空気が鳴る夜 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 静寂の中を一回の雷鳴が崖の上まで届く夜
 僕は庭に出て暗い海を見る
 ダフネが相変わらずユニィオと追いかけごっこをしているので
 Mも庭に出てくる

 あの後も
 ほんの二三度稲妻が沖に見えたけれど
 もう雷鳴は届かなかった

 「こうやって好きな時に海が見えるのって素敵」
 Mが独り言のように言う
 風が少し強くなり
 庭木を揺らし始める
 涼しい夜だった

 何の音なのか分からなかった
 最初は静かな海鳴りかと思ったが
 波の音ではなかった
 風が枝の間を過ぎていく音なのか
 いや
 風のひゅーという音とも違う

 風がフェンスを揺らすのか
 まるで空気が軋むような音だった
 いや軋むというより
 空気が小刻みに震えてでもいるような
 
 ユニィオが家の中でさかんに吠えた

 確かに風ではない
 音はフェンスや垣根
 門柱が震える音だった
 まるで何かに共振したように
 「地震?」とM
 「いや違うな 地面は揺れていないし」
 でもフェンスに手を振れると微かだが振動しているのがわかる
 「気圧が急に変わったのかもしれない」

 けっきょく何だかわからないまま
 空気が半時間ほど鳴り続け
 やがて静かになったかと思ったら
 一気に風の勢いが増し
 庭灯の中に浮き上がる木の姿が揺れ始めた

 空に星は見えない
 庭の灯りが幻灯機の光源になって
 僕たちの影を雲に映した
 
 「明日は大丈夫かな」とMが僕の顔を見ながら言った
 「嵐になってもキャプテン殿は全然気にしないだろうな」
 「キャプテン?」
 「クルーザーの持ち主だよ」
 「嵐になっても?」
 そう聞かれてなぜそう言ったのか思い出した
 あの日も最初は天候が荒れていた

 明日はどんな日になるのだろう