物である絵 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 絵はいい
 見ているとすべてを忘れる
 美術館や展覧会に行くと僕は何時間も絵の前に座っていたりする
 ベンチやソファがなければ立ったまま
 もちろん良い絵でなければいけない
 良いというのは僕にとってのことで
 僕に美学の専門知識があるわけではない
 知識がないからそういう知識から絵を見ることはなく
 純粋に好き嫌いで相対しているから
 だから何も考えず時間を忘れ
 絵を見た後は空白だけになる
 何と言ったらいいか
 それは満たされた空白だ

 絵の前で僕が空白になれるのは
 たぶん僕の考えでは
 絵が「物」だからだ
 キャンバスも紙もそして絵の具も
 むろん絵は見る位置や照明の加減でまったく違う物になり
 ときどき僕は展覧会の間違った照明に苛々する
 けれど絵が物であることに変わりはない
 いや絵には描かれた物があるのであって
 それが絵と呼ばれるものなのだから
 絵は物ではないと言う人もいるだろう
 でも僕は絵にテーマを見ない
 もちろん何が描かれているかはわかっても
 描かれたものが好きなのではないから
 やはり僕は物としての絵を愛している

 あれこれ矛盾だらけの言い方であるかもしれないが
 でも僕はそういうやり方でしか絵を愛せない
 物であり
 そのこと以外に意味もなく
 何ものをも指し示すことのない絵を
 僕は深く愛していると思う
 たぶんとても不器用なやり方で

 彫刻も物であり
 そういう意味では彫刻の前でも僕は沈黙する
 そしておそらく彫刻の方が造る人とっては
 絵よりももっと物めいているのだろうが
 僕は彫刻に構造をみてしまうことが多い
 それは僕の頭の中に知識や思考を呼び起こしてしまうのか
 絵の前にいるときほど無心にはなれない

 絵には物語があることがある
 でもそれは僕には二次的なものにしか思えない
 描かれた物が何であれ絵が絵であるように
 物語もその一瞬が絵に固定されているだけだから
 物語がどうであれ絵は絵なのだ

 僕が絵が好きなのは
 僕には
 詩に対する密かな敵意があるからかもしれない
 詩には時間が必要であり
 前と後があり文脈がある
 詩が語の順番を超えた和音を作り出せるとしても
 それはたかだかアルペジオ程度に過ぎず
 ただ一瞬のうちの和音を奏でる絵とは違う
 いや絵は音ではない
 音にも時間がいるからだ
 そういう意味では
 絵が音楽を超えたものであると思うことが
 僕にはある

 そしてまた言葉は「物」ではない
 水に書かなくても言葉は過ぎ去り消え去っていく
 文字になっている言葉はインクや墨として
 物であるかもしれないが
 でも言葉の言葉である根本は
 文字として書かれたものではないと僕は思う
 物の世界に生きている僕たちは自身また物でもあるが
 その物が作り出す言葉は物にはなれない
 絵が物としてそこに現前する強さを
 言葉が持つことはない
 言葉は時間と同じように脆弱なのだ

 もちろんどんなに敵意を抱こうと
 僕は言葉が好きだ
 けれど言葉は僕に自由を与えない
 絵があんなにも易々と僕に与えてくれる自由をだ