巡礼 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 僕たちが道を行くのは
 目的地があるから
 目的地もなく道を行くのは放浪
 当てもなくと言えばどこか哀しげだが
 足の向くまま気の向くままと言えば
 暢気で自由な感じがする

 通学通勤する人たちは
 毎日同じ道を往復している
 それを喜べるときもあるだろうし
 変哲もない往復に飽きれば
 ちょっと一杯とか
 それが思わぬ寄り道になることもある

 放浪と毎日の往復とはすごく違うのだろう
 では巡礼に出る人はどうなのだろう
 巡礼は放浪と通勤の中間だろうか

 イスラムの人たちはメッカに
 日本人はお伊勢さまか出雲へか
 宗教ゆえ来世を思うゆえ
 あるいは霊験灼かな何事かを求めて
 人生の長旅に疲れた人は安らぎのためにだろうか
 でもキリスト教はどこを巡るのだろう
 ゴルゴタの丘それともベツレへム
 あるいはヴァチカンに
 仏教は
 ヒンドゥは
 どこに行くのだろう

 僕だったら
 いろいろな宗教の聖地巡りもいいけれど
 ただ一カ所だけを目指せと言われたら
 ゴータマの歩いた道を歩いてみたい

 神話化された生誕のルンビー二ではなく
 この世を去ったクシナガラでもなく
 悟りを開いた
 ピッパラ樹のあるブッダガヤから
 それを誰かに伝えようと7日歩いてたどり着いた
 サルナートまでの道
 生き続ける菩提樹をこの目で見て
 ただ歩き
 砂岩に彫られた初転法輪の姿を見る

 それだけでいい
 7日の間に何があろうと
 何を見ようと
 菩提樹と砂岩の仏の間の道を歩きたい
 車ではなく
 徒歩で行く

 緑の木蔭なす菩提樹と
 少しは朽ちているところもあるが
 グプタ朝からの時の流れを超えてきた
 あの静かな丸顔の砂の仏を
 自分の足で結んでみたい

 なにゆえに
 それは僕にはわからない
 けれど理由なく
 その場所に行きたいと何度も思うのだ

 熱心な仏教徒でもない僕が
 そこに求めているのは何だろう

 緑の木蔭と砂の仏をつなぐ道
 たぶん
 そこに至って僕は感じとりたい

 そこで流れた時間
 その遠い延長線上で流れる僕の時間を
 7日間の道に重ねて