最近太りすぎて何だか調子が悪いので、近くの総合病院まで出かけた。この病院には他に用事があったので、そのついでに検査しようと妻と前日にいきなり決めちゃったのだった。

診察前に基本的な検査をしてほしいと言われ、言われるままに採血、四肢の血圧測定、心電図およびエコーによる心臓検査、胸部レントゲンをして診察を受けた。すると医師は「これは大変だ。すぐにカテーテル検査かCT検査を受けないと危険が危ない」と言うのである。「ははぁ~営業だな。今月のノルマを達成させようという腹だな?病院もせちがらいんだねえ」って思ったので、断ろうと思ったけど、面白そうだから「検査にいくらかかるんですか?」って聞いたら「CTだったら1万かからないんじゃないかな?」って言うので、「じゃやります」って答えちまった。本当にオレは馬鹿野郎だぜ・・・。で、結局「胸部CTスキャン」をやるはめになっちまったのである。

会計の機械に診察カードを挿入すると信じられない数字が並んだ。医師の話と違って2万以上!おいおい・・・2万円といえば当家の4週間分の食費である。それはどうでもいい。本当に困ったら死ねばいい。ただそれだけだ。

こうやって冗談めいて書いてると貧乏は本当じゃないんだろう?って思う人がいるかもしれないが、本当である。実情を書くわけにゃあいかない。なんせ自称フリーライター現実は無職っていう商売は”信用信頼の商売”なのである。真実をあからさまに書いちゃうとそれはそれで大変なので、ふざけて楽しみながらお書きあそばしているのである。それにオレは生活保護なんてのも受けてはいないから、かっこいい正当な貧乏なのであるのさ。なぜ2万円もあったのか?かみさんの給料が入ったばかりだったのである。ある支払いを遅らせて病院代にまわしたのである。悪いか?馬鹿野郎?

そんなことはどうでもいい。書きたいのは採血のことだ。

採血する前に、採血係のおばちゃんが「採血大丈夫?怖くないですか?」って聞くので「体を傷つけたり、血が噴出したりするのを見るのが好きですから大丈夫ですよ」って微笑むと、おばちゃん「採血技術ってのは凄いのよ~」と嬉しそうに採血について述べ始めた。

もう疲れたから適当に書いちゃうけど、内容は以下のようなことだ。

採血容器は真空(陰圧)になっていて、一定量(例えば2cc)採血できる。これは日本の技術だそうである。腕に刺した採血針の後端にはゴムの管(雄弁)が付いていて、これで血が噴き出すのを抑え、採血容器にもそのゴムを受けるゴム製の弁(雌弁)が付いていて、それがカチリと嵌って、真空になった採血容器に血が吹き出すが、真空圧の加減なのか一定量しか採血しないのだと言う。採血容器のゴム弁が締まって容器から血が漏れる事はない。単純なようだが画期的な技術であるようだ。

これは採血後のメモをそのままペーストしちゃった。めんどくさいからこの辺でバイチャ。興味があったらまた調べるから今日は勘弁してチョ。はっはっは。

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「正力松太郎の運と実力?」

大正12年12月27日、午前10時45分頃のこと。師走の寒気の中、第48回帝国議会の開院式に行啓するために赤坂離宮を出発した皇太子裕仁が乗った車が芝琴平町にさしかかった。道の左右の歩道には皇太子に向け頭を垂れる数多くの人々が居並んでいた。

すると突然、群集をかきわけて一人の男が飛び出してきた。男は前にいた子供を突き飛ばし、警官や憲兵たちの警戒線を突破して、皇太子が乗った車に向かって走った。あっという間の出来事だった。驚いて何もできない警官や憲兵たちの前で男は手にしたステッキ銃を”膝撃ち”の姿勢で構えると皇太子の乗った車に発射した。

弾丸は車の右側の窓ガラスを貫通したが僅かに弾道がそれたために皇太子には当たらなかった。しかし、割れた窓ガラスの破片が皇太子と侍従に降りかかり、侍従の額を切り破った。

男は「革命万歳!」と叫びながら、皇太子の乗った車を追ったが、我に返った警官や憲兵に群衆に取り囲まれて袋叩きにされてから逮捕された。

青年は”難波大助”という名前で、山口県熊毛郡周防村の出身。勤皇の名家の出で、元衆議院議員難波作之進の4男であることがわかった。

当時の山本権兵衛内閣は責任を取って総辞職した。さらに警視総監・湯浅倉兵、警務部長・正力松太郎、愛宕警察署長・新田久寿治の3名が懲戒免職となった。同時に現場に配置された大量の警察官たちも処分された。

