木のコード | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 それはただ単に僕に何かしらの満たされた感情があり
 その感情を木々に投影して
 木々がまるで僕の一部に感じられただけかもしれない
 そう最初は思っていた
 確かに人は自分の感情を外の世界の何かに託してしまうことがある
 楽しい恋をしていれば
 鳥が楽しげに歌っているように思えたり
 花が笑っているように思う

 でも僕のこの日の感覚は少し違っていた
 キラキラと違いが際立っていたとは言わない
 どこかがまだとても曖昧で木への親しみはまだ僕の主観に過ぎないのだろうと
 思う半面
 そういう主観を投影してしまう経験は何度もしたからか
 この日の感覚がそれとは違ってどこか新しいということが
 ゆっくりとだがだんだん明瞭に感じられるようになっていった

 例えば木が踊っているように見えるのは
 単に僕の心が躍っているからだけじゃない
 風が吹いてきて枝を葉を揺らしてもいないのに
 もし木が踊っていると見えたのなら
 それはきっと僕の主観に過ぎなかったろう
 それどころか幻覚だと言われたってしょうがない

 でも物である木や石
 あるいは釘みたいな金属の造型にも表情がある
 細い釘がいっぱい入った釘箱に
 強い磁石を近づければ
 釘たちはまるでそろって引きずられるように動き出す
 砂浜の砂鉄の中に磁石を入れても同じだろう
 釘にも砂鉄にも磁石に合わせて小踊りする気持ちなんてない
 でもそこには確かに「表情」がある
 その鉄としての性質が
 磁石に引きずられる引きずられ方が表情を生み出している
 それを僕は見て何だか楽しくなる

 それだってもしかすると
 運動会の棒引きで相手があまりに強すぎて
 いくら自分の陣地に引っ張り込もうとしても果たせず
 逆に相手に引きずられ
 必死で棒のかじりつき
 そのまま引きずられていく子どもたちを
 僕らは見て笑う
 そういう経験と可笑しさを
 釘や磁石の動きに写し込んで僕らは笑うのだと言えなくもない
 けれど
 この日の僕は自信を持って「違う」と言える気がした
 釘や磁石の動きそのものが楽しく可笑しいのだと

 ダフネと僕が座っている石は
 人間がそこに配置していったものではなく
 この頂き近くの木が切られたか
 豪雨で山が崩れたときにむき出しになったものだと思える
 なぜならそこには人間らしい小細工がなかった
 配置を巧みに決めて何人もの人が座りながら景色を眺められるようにしたと言うには
 石は奇妙にくっつきあって
 そこには人が両足をそろえて下ろせるような空間がなかったのだ
 でも僕ら二人には
 二人ほどなら無理なく座って足を伸ばせるところがあった
 「さあどうぞお座りください」と
 石が思ったり望んだりしないことは誰もが知っている
 石に魂があると言ったりすれば
 ずいぶん詩的な物の考え方をするねと言われるだろう
 そこには本当にただ偶然があっただけなのだ
 それでも僕らには石たちは
 座る空間を供給してくいれていた
 そのことには嘘も無理も思い込みもない

 つまり石にも釘にも砂鉄にも
 おそらく魂はないけれど
 それらはただ事実として
 僕らが楽しいと思える表情を浮かべている
 擬人化して言っているのではない
 磁石に引きずられる砂鉄の動きそのものが楽しいと言いたいのだ

 おそらくダフネには
 僕にはうんざりするほどある言葉がない
 もしかしたらダフネの中には
 普通に僕たちが皆で「こころ」とか呼んでいるものすらないのかもしれない
 でも
 例えそうだったとしても
 ダフネが僕の下手なウクレレを聴きながら
 腕を挙げては揺らし
 座っている足を踊るときのように動かしたことは
 嘘でも幻覚でもない
 そうだ
 僕はこの時ダフネの心なんかどうでもいいと思っていたに違いない
 あの両腕と両足の動きと横顔の表情だけで
 僕は幸せだった

 あの両腕と両足の動きと横顔の表情が
 磁石に引きずられて動いていく砂鉄の動きと同じレベルのものだったとしても
 僕はそこにダフネが
 踊りたい曲を聴きながら
 でも踊るよりも聴くほうを選んだという事実を見た
 それはとてつもなく重要なことに違いなかった
 ダフネは踊るための曲を要求したのではない
 聴くためにそれを望んだのだ

 後になってみれば
 こうやって言葉が
 そのとき何があったのかを語ろうとし始める
 でも当のその時には僕は言葉一つ思い浮かべはしなかったし
 それゆえ
 考えらしい考えもなかった
 ダフネも全く同じだったに違いない
 いや僕がダフネの日々の生き方に近づいた
 と言う方が正しいと思う

 その林の木も
 何かが特別だったとかいうわけではない
 ただの木だ
 枝を伸ばし葉を蓄えて立ち尽くす
 ただそれが座れる石を与えられて座っている
 目の前に立っていたというだけだ
 誰の意図も計画もない
 ほとんどすべては成り行きで起こったことなのだが
 その成り行きこそが神秘だと言えなくもない
 その石と林と僕らの配置が
 僕に何か決定的なものを供給してしまったからだ

 もしかするとそれはダフネにも同じように感じられたのかもしれない
 あるいは僕がその時になって
 『ああ何か僕は考え違いしていたのじゃないだろうか』と思ったようには
 ダフネは感じたりしなかったということも十分ありそうだ
 なにしろダフネはもとから木のように言葉を知らない
 でも木と同じようにそこに生きていて
 さまざまは表情を僕に投げてくる

 木と僕のあいだの
 ダフネと僕のあいだの距離感が失われたと感じたのは
 最初僕の主観であり思い込みであるのだろうと僕は思ったが
 それは実は正しくはなく
 おそらく今になって溢れてくる言葉が説明しようとしているようなことが
 実際に起きたのだ

 僕が木を見て思い感じることと
 ダフネが木を見て思い感じることは同じではないだろう
 なぜならダフネは僕でなく僕はダフネではなく別々の人間だから

 でもすべてが僕らの主観なのではない
 そこには「事実」がある
 立っている木
 風に揺れる枝
 葉叢を透過してくる陽光
 僕らが座ることができた石
 そしてそれらと僕らの位置関係
 それは動かしようもない事実
 しかも
 ダフネと僕にとっての共通の事実
 ダフネと僕の主観を結びつけ
 ダフネと僕の距離をゼロだと感じさせたのは
 その細かなごく在り来りな事実だったのだ

 言ってみれば
 それは木それ自体が持っている
 木のコード
 ダフネも僕もそれを見たか聴いたか
 いやどういう感覚でもいい
 とにかく僕らは木のコードを感じ取り
 そうすることで
 木がダフネと僕を木のコードで結びつけたのだ

 それは
 ハクが意味深に
 僕が探さなくてはいけないと言ったコードに近いものだったのかもしれない
 それはもしかすると
 僕たちのとは少し異なった別の言葉

 それはまだ不確か過ぎる憶測に過ぎないけれど
 でも僕は少しだけ
 ダフネ・コードを読み取った気がする

 不意に僕の口が「ありがとう」と言う
 ダフネが不思議そうに僕を見る
 そう
 アリガトウは君だけにではなく
 木にも言ったのだ
 そしてこの時間
 僕らを包んでいた物事のすべてに