なあんか凄いタイトルだろ
DVDなんだけど
ケースのデザインが曼荼羅らしきもので
がさつな言い方すると
あの魔法陣みたいな各部分に
セックス・シーンらしきものが埋め込まれていて
しかし
中央下の円の中は瞑想中の坊さんたち
まあ曼荼羅とはあんまり関係なさそう
もっと凄そうなのが
ケースの表と裏のサブタイトル
「めくるめく未知なる性の世界」
「チベットの壮大な大地で繰り広げられる究極の煩悩エロス」
「仏教の道を捨てた男が肉欲に翻弄される」
と ここまでくれば三流ポルノグラフィー
チベット辺りの仏教はさすがに日本なんかより
ヒンドゥの生賛歌の影響もあって
性の悦楽と宗教的悦楽が微妙に
入り組んでいるそうだが
そういう雰囲気でもないらしく
でそれを見たわけさ
というのは仲間の一人がぽいっと投げてよこし
「お前向きだよ これ」
そんなタイトルだしサブタイトルも・・・
「そんなに飢えてないけどなあ」と
返そうとしたら
「いいからいいから なかなか興奮するぜ
ほんと お前向き」
と受け取らないので
「ああ 暇があったら見るよ」と
で結局見たわけで
そしたら
え 何 これ 超マジ映画か
期待してた訳ではないがセックス・シーンなんて
一二カットあるかないかで
R指定なんか付きっこない
というか最初から
美しいチベットの大地
(なんだろうなあ2001年制作公開で実はインドかも)
宗教儀式や生活様式など
『チベットでの七日間』なんかよりしっかりしてる感
ただ主人公の修行僧が何となく
スケベそうなのでもしかしたらやっぱりポルノなのか
と思うかもしれないが
いやあ何だかそこら中に小さいけれど
はかない命なんかを象徴するようなモノやコトが
ちりばめられていて
こりゃあ宗教教育映画かなとも
でまあ え 何 うん って言ってる間に
話が進む
小さいときから僧院暮らしの修行僧が
性に目覚めて僧院を逃げ出す
(しかしそれは僧院長の意図でもあったらしく)
で
あっと言う間に裕福な農民の娘と結婚し
(性に目覚めたきっかけになった女性なので
まあごく自然で驚きのない展開なわけ)
ちょっと嘘つきの仲買人と手を切って
作物の麦を街で売り一家に富をもたらし
子も当然できて
幸せに暮らしましたとさ
で終わったらアホかだよね
でもそこで終わらない
子どもが閨に邪魔に入っても優しい母は追い返さず
あたりから段々と
収穫中の麦畑に放火されたのか
収穫の半分が燃え
仲買人を怪しんで勢いよく殴り込んだはいいが
ボコボコにされて
しかも真犯人は仲買人ではないらしく
ともかくも妻と父親に救い出されて
麦売買を妻に任せて
家に居るときに出稼ぎ労働に来ている
インド人娘と浮気しかけて
なんかこの短いシーンだけカーマ・スートラ風
あくまでも「風」で むしろ可笑しい
(このインド人娘の名前がスジャータ
お釈迦さまが悟る直前に乳粥をくれた娘の名前で
なんかそういう話かと思うともうその娘は二度と登場しない)
そこへ僧院長の死の知らせなんかが届く
その亡くなった僧院長の手紙に
「仏のみを信じて生きる私の生活と
いろいろな願いをかなえるお前の生活とどちらが・・・・」
でふっと
迷うのだ
その迷いに妻はすぐ気づく
である日
まるでお釈迦さまが出家するように
妻と子をおいて僧院に戻ろうとする
長く伸びた髪を剃り川で沐浴して
(これもお釈迦さまの話に似せてあり)
村のはずれというか境界を超えようとするとき
乳粥のスジャータではなく妻が現れる
(本物かどうか幻覚かもしれない)
さてこの妻は
僧侶姿の元(?)夫の周りを何度も回りながら
悲しみを訴える
纏わりつく煩悩の象徴
というわけではない
むしろこの映画
女性から見た仏教観らしい気配があって
