紡ぐことができないような

 僕があのときダフネの「私を」をどうとらえたか
 ほんの短い間に錯綜しきった頭で
 僕はいくつかのことを考えていた
 「私を助けてくれたのね」が最初に浮かんだ言葉だったが
 それがいつの間にか
 「私を愛した?」という疑問文に聞こえ出し
 最後に僕が何となく納得できた答は
 「私をつかまえていて」だった
 それもダフネの場合は物理的にという意味だったろう
 気持ちの上でつかまえていてほしいなんて
 そんなことをダフネは考えない
 そもそも「気持ち」なんていう単語は
 ダフネの世界にはないのかもしれないし

 ダフネが自分の胸まで僕の手を引っ張っていったのは
 なぜか僕の耳が聞こえなくなっていることに気づいたせいもある
 そして聞こえない僕に
 言いたかったことはきっとこうだったろう
 「聞こえる?
  ダフネは生きているわ
  心臓がこんなに早く打っている
  わかる?」
 そしてそれはあの晩の出来事を反芻するとき
 とても重要な最後の言葉のはずだった
 「聞こえる?
  ダフネは生きているわ」
 そう思って僕はダフネの鼓動を指と手のひらで
 感じ取ろうとした

 そして
 そこには確かに
 いのちがあった

 僕は床に両足を伸ばしたまま上半身を起こし
 ずるずると後じさりしてベッドの足にもたれかかってから
 ダフネを手招きする
 ダフネはもとから分かっていたかのように
 すっと立ち上がって僕のところまでくると
 僕の足の上に横座りになり
 それから大きなパジャマの襟をひっぱって
 胸を開いて見せた
 『聞いて』
 そう言っているのだと僕は信じて手を伸ばし
 左の乳房をの半分くらいを手のひらで覆うようにして
 ダフネを聴いた
 
 ダフネは確信に満ちたような表情になり
 少し上体をそらすようにして
 深く息を吸い
 そして吐いた
 その深呼吸は
 「さあ聞いて」と言っているように
 そうでなければ
 ダフネの何かを僕にどうしても伝えたいと思っているように
 深く何度も繰り返された


 秋の陽がさっさと落ちた部屋は薄暗くなり
 そのときになって僕はこの建物が
 かなり高いコンクリートの塀と
 塀のないところに植えられた背の高い植木に囲まれているのに気づいた
 ずっと見ていたのだけれど
 気づかずにいた
 二階か三階の部屋の床に座った僕の目に
 窓の外の木や塀が見えるほどに高い

 聞こえなくなって僕はいろいろと困ることがあると
 予想していた
 人は聞いていないようでもいろいろな音を聞いているものだ
 スマートフォンにイヤホンを差し
 少し大きなヴォリュームで音楽を聞きながら
 螺旋階段を降りてみればわかることだ
 実際僕にもその経験があって
 耳を音楽が塞いでいないときなら
 不安に思って階段を見ながら降りたりはしないのに
 見ないと階段を踏み外しそうになる

 目で見て空間の広がりを判断しているようなときにも
 僕たちは音を聞いているのだ
 そうした音が尽く聞こえなくなれば
 毎日の生活がどうなるかは
 少しは予想できる
 母の友人の一人は病気で急に聴覚を失った十日後に
 慣れ親しんだ自宅の階段から転げ落ちたのだそうだ
 微かな足音
 自分の手足が周辺の床や壁に打ち当たって返ってくる反響を
 参考にしながら階段を降りている
 そう気づいたのだと

 それだけ人は音を聞いて生きている
 その人は音を聞く仕事の人ではあったけれど
 そうでなくたって音が聞こえないことの不自由さは
 想像を超えているに違いない

 人は何かを見て聞いて
 それを脳が捉えて考え結論を出した後で動くのではない
 見て聞きながら動き
 動きながら見聞きし続ける
 世界との不断の交流があって生きているのだと僕は思う

 前にも言ったかもしれないけれど
 僕はそれほど明瞭なタイプではないが
 共感覚があるらしく
 ときどきだが音の色が見えることがある
 自分でも音を立てるのだけれど
 僕の場合は楽器の出す音に色が見えたことは
 少数の例外を除いてほとんどない
 人の声や風が鳴らす葉や枝の音
 それから少し不規則な水音が色になる
 それは非常に限られた場合にしか起きないので
 僕はすぐにそんなことを忘れるのだけれど
 
 色も音も波だから例えば音が高くなれば
 色の方も赤から橙
 黄色緑青というふうに
 音に連れて変わっていきそうなものなのだけれど
 少なくとも僕の場合はそうは行かない
 だいたい世の中の音は
 楽器にしろ声にしろ
 いろいろな高さの音の複雑なミクスチャーなので
 僕に見える色も微妙に混色する

 奇妙なのは聞こえなくなって
 それにつれて色も見えなくなるということにはならず
 むしろ色が強められてきたというか
 そんな感じがしていたことだった

 前に僕を実験台にした心理学者だか生理学者だかが
 言っていたのは
 いろんな感覚が未分化なのが共感覚だということだった
 つまり音を聞いても音が聞こえて更に色が見える
 聞こえた音が頭のどこかで色にも変換されるというわけだ

 だとしたら今の僕は
 聞こえなくなっているけれど
 鼓膜が破れたとか
 頭蓋骨の中で出血が起き
 それで聴覚神経が圧迫されて音を伝えなくなった
 とかいうことではないことになる
 音の色が見えるなら音は脳の途中までは届いているのだ
 今僕の抱え込みかけている困難は
 聴神経のもっと先のことなのだろう

 僕はダフネの胸の往復運動を
 そして呼吸の音と心臓の鼓動を聞きながら
 少しずつ冷静になってきたのか
 そんなことを考え始めていた
 あの腕利きだという医者が来たら聞いてみようとも思った

 僕はこのまま聞こえなくなったときのことを考え始めたのだけれど
 それが慢性化するのか
 この数日で消えるようなことなのかは分からなかったので
 考えはそこで止まって先に進まなかった

 でも
 そういう困難の予想とは裏腹に
 僕は次第に聞こえないことを特別な幸運なのかもしれないと
 思い始めてもいた

 聞こえなくなって僕はダフネの言葉を
 それは行為で示される言葉に過ぎず
 声も単語も伴わない
 それだけの言葉に過ぎなかったけれど
 でも明らかにそれは
 話さないダフネにとって言葉なのだった
 その声にならない言葉を僕が
 聞き取れるようになっている
 ならば
 これは悪戯好きの運命とかいう奴が
 僕に
 ダフネの言葉を聞くようにと
 敢えて与えてくれたことかもしれないと


 そう考えたせいか
 もっとダフネの音を聞きたいと思ったのか
 僕は思わず
 ダフネの胸に当てた手に力を入れたらしく
 ダフネがビクッとなって
 それから僕の手を自分の手で押さえた
 ダフネの乳房の上で熱くなった僕の手とは対照的に
 ダフネの手はひんやりと冷たかった
 鼓動が少し速くなり
 ダフネはふっと息を止め背を少し伸ばし
 また深い呼吸を取り戻そうとする
 いつまでも鳴らすから
 いつまでも聞いていてほしいと言うように


 音が聞こえなくなるならそれでもいい
 僕は好きな音楽を
 フルートやティンパイプ
 ピアノや幾種類かの弦楽器すべての音楽を失うかもしれないけれど
 でも僕は
 その代わりに
 ダフネという音楽を手に入れる
 声も音も言葉もない
 踊る音楽を