Nothing is hidden 何も隠されていない | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 心はドコにあるのと人は聞く
 内なる心と人は言う
 
 
 モノではないココロには形は無くて
 だから目に見えないのさと人は言う

 モノでないなら
 広い心とか頑な心とか
 冷たい心とか柔らかい心とか
 モノを形容する形容をなぜココロに使うのか

 モノでないなら
 どこかこの世界の空間の中にあるはずもないのに
 空間の概念を当てはめて
 私の中のココロとか
 ココロの中ではとか
 空間みたいな表現で心について語るのか

 
 心が目に見えなかったというときは
 例えば見て気づいてあげられなかった言い訳に
 あるいは
 見たくない気づきたくないから見えないことにするときに
 決して言ったことがないと誓えるか

 嘘をつく人の心はどこかに隠されていると人は言う
 けれど嘘をつく人の声は少しうわずって
 ときには目つきまで落ち着かない
 それでも仮に演技派で
 笑って嘘がつける人だっているだろうと人は言う
 でもその人は
 ある場所ある時ある相手には嘘をつけるにしても
 それが嘘だということは
 どこか別の場所別のとき別の相手に対しては
 嘘なしで嘘とは違ったように振る舞うということなのだから
 やっぱり心は隠せていないのだ
 どの場所どの時どの相手でも嘘を突き通すことができるなら
 それはもう嘘ではなくて
 その人の本当になっている

 
 それなのになお
 心を内に秘めたるものだと人は言う

 もしかして
 心が内にあると思っていれば
 少しは安心するということか
 知られたくないことを知られずにいる時が
 少しばかりあることが
 逃げ道を作れると

 いずれすべては明らかになり
 何一つ隠されることがなくなるのに
 それを怖れて
 そうならないことを望んで
 内なる心を人は大切にするのだろうか

 傷つきたくないから黙っているように
 内にあるなら傷つくことは少ないと
 そう思っているのだろうか

 ああそれはあなたの心が命じたことだと
 おおこれは私の心が悲しんでいることだと
 人はなぜココロに代理を頼むのか
 なぜ
 私が望み私が悲しんでいると言わぬのか

 でもあなたが笑うとき
 あなたのココロが笑うのか
 あなたが涙を流すとき
 あなたのココロが嘆くのか

 あなたではなくあなたのココロがか

 あなたではなくあなたのココロが生きるのか
 あなたではなく
 あなたとは少しだけ別の
 ココロが生きるのか

 私がと言わずに私のココロというときは
 ココロを前に押し立てて
 当のあなたはドコにいるのだろう
 もしかすると
 あなたの奥にココロがあるのではなく
 ココロの奥にあなたが隠れようとしているのでは
 ないのだろうか
 
 性格テストをした人が
 わあよくわかるスゴイのだねと言うときに
 その人は
 何か目にも見えず耳にも聞こえぬ幽霊みたいなココロについて
 何かをテストで語ったか
 いやテストがその人に聞くことは
 これこれの時と場所これこれの相手に対して
 あなたがどのように振る舞うか
 目に見えることを聞くだけで
 あるいはどう考えるかを聞くだけで
 幽霊みたいなココロについての
 質問をしないだろう
 それにもしココロが
 目にも見えず耳にも聞こえぬ幽霊みたいなものならば
 どうしてあなた自身がそれについて語れるか
 語れるはずがないだろう

 それなのになお
 心を内に秘めたるものだと人は言う
 
 それはいったいなぜなのか

 しかもココロという言葉を巧みに使っては
 ココロとは少しだけ違うあなたを保とうとする
 まるで今度は
 ココロの中に内なる私がいるかのように

 ココロはもしかして
 あなたという猫の首にやさしく懸けている
 コロコロと鳴る猫の鈴
 それを聞いたネズミがあなたという猫の
 歩く姿を物陰から見るための

 そんな鈴を人はなんで好んで自分の首に
 飾るように吊るしては
 私のココロ私のココロと言うのだろう

 あなたの中の内なるココロと
 ココロの中の内なるあなた

 あなたの言っていることはどちらなのだろう
 いや

 あなたの中の内なるココロと
 ココロの中の内なるあなたと

 ほんとうのあなたはどちらだろう

 それともあなたというものは
 そもそも初めの初めから
 あなたとココロが二重写しになっている
 ブレた写真のようなものなのか