ダフネのダイブで慌てふためいたのは大人たちだけで
一度は冷えて歯の根も合わず
青ざめていたダフネも五月の日射しに暖められて
日焼けするほどになった
僕の方がそれから午後中
すっと頭痛がして困ったくらいだった
夕方家に戻った後も興奮が冷めないのか
泳ぐ仕草や波の表現が繰り返し続いた
その踊る仕草の合間に
ダフネは僕のところに来ては「ボート」と言う
どうやらあの船は「ボート」になったらしい
それがまたクルーザーに乗りたいという意味合いで言われているのが
ダフネの憧れるようにキラキラする目からよくわかる
それは楽しい希望ではあったけれど
少なくとも走っている船から海に飛び降りることは
危険なのだということを教えなくてはと思う
停止中の船ならまだましだった
あの飛び込み方が
ふらりと花壇の柵をまたぐような気楽な動きが
僕の目に焼き付いていた
きっとダフネには
海の記憶が
あるいはその海にのんびりと浮かんだ船上で過ごした記憶が
あるのだろう
その穏やかな海と五月の雨と雷の後の海では
状況は同じではない
けれどダフネはそんな状況の違いなど
考えもしないのだ
状況次第で「海」や「船」の意味
海に飛び込んで泳ぐことの意味が変わるなどとは
夢にも思わない
それがダフネの単純明快な世界観なのだ
それを忘れていた僕がいけなかった
ダフネの海の記憶は
それこそ花壇の柵をひょいと乗り越えるように気軽で
海水は適度に暖かく
そして船ものんびりと昼寝をする人もいて
一方では釣り糸を垂れる人もいるような
幸せな午後の記憶だったにちがいない
あれだけ夢中に
そして今もまだ興奮冷めやらぬのが
それをはっきりと物語っている
あの泳ぎっぷりも
ダフネが海に親しんで育ったことを示しているだろう
しかし
その故郷は今は
少なくともしばらくは
もはや幻のように遠い
それを理解してかせずにか
ダフネは故郷の幸せな海にダイブしたのだ
言ってみれば
五月の嵐の後の現実の海にいて
ダフネはダフネの幻の記憶に飛び込んで泳いだ
きっと幸せな時間だったにちがいない
僕はダフネのいつもの言葉を思い出す
それは言葉と言っていいのかどうかも分からないものだけど
でも幸せな海の幻をその言葉で
「ファントモ」と呼ぶことに僕は同意する
現実に沁み込んでいく幸せな幻のニック・ネーム
「ほらご覧」と僕は誰かに言いたくなる
「幻だって現実なんだよ」
現実の中に幻みたいに入り込むものがある
それはただ現時点では現実ではないにせよ
僕らの記憶あるいは希望の
過去や未来では現実であり
ただ時間と空間を間違っただけのこと
水着を着ないで普段着のまま海に飛び込むようなもの
その程度しか差はないのだと
そしてその
今現在のこの場所の
実に現実らしさを感じる中に
過去や未来が馴れ親しんだ普段着で入り込むから
物事が複雑になるのだとも思う
しかしそういう
今の現実に忍び込む過去や未来があればこそ
時間の中を生き
経緯を生きる人間が在るのだということかもしれない
いつ
どこで
どういう状況でなのかを知って
それに従って生きるか
それを知らん顔して生きるのか
それはダフネだけの問題ではなくて
ごく今風の
皆の問題でもあるのじゃないだろうか
ダフネにとっての第一歩は
もしかすると水着を買って
泳ぐ時にはそれを着るのだと了解することなのだろう
ただそれだけのことだが
それが分からないのがダフネたちの
生き方の根本にあるのなら
ただそれだけでは終わらない
ダフネはいつまでも普段着で
あるいは素敵なドレスで着飾らせても
それが台無しになることを怖れない
あるいは普段着どころか水着さえ着ずに
裸で泳いでいくだろう
僕は何だか
そんな状況に合わせることなんか
何の意味もないのじゃないだろうかと
ダフネを見ていて思うのだ
ある意味どのような状況でも変わらない
普遍的な
しかしダフネ自身だけの
実に個性的な
あるいは孤立的な
生き方に僕はだんだん引き込まれていると
僕もああやって生きられたら
どんなに幸せかと
思ったりする
ダフネは僕の恋人などではなくて
もしかすると
僕のこれからの生き方についての
夢のように甘い匂いのする
指針なのかもしれない