花の祝祭 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 「なあ 物事は自分で決めて動かせることは少ない」
 「だから何なんですか」
 「ケ・セラ・セラさ 成るように事は進むものだ」
 「本気で言っているんですか」
 「本気だとも」
 用意周到さを絵に描いたようなこのひとの
 ケ・セラ・セラを僕は信じない
 僕にとってはそれこそケ・セラ・セラ
 いやそれどころかどうやってこの途方もない夢物語を
 現実の自分の生活の中に位置づけられるのか
 一時間毎にますます僕にはわからなくなった
 でもその一方でダフネが僕の傍にいることが
 しびれるような喜びに変わり始めているのを感じる

 いろいろなオプションを(外交官らしい言い方だ)
 あのひとは並べ立てた
 私は女の子の細かなことをケアできるわけではないから
 しばらく前に仕事を辞めた姪に来てもらうという手もある
 とか
 いや君が自分の家を引き払ってここに来ればいい
 ここからだって通える範囲だろう少しは時間がかかるが
 あるいは
 君が誰かだいじょうぶだと思う女性をここに呼ぶんだ
 そうすればダフネを入れて一家族できる
 とか
 ほとんど架空としか思えないような選択肢とその組み合わせを
 あのひとは並べ立てて
 いかにこれが現実的な出来事であるか証明しようとする

 僕の知っているところでも
 近所に住んでいた元駐ヴェトナム大使館員だったアメリカ人には
 白人の長男と黒人の次男それに中国人の長女とアメリカ・インディアンの三男がいた
 日本ではかなり考えにくいことだけれど
 海外生活が長くまた自分に子どものなかったこのひとにとって
 ダフネのことはまったく普通の出来事なのかもしれない
 しかも養子にするとかではなくただ預かるだけだ

 たしかに僕の記憶の抜け落ちていた部分のように
 物事は起こりそうで起こらず
 起こるはずもなさそうで起きてしまうのだ
 けれど僕はまだ半分信じていない
 このひとは物事をほんの少しばかり大げさに言う
 気がつかない程度の強調だ
 でもそれで人を巻き込むのがお得意なのだ
 ほんのわずかばかりの強調で物事は
 まったく違って見え
 でも後から気がつくとそれは虚構のようにリアリティがない
 僕が今その術中にはまっている可能性はかなり高いと思う
 なぜなら僕はこの数日の出来事を信じかけていたからだ
 しかも好意的な想いをもって

 まして僕が一番恐れたことは
 僕があまりはっきりとは意識せずに望んだことが
 何の障害もなく起きようとしているという点だった
 バランスをとるためには
 苦痛や失敗はこれからやってくるはずのものだった

 ダフネは午後っずっと僕にくっついて離れようとしなかった
 それは僕と親しくなった証拠のように見えるが
 ダフネはただモーゼを抱きしめているだけなのかもしれない
 暖かい春の日は
 いつ何時また嵐になって花を吹き散らすともわからなかった

 「ともかくも」とあのひとが言う
 「人はやってくる出来事に賢く対処するだけだ」と
 それから
 「昨日は持ってこさせてしまったが今夜は
  コム・ゴギャンに食べに行くことにしよう
  あそこならダフネが暴れだしても問題はない」
 夜桜を見にいこうということらしい
 もしかするとこの孤独な老人は
 若い旧友の息子とそれが連れてきた
 いかにも現実からはみ出してしまっている少女に酔って
 長く保たれてきた理性を狂わせているのかもしれない
 老いて節を曲げたモーゼのように


 そういう猜疑心と不安がないまぜになった
 僕の気分を変えたのは
 届いた服を着たダフネだった
 気のきかない男二人はダフネに服を買うことすら怠っていた
 ダフネの叔母が選んだという服は
 どれもダフネに似合いそうだった
 細身のジーンズ・パンツ
 浅緑や濃紺のTシャツ
 小さな花を数知れずあしらったワン・ピース
 胸元に長いリボンを結んだ薄い黄色のブラウス
 大柄で鮮やかなオレンジ地のチェックのミニ・スカート
 なかでもまっ白な
 腰に長いリボンをつけたドレスは
 ダフネを女の子らしく変えそうだった
 でもダフネが気に入ったのは
 明るく薄いピンクのつるりとした絹のような生地の袖なしのワン・ピースと
 それにはとても似合いそうにない
 カーキ色の軽めのジャンパーだった
 「好きにさせるさ」とあの人が言う
 「結局は好きなものが落ち着くとうことだから」

