インド人は牛を食べないという
理由を知りたくて
牛も神だからなのかと
知り合ったヒンドゥの人に聞いたことがある
その人は自分としては
とことわってこう言った
現代に生きていていて
牛が神だと言われてもそのままに
信じることは難しい
けれど
神のように扱わねばと思うことはある
多くの人間が牛の乳で
母牛が仔牛を育てる
その乳で育つのを見れば
われわれ人は仔牛と兄弟
乳を与えてくれた母牛は母
どうして
自分の母を食えようか
と
キリストの教えが
実はユダヤの教えを母とするように
ヒンドゥは仏教の母胎
けれど
仏教を建てたからと言って
仏陀を排斥したりすることはない
すべてを神と見なすから
それは日本の
八百万の神と同根の
心根やさしい想いだと思うのだ
ヒンドゥの言葉で
ナマステは「こんにちは」だと教わって
彼にナマステと言ったらば
急にまっすぐ立って合掌した
namas te はそれほどの意味がある
挨拶することは
へーい おーいを飛び越して
あなたに帰依し奉るという意味でもあって
それは元はと言えば
あなたに
あなたの中の神
あなたの中の宇宙に
挨拶し奉る
神 あるいは 宇宙を宿し
神 あるいは 宇宙そのものである
あなたに
挨拶し奉る
言ってみれば
南無あなた
という意味だったから
林の中の一本の木は
ただ一本の木ではなく
あまた取り囲む木々の生き方を
宿している一本で
一匹の鮎は
あまた川に泳ぎいる鮎たちの命に拠って
生きている一匹で
ひとつひとつの命は
すべての命を宿すひとつであって
それゆえ
一つの命を断つことは
すべての命を断つことで
そういう話を聞きながら
僕はきっと
生まれる前からヒンドゥ教徒だったのかも
しれないと
一瞬感じてそう言ったらば
その人は笑ってこう言った
あなたが生きてあることは
すなわちあなたもヒンドゥだという証だと
難解な論理学パズルを解く人工知能を
プログラムしている彼の口から
そんな言葉を聞いたとき
僕はなんだかとても安心した
それは彼が寛大なヒンドゥだったからではなくて
僕が生きていることを
承認されたと感じたからで
それからというもの
僕は誰かがナマステと発音するたびに
そこに幾千幾百の
命が憩う世界が見える気がする
僕は全然宗教的な生活をしてるわけではないけれど
命の掟とでも言いたくなるような
命がけのやさしさがあってこそ
あなたに
あなたのなかの宇宙に
たどり着けるのかもしれないと
思うのだ
namas te
あなたの中のすべての命に
挨拶し奉る
と
そう言えばカレーだって
ありとあらゆる調味料に香辛料を
惜しげも無く取り混ぜて
一つの味を作っているのだった
さて今夜はカレーにでもして
宇宙を食べることにしようかな
ビーフ・カレーだけはやめておくことにして