春が新しい季節で
新しい年が春という季節から始まるという感覚は
どこから生じているのだろう
入学も入社も四月という日本の制度のせいだろうか
それとも
芽吹く春
育つ夏
実る秋
静まれる冬
という季節の順序がまるで人生の過ぎていく順序のように
思えるからか
でも夏に始まって春に終わるもの
秋に始まって夏に終わるもの
冬に始まって秋に終わるものだってあるだろう
季節は一巡し二巡して過ぎていく
どこが始まりであろうとも
もし春が一年の始まりであることに根拠があるとしたら
僕らが
僕らの身体が
この星の季節のなかで生まれ育ったからだろう
そうやって生きてきたから
今年の春も
僕らは速まっていく新陳代謝に囁かれ
何かが始まると感じる身体になっていく
昨日の日差しのなか
少し歩いただけなのに僕は日焼けしていた
顔がなんだか熱いと思っていたのは
春のせい
いろいろな人が出会い別れ
生きて死んでまた生まれ
近づき遠ざかり
満たされ嘆き立ち止まる
そんな
春の落ち着かなさのためなのか
僕は今日
朝から
日中をずっと歩き続けた
崖の家から背の高い草の中を
草の匂いをかき分けて
浜に降り
打ち寄せられている海藻を踏み
それから砂浜を
のめりこむように
磯を
波のように駆け上がり跳び降りて
コンクリートの堤を
ひたひたとゴム底の音を聞き
その間ずっと海の音を聴きながら
やさしげな波
たゆたう海の証のようにポチャンと鳴って滑り落ちる岸壁の海
海鳥の挨拶と交感飛行
防風林を鳴らしていく風の声
海辺にはもう夏の気配さえする
岬の先では岸壁が切り立っているので
上の道へ上がって展望台に立ち寄って
青い春の海を眺める
中学のときだったか
徒歩で岬巡りをしなければならないときがあった
まるでそれを思い出すように
もちろん岬は違う岬
半島も違う半島
けれど海の廻廊を歩き続けるのは同じだと
日差しと歩きで身体が熱くなったとしても
アイス・クリームも冷えたジュースも買わない
暑ければ波打ち際で海に頼もう
喉が渇いたときのためには
少し濃い目にいれたジャワ・ティーを
ペット・ボトルに3本
ただ歩く
一人で家を出たのだけれど
もっと早起きだったダフネに浜で出くわした
それから
僕の前になったり後ろになったり
ダフネもとくに僕に合わせようとはしない
ダフネがずっと前に行ってしまえば
僕は早足か走りで進む
ダフネが遅れれば
それはきっとどこかで貝殻や波に夢中になっているからで
あるいは向こう見ずに波を浴びてきたからで
僕は砂か岩に座って待つ
でも待っても10分か20分
そうやってほとんど一日中歩いていた
ダフネは白いTシャツに膝までのピッタリのジーンズ
僕はTシャツだけど途中から袖を肩の上まで捲りあげ
ダフネも僕も昼御飯は食べずに
日が傾いてくる中を
ちょっと早足に
最後にはふたり競争でもするように
見えてきた家に向かって走りだした
家が恋しかったわけではない
お腹が空いていたせいでもない
一日かけて
歩くと決めたことが成就するのが嬉しくて
それを勢いよく終わらせるのが良かろうと
玄関に先に飛び込んだダフネが
帰ってきたと言うように
高い声でワーと言うのが聞こえた
ダフネは良い同行者だったと思う
僕が一人で歩くのを妨げなかった
僕を心配させるほど離れなかった
喉が渇いたときだけ僕のところに現れて
そのときに拾ってきた貝殻や
短く千切れた海藻を
僕の頭陀袋に入れていく
50キロは歩いたろうか
その一日の戦利品は袋にずしりと
その一日の同行者は疲れ知らずで
春に歩けば春に出会う
それが走り出したくなるほどに暖かい春ならば
その出会いを誰も悔やむことはない
満ち潮よ
満ちて春を深くせよ