 ダフネはここに来たときの電車の中のように
 動きをすっかり潜めて後部座席に座って
 車窓に流れる変哲もない景色に見入る

 近づくと桜の並木が
 夕闇に流れる雲のように広がっていた
 時節柄なのか
 ライトアップは少なかったが
 満月を少しすぎたばかりの月があった
 夕闇は花見の客であふれているようだ
 まだ歩き回っている人々を避けるように
 車は進んでコム・ゴギャンの駐車場に止まる

 すぐにあの小太りの人のよさそうな店主が現れて
 僕たちを桜が窓いっぱいに並んで見える部屋に案内する
 「おやおや今日はまた一段とお綺麗で」と
 ダフネを見ながら言う
 「まことに可愛らしいお嬢ちゃんだ」
 初老の老人と僕と十一歳の少女が連れ立って歩くのを
 テーブル席の人たちがちらりと見る
 それは一体どういう三人に映るのだろうか

 食事のメニューは簡単にというリクエストだったらしく
 昨日の午後に比べると
 ヴェジタリアンの食事のように思えたし
 ワインも一本だけが運ばれてきた
 ここで長い時間を過ごすつもりはないのだろう
 「さあまずは成り行きに乾杯しよう」と
 あのひとが言い自分で注ぎ始める
 「ほんの少しだがダフネにも」と
 ダフネは周辺のざわめきに気をとられているのか
 静かにしている
 ダフネが硬直しないことだけを僕は願っていた

 あの嵐は咲き始めたばかりの花を少しばかり
 吹き飛ばしただけのようだった
 桜は不思議な花だと思う
 よくパッと咲いてパッと散るというけれど
 それはともかく
 花の色が実に独特だと僕は思う
 同じ木の花なのに
 咲き始めから七分咲き
 満開へと誇らかに咲きすすむなかで
 色が微妙な変化を見せる
 桜色と言うけれど
 それはいったいどんな色なのだろう
 白
 目にはほとんど見えないが微かな黄色の下地に
 淡いピンクが透けるように折り重なって
 時には強い紅にさえ見えるのだ
 けれど夕闇のなかでは
 それはほんとうにふくらんだ雲のように白い

 ダフネはワインを両手で持って少しだけ口にして
 あまり食事を口には運ばずにいた
 騒がしい人ごみが不安なのだろうか
 室内が暖か過ぎたのかダフネはジャンパーを椅子にかけ
 袖なしの肩が寒そうに見える
 
 窓に面した数本の桜の下に花見客がいないのは
 その数本だけはこの店の桜だからだと店主が言っていた
 「暖かければ外にテーブルを並べてもいいのかもしれないのですがね
  桜は座って見るより歩いて見ると実に美しいのですな
  はは いやこれは先生が昔言われたことだった」
 どの理由にせよまだそこには人影はほとんどなかった

 ダフネは桜を見たことがなかったのだろうか
 やがて食事の途中でダフネはふらりと立ち上がって
 窓を開けた
 夜風が桜の淡い匂いを連れて入ってきた
 ダフネは深呼吸する
 そのまま庭側のガラス戸をダフネは両手で押して開け
 するりと外に出て行く
 「ダフネ」と僕は小声で呼んだけれど
 それが無駄であることは知っていた

 庭でダフネは踊り出しはしなかった
 その代わり
 一番傍の桜の幹に近づいて
 暗い空を覆う花の雲を
 見上げる
 静かにターンしながら
 二周もするとまた次の一本に近づいて
 まるで一本一本の桜の木に
 「あなたは誰なの」と下から問いかけているように見えた
 
 数本の桜すべてに一度目の挨拶が終わると
 また最初の一本のところへ戻ってきて
 二度目の挨拶が始まるのだった
 ダフネの服が暗闇に浮き上がる

 ほかの窓からそういうダフネを見て微笑む人たちもいるようだ
 全曲を流すのだろうか
 ショパンのノクターン一番が流れ始めた

 ダフネの挨拶は切りなく繰り返し
 僕たちは食事の手を止めてダフネを見る
 窓に立った僕に気づいたダフネが
 両手を僕の方に広げて
 嬉しいとはっきりとわかる表情を浮かべて
 「ファントモ!」と
 ひときわ高い歌うような声で言う

 「ご覧
  これは祝うべき夜なのだ」
 僕の肩に手を置きながら
 年長の友人が静かに言った