ダフネという何枚もの絵 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 きっと僕はこのページを何度も書き直すことだろう
 定まりきらぬ想いと
 確かめきれない答のせいで


 ダフネは
 ダフネは絵なのかもしれないと
 今のダフネは
 いままでのダフネは
 今の僕にとって
 これからの僕にとっても

 淡い桜色の肌をして
 裸で緑の芝生に寝そべって足をバタつかせているときも
 黒い静かな服を着て影のように踊っていようとも
 その運動は時間の中で進んでいくものなのに
 なぜかダフネはゼノンのアキレスのように静止して
 走りながら前に進むことのない
 何十枚ものドガの絵のようにそこにいる

 ダフネの身体は紙の上に描かれてなく
 体積のある柔らかな立体で
 鼓動する心の臓は柔らかい胸の奥に沈められて打ち続け
 細長い手足が胸の前を揺れ
 腰の横を通りすぎ
 身体の陰に隠れてはまた現れる
 光の届かぬ襞さえ持っていて
 白い肌の向こうには赤い血の流れ
 その奥行きがありながら
 そのまま一枚の絵であるかのように

 出会ってから今日に至るまで
 日々を通って歩いてきたはずなのに
 いつまでも時間など忘れた者のように息をする

 僕の腕の中で眠る夜でさえ
 言葉なく
 甘い匂いはまるで描きたてのアクリル絵の具の匂い
 僕には何も考えることをさせないで
 温かい胸のふくらみですら
 何歩も離れた壁に掛けられた絵のように遠ざかる

 僕が愛しているのは
 ダフネという絵
 在るだけで何一つ指し示すことはなく
 目指す未来を持ち合わせない
 愛されることがあったとしても
 人を愛することなどするはずのない絹のキャンバス

 だからこそ僕は
 ダフネが言葉を取り戻すすべを探しながら
 どこかでそれを妨げようとしているのかもしれず
 時間に汚されないまま
 無時間の絵のように生きていける者であれと
 ダフネに願う自分に狼狽える

 
 僕はダフネの言葉の糸口を
 少しずつつかみつつあるのかもしれない
 言葉の光が曙光のように見え始めている気がするからだ
 そしてそれはMがやって来て
 言葉とはときどき裏腹の者でありながら
 言葉に出さずにはいられないMがやってきて
 予想もできないスピードで加速していくように見える
 なのに
 速くなればなるほど僕の足は重くなる

 あのダフネの分身が言ったことは
 「Mさんに愛されてダフネは私になっていく」
 淀みなく言葉を話すダフネ2に
 ダフネがそうなったとき
 絵であるダフネは時間に切り裂かれ
 時間にまみれた人としてのダフネがやってくる

 それはダフネにとって幸せなステップか
 いや僕は聞くべきだ
 僕にとってダフネにとってそれは幸せな数歩かと
 二重になった「にとって」こそ
 僕がダフネに寄せる錯綜した想いの有様を
 形にしたものにちがいない

 だとしたら
 それを素直に認めるならば
 この僕は心やさしいMをダフネから遠ざけて
 ダフネを夕闇に花水木の咲くオペラ座に
 霧に霞んだ崖の絵の中に
 永久に閉じ込めようとするだろう

 決してそれは正しい行為ではないにちがいない
 そんなことをしでかしそうなほど
 僕は何を恐れているのだろう
 まるでダフネを失うことが
 僕自身を失うことでもあるかのように

 それほどまでに
 なぜ僕は
 ダフネという絵を抱きしめるのか