「ヤショーダラという名前を知っているか」
で始まる妻の独白がいいんだよね
だいたい人物がその場に複数いるのに長い独白って
推理小説だってなんだってヘボだと思うんだけど
これの場合はヘボっぽくないんだな
ヤショーダラはお釈迦さまに置き去りにされた妃の名前
僧侶である主人公が知らないはずもない
それを敢えて聞くところから始まる独白は
夫の身勝手を非難したいようで非難せず
悲しみだけは訴える
それから
僧侶として「正しい行いをしたいと思う気持ちと
妻の私を思う気持ちが同じように強いならxxxxxxxx」
そのxxの台詞は推理小説の真犯人言うみたいでいけないので
言わないが まあちょっと謎
でも多分このxxが
この映画の言いたかったことなのかもしれない
悟りたくて妻子を捨てることが
どういうことか妻の立場で語るシーンが
どうも映画一番のクライマックス
おそらく仏教徒である賢い妻としては
夫が僧侶に戻ることは止められず
どこかでそう生きたいのならそうすればいい
と思っている様子もあって
それでもそのギリギリの決断を
問いかけたかったということらしく
(まあそれがxxなんだけど)
ちょっと哀れなのがこの成り行きの後
主人公が泣き崩れ「許してくれ
お前と一緒に家に戻る」と言うところ
妻としては悲しい辛いことではあるが
もしそれほどにまで強い望みであるなら
止められないと覚悟していたはずで
それに対して「ごめん 僕が悪かった」は
言っちゃあいけない台詞だったろう
妻はいっそう悲しそうな顔をして
夫がずっと愛用していた弁当箱を
夫の前に落として
それこそ
一陣の風とともにかき消えるのだ
(幻覚だったかもと書いたのはこの消え方がね)
でまだ
シーンはちょっと続くのだが
その村はずれの石垣の上に置いてある石
彼が村に以前来たときに見た石なんだが
そこには意味深な仏教説話風の
「一滴の水を涸らさないようにするには」と
サンスクリット文字で書かれてあって
その石を裏返すとxxxxxxxと書いてある
(これも割愛するが
一つ前の記事で僕が書いたようなこと
<聖書の『一粒の麦もし死なずば』を思い出す>
なのだが
それでもなぜそれがここに出てくるのか
僕には全くわからない)
で空を大きな猛禽類がぐるぐると
円を描いて滑空するのを主人公が見上げると
幕
鳥葬を思い出してしまうがそういうことでもないらしい
ただまあ上のxxからするとそういう意味もあるのかも
いや
まあポルノかと思ってたからと言う訳じゃなく
上ではちょっと茶化して書いたかもしれないけど
けっこう真面目な映画なんだと思うし
一回見ただけなので見逃しもあることを考えると
見直すとまたウームになる映画なのかもと
思うのでした
俳優さんは中国系が多いのかな
妻役Christy Chungは
中国人とヴェトナム人の夫婦に生まれた
カナダ人とか
でも制作国はイタリア/フランス/インド/ドイツ
自分たちの映画なんか作れっこない
今のチベットでウケたかというと
そうでもないらしい
まあこれは仏の教えをどう見たのかの
小味な映画で
正統な仏教観ではないかもしれないから
不人気でもしょうがないが
僕はちょっと考えさせられているわけで
だからこんなところで紹介(?)したわけで
伏せ字にした箇所を推理できる人は
見ないでも映画がわかってしまった人かもね
でも
風景も人の描き方も僕は好きだな
淡々と風の吹くようで
あの荒涼として広い天と地の間の世界
この映画の原題は
Samsara
サンスクリット語で「流転・輪廻」を意味する
それがこの記事のタイトル『性の曼荼羅』になって売り出される国
日本てなかなか奇妙な国じゃありませんか