雨の日のダフネ | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 階段の踊り場で
 潮騒と風の音に混じって
 雨が舞い上げる土ぼこりの匂いがした

 まだ日も明けやらぬ部屋にダフネはいなかった

 「あの子はよほど雨が好きらしい」
 一階のリビングに起き出したばかりの顔をして
 外を見て立っていた家の主が言った

 たぶん素肌の上に
 黒のワンピースだけを
 まるで袋に人参かなにかを放り込んだように
 着たダフネが
 降り始めた雨の中にいた
 
 ダフネは黙っている
 黙っているというのは
 しゃべっていないということではない
 会ってから しばらくしか経っていないから
 本当のところはわからないけれど
 ダフネは日本語は片言で
 英語も似たようなものらしかった
 僕は花の国の言葉を知らない
 文字は記号としてなら
 後は人名と諺くらい
 だから黙っているというのは
 言葉がないということではなかった
 この数日のあいだの
 ダフネは踊ることと仕草で話し続けた

 この朝
 ダフネは無表情な身体で立っていた
 相変わらず裸足で
 それが自分と地面との友好なのだと言わんばかりに

 ここから見ていると
 ダフネの雨に濡れた身体の線だけが見え
 ダフネの顔は見えず
 ましてダフネの身体は冷たくなりかけているのか
 それとも激しい情念で熱いのか
 ダフネにしかわからない

 「ほどほどにしないと」と主が言った
 僕は「いえ」と言ってから「そうですね」と
 思い返した

 あの静けさは
 この雨の儀式がもうすぐ終わることを示しているだろう
 事が起きた最初から悲しいと分かる者はいない
 事実に抗ってあらがって身もだえて
 あとは時間だけが
 突き放し包み支えることができるのだ
 僕にはそれがよく分かる

 キウィか藤かの
 棚に広がった蔦のような枝に懸けてあった傘を借りて
 僕も裸足のままダフネの近くまで行って
 傘をさしかける
 落ちてこない雨に気づいてダフネが振り向くまでに
 二分はかかったろうか

 ダフネは僕にしがみつき
 出会った日のように
 いやあのときより遥かに激しく
 声を立てて泣いた

 ダフネの肩と首は氷のようだったが
 それ以外の胸や腕
 身体のすべてが
 まるで火の中にいたように熱かった

 そうやって
 僕はダフネの心を聞いたような気がする
 というか
 むき出しのダフネがそこにいた
 
 
 今
 ダフネは夢を見ているのだろうか
 バス・ローブに着替えたまま
 ソファに倒れた
 ほんのすぐそばなのに
 もうダフネの心は聞こえない

 どうやらダフネは
 熱があるようだった