W: 同じ年の同じ月に生まれたのに
どうしてYの方が背が高いの?
不公平じゃないか?!
神: まあ そう言うな 公平にと思って
横幅はお前の方が大きくなるようにした
W: えー?!!
編集長: こらーっ D お前また1時間も遅刻だぞ
新聞記者が遅刻ばかりして給料は人並みにもらうつもりか?!
D: ははは ご心配なく 公平になるようにと
私は人よりも1時間 早く家に帰っていますから
(これは確か C・ディケンズの実話だったかと)
人は平等だと言う
あるいはまた 人は公平に生まれると
けれど ディケンズじゃないけれど
実際は公平なことなんてありゃしない
公平とか平等というのは
理想か夢か でなければ願いなのだ
不公平な世の中に悲しんだ人たちの
別に僕は不満を述べているわけではない
僕は明らかに恵まれて生まれたと思うから
いや 才能とかのことじゃなく
でも別の面では
その恵まれ方に釣り合うかそれ以上に
僕は不幸だと人は思うかもしれない
世の中は悪賢く立ち回る人に微笑み
真面目に生きる人には冷たいことが多いと僕は思う
周辺を見回し新聞を読みニュースを聞いて
そう思うのだ
ディケンズは中流の家に生まれたが
両親の金銭感覚の乏しさ故に
人生で学校に行けたのは4年くらいしかなくて
靴墨工場で夜疲れ果てるまで
働かなければならなかった
今の世の中
才能があっても大学はおろか高校にも行けない人もいれば
遊びほうけて学ぶこともしないで
学生生活を謳歌する人もいる
愛する女性は若すぎてその姉と結婚した彼は
愛する女性が死んで行くのをすぐに見なければならなかったし
そういう暮らしが
あの感動的な『クリスマス・キャロル』を生んだのかもしれない
苦味のある人間理解もそこからだったのだ
そういう意味では釣り合いがとれているとも言えなくはない
けれど1時間も早く帰りますからと
彼に言わせたユーモアの
どこかに深い絶望の影がある
彼が生き生きと描いた主人公たちの多くが孤児だった
ディケンズは戦って勝ったのかもしれないし
あるいは幸せにも
艱難汝を玉にする例となり得たのは
偶然が彼をなおも汚泥のそこに沈めきらなかった
せいなのかもしれず
僕は
そんな不公平さに泣きたくなることがある
自分のではなく
大抵は他の人の不公平な有様に
けれど泣いたってしょうがない
人生
その不公平な巡り合わせの中を
どう生きるか
こそがその
つまり人生というものの中心テーマなのだと思う
靴墨工場から新聞記者に
そして国民的作家へと
ディケンズは歩いていった
1時間早く帰るしたたかさを身につけて
不公平さに向き合うときに
いつも僕の頭に浮かぶ
大好きな笑い話
素晴らしい肉体と美貌をもって
そして慣習にとらわれず
新しい舞踊を生み出した
裸足のイザドラことイザドラ・ダンカンが
やはり高名な劇作家B・ショーにプロポーズしたとき
「先生の頭脳と私の身体を持った子どもが生まれたら
どんなにか素晴らしいことでしょう」と
そう楽しそうに言ったなら
ショー先生は皮肉な笑いを浮かべて
「あなたの頭脳と私の身体を持った子どもだったら
どうするんですか」と
長くなびかせたファッショナブルなスカーフが
馬車に毛の生えたような時代の自動車の
むき出しの車輪に巻き込まれ
縊れて死んだイザドラの死は
彼女の頭脳についての
ショーの皮肉な見解を少し思い出させて
妙に悲しい
でも
それが彼女の生きた人生であり
ディケンズの生きた人生だったのだ
他にどうしようもなく