注目すべきは警務部長の正力松太郎の生命力と運の強さだ。詰め腹を切らされるように警視庁を免職となった後に、読売新聞社主となる運の力には驚くべきものがある。

ちなみにステッキ銃の元々の持ち主は伊藤博文だった。

伊藤はロンドンで銃を購入し、朝鮮総督時代に護身のために決して手放さなかった。帰国後、伊藤はステッキ銃を林文太郎に贈与したのだが、難波の父親が借りてきていて、それを息子の大助が皇太子暗殺のためにと盗み出したのだ。

大助には兄がおり、父親は兄ばかり溺愛し、大助を「出来が悪い息子」として扱って、教育費も出さなかった。同じ頃にヨーロッパで革命が相ついで、大助はあっという間に社会主義の洗礼を受けた。関東大震災時の大杉虐殺や亀戸事件を見て、テロ行為こそ革命を推進するものだと思ったと言う。またプロレタリアの中にも天皇崇拝の意識が根付いており、これらを断ち切るために皇室に対するテロしかないのだと決心した。

難波大助は死刑宣告を受けると「日本無産労働者・日本共産党万歳、ロシア社会主義ソビエト共和国万歳、共産党インターナショナル万歳」と両手をあげて叫んだ。

翌々日、市ヶ谷刑務所で死刑執行。

今の世の中、2人殺さなければ死刑にならんというのに、当時は皇太子暗殺未遂だけで死刑とは・・・やれやれだ。


参考「昭和暗殺史」森川哲郎 1994年 毎日新聞社刊(三一書房新書版の復刻。森川さんの「幕末暗殺史」「明治暗殺史」「昭和暗殺史」の暗殺史三部作のひとつ)森川さんは市民運動家で帝銀事件の平沢死刑囚の罪を晴らすために奔走した。ちなみに仮面ライダーの緑川ルリ子役の女優森川千恵子さんは娘さんである。


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原民喜が好きである。民喜は北新宿から千葉市登戸(のぶと)に移り住み、愛妻(評論家佐々木基一の姉)が亡くなるまで船橋夏見の中学校の嘱託英語講師を勤めた。船橋は太宰も住んでいた街である。

そういえば数年前に原民喜の足跡を訪ねて千葉市まで写真を撮影しに出かけたことがあったが、結局、どこに住んでいたのかわからなかった。

仕方がないので、パチンコ屋の屋上に揺れるアドバルーンとか廃墟になりつつある千葉市駅周辺の空き地を撮影して帰宅した。

民喜の妻は肺結核で、千葉医大附属病院で療養生活を送った。弟の佐々木が特高に逮捕されると、そのショックで具合が悪くなり、あっという間にこの世を去った。民喜は翌年千葉の家を引き払って故郷の広島に疎開するが、原爆被災。しかし運よく便所に入っていたために救われる。

僕には民喜の気持ちが何となくわかる。愛妻を失って、虚ろな精神状態のままに帰郷して、罪もない多くの人々が死んだ原爆に被災しても死ねなかった。運がいいのか悪いのか、さぞかし自分や運命を憎んだことだろうと思う。

その後、民喜は再度上京して嘱託で英語教師をしながら文学活動を続けるが、愛妻への思いと広島の原爆投下のあとの地獄のような光景が脳裏から離れなかったからなのか? 中央線、吉祥寺と西荻窪間の線路に身を横たえて自殺する。

僕は、原の「夏の花」「心願の国」などの”愛妻について書かれた小説”が好きだ。何度読んでも目頭が熱くなる。僕自身の妻に対する罪悪感も相まって、何度も読み返しては反省したくなるのだ。

前職時、原の小説を読んだ事があるという後輩に「夏の花を読んだけれど、全然面白くなかった」という感想を聞いた。僕は「こいつはバカなのだろうか?」と思ったが口に出さなかった。文学作品を読んで「面白い、面白くない」という単純な感想は作品の種類に応じて使う感想だろうし、第一、その感想はあまりにも馬鹿すぎる。探偵小説やSFにだって「面白い、面白くない」という感想では簡単に語れない作品はたくさんある。

この後輩は「うつ病」で、かつアルコール中毒でもあり、無断欠勤を繰り返し、同僚たちに迷惑をかけた挙句に会社を辞めていった。まるで”廃人”のような自分の生活だって「面白い、面白くない」で、第三者に語られるのは嫌だろうと思うのだが。

ちなみに千葉市には画家の田中一村も住んでいた。彼もまた孤独な中で死んだ。