ひっくり返した玩具箱 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある

 何年か前
 まだJ 先生が健在だった冬
 オレは先生に呼び出されて
 と言っても何か悪さや怠慢をしたわけでなく
 昼下がりの研究室に座っていた

 ほとんど本の虫みたいな
 先生の8Fの部屋はたいして広くはなかったが
 それでも窓からの眺めは最高で
 広い緑の芝生が一面に見えるのだったが
 冬にはもちろん緑はなくて
 いたずらに枯れ草色の空間が広がっていた

 「なあ K君 君は頑張り屋だし きっと才能もある
 お父さんの目とお母さんの耳を受け継いで
 何かができる人だと思う
 まだ全然花は咲いていないが
 やれることはたくさんあるはずだ」と

 聞けば J 先生はオヤジと小さい頃からの友人で
 それがオレをあれこれ気にかける理由だと言っていたのだが
 なぜだか オレはそのことを
 思い出してはすぐ忘れる繰り返し
 「生きている世界はぜんぜん違ったが
 彼の仕事ぶりにはいつも目を開かれた
 いまさら言っても始まるまいが本当だ」と

 十二月も末近く研究棟も静まりかえる午後だった
 電話が鳴って J先生が真面目な顔をして
 「病院へ行かなければならなくなった
 私も一緒に行こう」と

 タクシーの中でオレは急に眠くなり
 他愛もない夢を見た

 慣れ親しんだ玩具箱がひっくり返り
 何て言ったか男の子の虎の人形が投げ出され
 床の上に
 ぽつんと座っている夢だった

 季節が移ろい時が過ぎ
 色々なものが変わっていく
 支えになってくれたJ 先生も今はなく
 つまり Mのオヤジさんも今はなく

 それも特に悲しいことじゃない
 どんな時間の変化の中にあったとしても
 前を向いて歩いて行くことは
 そんなに難しいことではないと考えるし
 思ってもいる
 どのみち
 すべては緩やかに暖かくなり静かになって
 過ぎていくものだ

 さっき思いもかけない
 クリスマス・カードがアメリカの
 これまた いろいろとお世話になった先生から
 着信音が鳴って届いたし
 暖かい人たちがこうして世界中にいる限り

 今年が終われば
 また新しい年が来て オレもふくめて
 みんながまた素敵な日々を生きていくことに
 なんの疑問の余地もない

 オフクロならば
 「何 センチメンタルしてるのよ」と言うとこだ





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