けもののように | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 「君はきっと犬の匂いがしたのだろう」と年長の友人が言った
 「犬ですか?」
 「そうだ どうかすると私は君はけもののようだと思うことがある」
 「ずいぶん文化的なけものですね」と皮肉な笑いを浮かべる僕
 「こうしていると親しげに語らってくれるが
  日頃は君の方から話すことは少ない
  相変わらず詩みたいものを書いているのかもしれないが
  そっちに夢中になっているのか人と話すときは言葉少ない
  聞いてばかりいる気がする
  小さいときからそうだったのだろうか
  君は走り出すと犬のようにとまらないのに」
 「ワンだふる」
 「ほらそれだ すぐに話をはぐらかそうとする
  そういうときには饒舌になる
  かと思えば石のように黙りこむ
  そういうリズムみたいなものがダフネとそっくりだよ」
 僕は抗弁しない

 「笑いながら石になるすべも知っている・・・
  ダフネは自分の谺を君に見つけたんじゃないだろうかとね」
 「コダマ?」
 「そう ダフネはあのように同じことを何度も繰り返す
  自分の中で反響してくる谺から抜け出られない
  ほかの人ならダフネに語りかけ問いただそうとする
  だからダフネの谺を聞く暇も反響させてやる暇もない
  でも君はほとんど話しかけないで
  ダフネを聞いて聞いたことを谺のように
  繰り返している」
 「クリカエシテイル」

 「逃げ場がなくなったかい?
  それがダフネには必要なのかもしれない
  彼女自身ではない誰か別の人が彼女の谺でいてくれることがね
  それに
  君は認めようとはしないかもしれないが
  君もダフネに谺を見つけたのではないのか」
 僕は黙ったまま下を向く

 「君だってうすうすわかっているのだろう
  共倒れになるかもしれなくても
  傷つけあう苦痛は味わわないですむ
  それどころかとても安心していられる
  もしかしたら良い相棒になるかもと
  君は境遇が似ていると思い込んでいるが
  似ているのはそんなことじゃない」

 「僕はダフネに色気なんて感じませんよ
  裸で歩き回られたって
  まだ子どもじゃないですか」
 「そういうことじゃない
  性的なことはどの道すぐにかすれていく
  ただの季節みたいなものさ
  私が今言いたいことは全然そんなことじゃない
  相棒というのは夫婦だということばかりではない」
 「僕にはよくわかりません」
 「そうだろうか
  君はけもののように何もかもわかっているのに
  文化的というか社会的というか
  変に人間臭い道理に邪魔ばかりさせている」
 「ケダモノと言われようが僕は人間ですからね」
 「それはかまわんよ」
 「かまわない?」

 「そうだ だがまあいい
  君はダフネがよくなると思うかね
  確か似たような子どもたちは水の中でイルカと遊ぶと
  生きやすくなるということだった」
 「何が『よくなる』ことなのか僕にはわかりません」
 「ほら君は今のダフネを何とかしたいと思う半面
  今のままでいてくれることを望んでいる」
 「そんなことはないと思います
  あんなふうだったモーゼが変わったのだから
  モーゼがダフネの谺になればいい」
 「それはそうかもしれないが」
 何か言いかけたあの人はグラスを口に運んで
 氷の音の中で何事か言ったが僕には聞こえなかった


 僕はダフネとモーゼを見る
 僕との時間の長さが格段に違うふたつの生き物が
 僕の目の前で
 親しげに寄り添って眠るのを

 そのときダフネが寝言のように何か言い
 モーゼが眠ったまま低く唸ったのが聞こえた

 谺?
 この人はいったい何が言いたいのだろう