道 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 来た道を辿るだけでも
 小さな山道は
 来たときとは異なった顔をする

 少し丘から下ったところで道は「つ」の字に曲がっていた
 来たときには気づかなかったが
 そこにもまるで一休みの席のように小さな石があった
 その石の右半分を蔦が被い
 それがドングリでも落としそうな木に這い上がっていた
 登る時には足元に気を取られ気づかなかったのだろうか
 木に絡み付いた辺りに幾つも莢状の実がなっていた
 もうほとんど黒く乾こうとしている
 その形に興味をひかれたのか
 ダフネが手を伸ばして莢を取ろうとするが届かない
 何度か跳び上ってから僕を見た

 実を取ってほしいのか
 そう思って手を伸ばす鼻先に
 萎れたまま乾いている花に気づいた
 「ダフネ これはやめておこう」と僕
 僕の記憶が正しければ
 これは定家葛(ていかかずら)の花だった
 地に落ちずにひからびている

 定家ほど歌を詠む能力があれば植物に名を残すのだなと思ったのは
 ずいぶんと以前
 定家葛が好きで庭に植えていた祖父の笑顔が身近にあった頃だ
 愛した女の死後も女に焦がれて
 蔦となって墓に絡み付いたとは
 歌詠みの生き様としてはいいのだけれど

 「多分 毒があったと思うんだ veneno」
 「veneno?」
 そう聞き返したように僕には聞こえた
 けれどダフネはさっきより熱心にそれをとりたがる
 有毒といってもどれほどのものか僕にはわからない
 凌霄花(のうぜんかずら)だって有毒植物だそうだから
 気がつけば僕たちは有毒植物に取り囲まれて暮らしている
 でもそれを本当に毒に変えるのは人間の仕業
 しかも秋口にはもう毒も樹液同様品薄だろう
 そう思って僕は思い切り跳び上って莢を二三個つかみ取った

 その勢いのせいで
 蔦と木の間に挟まったまま押し花のように枯れていた花が
 地面に落ちた

 実は乾いていたのでダフネに渡す
 好みは冬になるとタンポポみたいな綿毛
 いや綿というよりは如雨露から出る水みたいに
 お互いに絡むことなく一本一本が広がった繊維をはじけさせ
 寒空を舞って行く
 でもこうして手に取れば
 閉じた莢のまま終わる
 ダフネにそんなことを伝えたかったが
 そのすべがなかった


 家の前まで来たとき坂をあのひとの車が登ってくるのが見えた
 こちらに気づいたのか
 窓から顔を出して手を振る
 若いなあと思った
 年齢というものを感じさせないというのは嘘になる
 けれど年齢を超越している
 そう言えばあのひとの形容としてはまあまあだと思う
 特に旅から帰ってからは
 急に老け込んだかと思うとまた若返る

 車が僕らの前で止まり溌剌とした声が
 「仲良く散歩かね」と聞く
 「え まあ あの丘の上まで行ってきました」と僕
 「丘?」
 「丘というか林の蔭の小さな広場って感じですか」
 そう言いながら丘の方を振り返る
 この位置からは丘は見えない
 「ああ それなら葛山の頂上だろう」
 「山?」
 「いやこの辺りの人がそう呼んでるだけで山とは言えんな
  私も以前は細君と行ったことがある
  季節には定家葛の花が道を覆うくらいになる
  おお ダフネ それは食べられんよ」
 見るとダフネが莢を一本
 唇と鼻の間に挟んで笑っていた

 「おおそうだった
  Mさんのお母上にお会いしたよ
  Mさんに似て
  なかなかの器量の持ち主だった」
 「器量?」
 「いや容貌だけでなくね」とあのひとが笑う
 「ついでに昼飯まで御馳走になった」

 外交官というのは隠居していても
 人あしらいがうまいのか
 送って行ったからといって初対面で昼食を御馳走になる
 僕にはできっこないと思う

 「Mを送って行ったんですよね」と聞く
 「ああ しばらくは戻らない感じだな」
 「しばらく?」
 「まあ 2週間というところかな」
 なぜと聞く代わりに僕は言う
 「そういう時間の長さって何が決めるんでしょうね
  いったい」
 「ははは まあ そう言うな」とあのひとは屈託なく笑う
 「ああそうだ 車に乗り給え
  私はときどき車を使うかもしれないので
  君の車もこっちに持ってきたほうがいいから」
 「ずいぶん 急な話ですね」と僕
 「急?いや そうかな
  君もMさんがいないとなると
  それにもう夏休みでもない
  ダフネをバレの学校に戻す時だと思っていたろ?」

 それは図星だった
 帰る道々僕の考えていたことはそれだった
 夏に海が近いときには
 そしてダフネがユニィオに夢中になっているときには
 バレの学校は遠かった
 でももう秋
 僕も昼は忙しくなるだろう
 だからそれは思いつくべくして思いつくことだった

 「さあさあ 乗り給え
  車取りに行きがてら校長にも会いに行こう
  私も久しぶりにあの人の顔が見たい」
 久しぶり?
 あのひとが校長と顔を合せたことがあったというのは初耳だった
 前から知り合いめいた関係かなとは思ってはいたが
 それはお互いの仕事の関係から名前を知っている程度なのかもしれないと

 車が方向を変え走り出す
 家の中に一旦戻りもせず
 僕たちは葛山からの道を延長して街へと下りて行った

 海はまた僕たちの道の遠景になっていた
 微かだが波が立ち始めているのがわかる
 それから僕は
 ダフネも僕も朝からまだ何も口にしていないことに気がついた
 どこかでダフネと一緒に食事をしよう
 そう思った

 もう午後の2時を過ぎていた
 まだ浅い午後だったけれど
 なんだか長い一日になるような気がした
 隣でダフネが二本の莢を髪に挿し
 もう一本を口の上に載せて
 おどけた兎になっていた