今見ているものは | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 季節はずれだけど花火の話
 花火ってすごく綺麗だと思う
 いろいろな色が形があるからね
 でも花なんかの色に比べたら
 色数も限られているし
 たぶん花火が美しいのは
 瞬間はじけて広がり消えていくからで
 僕らが見ているのは
 ほんの数秒の花火の全部じゃない
 どこか自分で美しいと思う
 ほんの一瞬の色と形だと思う

 ときどき言われることだけど
 僕があれこれおしゃべりしていると
 聞いてる人は
 その場の光景が視覚的に
 浮かぶらしくて
 いいねとか
 イマジネーションの力か
 あるいは言葉の力なのかなとか

 でも僕にしてみると
 僕のおしゃべりも言葉も
 むちゃくちゃ力がないと思う
 花火だってすべての色や形を
 ことばにすることなんかできないように
 言葉にできることはほんの一部
 自分が目をやっていることだけで
 僕の言葉は僕の見ているものの
 カスカスの抜け殻みたいだと

 いろんな人がいると思うけど
 確かに僕は視覚的にとらえるし考えている
 方程式なんかだって目に見える
 それはイマジネーションというより
 実際に目に見えている感じなんだ
 思い出して話しているときでも
 本当に動画か何か見ながら言葉にする
 そんな感じで

 僕は誰か目の前の人見ているときも
 それにかぶるようにその人の
 違うとき違う場面の光景が浮かんでくる
 だから今の光景とそうでないのが
 重なって見えるような気がして
 ときどき困るくらいだ
 そういうとき
 今を見るのか別の時間の光景みるのか
 決めてからじっと見るっていう感じなんだよね

 そうやってじっと見てるとき
 目の前の人の別の時間の光景を
 見るようなときにはきっと僕は
 少し遠い目をしてるのかなと思うのだけど
 相手はそう思っていないらしくて
 そんなにじっと見ないでよとか言われて
 はっとすることがけっこうある
 でもオマケがあってそういう目つきって
 けっこう好まれる(笑い)
 見ているのは今のその人じゃないのに

 これって一種のすれちがいじゃないのだろうかと
 最近思うことが多くなった
 これって変なんだろうか
 僕は相手の例えば昨日を見ている気分なのに
 相手は今の自分を見られていると思っている
 この僕の目のなかで時間のすれ違い

 ときどき僕にはそれがすごく悲しいものになる
 なぜ今目の前にいるその人を見ないのかってね
 いつ頃からこういうふうになったのか
 よくわからないんだけどね
 でもなぜだか
 そういう今じゃないものは言葉にしやすい
 気がするんだ
 今じゃないって言っても記憶をたどってるわけではなくて
 僕にとってはやっぱり今なので
 ただその人にとっては今じゃない
 わかんないだろ・・・

 タイム・スリップ・アイとでも言ったらいいのかもしれないけど
 そうだとしたらいつも僕は相手の時間からずれてることになる
 違和感なんだよね
 まるでデジャ・ビュと今のビュが重なっているような

 もしかするとそれは
 僕が今の目の前の人を直視できない弱さみたいな
 ものなのかもしれなくて
 それがいつも相手にダイレクトになれない理由なのかもと

 奇妙だよね本当に

 いったい僕は何を見て暮らしているんだろうね
 人のいない景色なんかだと
 この現在形のデジャ・ビュはかなり少ないんだけど
 でも好きな景色や
 ああ美しいなと思うとき
 ふううっとずれる気がする
 そう考えると人の場合も
 好きとか嫌いとかそういう感情の全然ない相手には
 それは起きないみたいでね

 ちょっと前に知り合った精神科医で
 僕より何歳か上なだけなんだけど
 すごく優秀な精神科医だっていうのがいて
 その人と酒飲む機会があって
 酒の勢いでこういうのって何ですかねと
 聞いたらニコニコ笑いながら
 「ああそりゃ頭が変なんですよ
 と言っても人間みんなどこかしら頭が変なんで
 ぜんぜん気にすることじゃないね」と
 それは全然答えになってないと言い返したら
 「なんか日常の生活で困ることあるの」と聞かれたので
 「特に思い当たることはないけど
 そのズレが気になるときがある」と答えた
 そしたらその人
 「君 頭悪いか」って
 でちょっと動揺して「まあいいとは言えないかも」
 「そうは聞いてないけどな まあ
 いろんなことをわぁっと考える人にはありがちなことだよ
 考えすぎっていう特性だな」
 でお終い
 どちらかというと身体が先に動いてしまって
 考えの足りないほうなんだけどな

 でもだからといって現実が生気失って見えるわけでもなく
 時には
 いやけっこう多くの場合
 コイツのおかげで僕はよく物事が見える
 すごく二重三重に実感があったりする
 そう思うこともあるので放ったらかしになっている

 でもこうなった というか
 はっきりそうかなと思ったのは
 ある出来事の後からで
 そいつをちょっと分析してみなくっちゃって
 思いながらやっぱり放ったらかし

 一年前くらいだったかフランス文学やってた奴と
 コーヒー飲んでたときにこの話になって
 (というのはまた僕がそいつをじーっと見てたらしくて)
 「いや実はこれこれで」と話したらね
 なんて言いやがったと思う?
 「お前文学に転向しろよ 文学はコワレタ奴にしかできん」
 最悪だろ

 こんなこと暫く考えなかったんだけど
 なんかここ一週間かそこら
 頻発するようで
 また考える
 何なんだろう・・・

 昨日だったか一昨日だったか
 「悲しき透明人間」ていうの書いたんだけど
 僕は透明でも何でもないんだけど
 このズレ
 どこか似ているように思うんだ
 
 まあ でもコイツのおかげで
 僕は花火が少しだけ長く楽しめるんだよ
 時の移ろいに逆らって押し止めようとする目でもあるのかな

 わあっと円く咲いて消えていく
 その暗くなり始める夜空に
 打ち上がった直後と
 花開いているクライマックスが
 ふわりと
 重なって見えてから
 消えていくからね

 花火 好きなんだよ
 今も冬の終わりの夜空に
 花火を見ていた