「正力松太郎の運と実力?」

大正12年12月27日、午前10時45分頃のこと。師走の寒気の中、第48回帝国議会の開院式に行啓するために赤坂離宮を出発した皇太子裕仁が乗った車が芝琴平町にさしかかった。道の左右の歩道には皇太子に向け頭を垂れる数多くの人々が居並んでいた。

すると突然、群集をかきわけて一人の男が飛び出してきた。男は前にいた子供を突き飛ばし、警官や憲兵たちの警戒線を突破して、皇太子が乗った車に向かって走った。あっという間の出来事だった。驚いて何もできない警官や憲兵たちの前で男は手にしたステッキ銃を”膝撃ち”の姿勢で構えると皇太子の乗った車に発射した。

弾丸は車の右側の窓ガラスを貫通したが僅かに弾道がそれたために皇太子には当たらなかった。しかし、割れた窓ガラスの破片が皇太子と侍従に降りかかり、侍従の額を切り破った。

男は「革命万歳!」と叫びながら、皇太子の乗った車を追ったが、我に返った警官や憲兵に群衆に取り囲まれて袋叩きにされてから逮捕された。

青年は”難波大助”という名前で、山口県熊毛郡周防村の出身。勤皇の名家の出で、元衆議院議員難波作之進の4男であることがわかった。

当時の山本権兵衛内閣は責任を取って総辞職した。さらに警視総監・湯浅倉兵、警務部長・正力松太郎、愛宕警察署長・新田久寿治の3名が懲戒免職となった。同時に現場に配置された大量の警察官たちも処分された。

注目すべきは警務部長の正力松太郎の生命力と運の強さだ。詰め腹を切らされるように警視庁を免職となった後に、読売新聞社主となる運の力には驚くべきものがある。

ちなみにステッキ銃の元々の持ち主は伊藤博文だった。

伊藤はロンドンで銃を購入し、朝鮮総督時代に護身のために決して手放さなかった。帰国後、伊藤はステッキ銃を林文太郎に贈与したのだが、難波の父親が借りてきていて、それを息子の大助が皇太子暗殺のためにと盗み出したのだ。

大助には兄がおり、父親は兄ばかり溺愛し、大助を「出来が悪い息子」として扱って、教育費も出さなかった。同じ頃にヨーロッパで革命が相ついで、大助はあっという間に社会主義の洗礼を受けた。関東大震災時の大杉虐殺や亀戸事件を見て、テロ行為こそ革命を推進するものだと思ったと言う。またプロレタリアの中にも天皇崇拝の意識が根付いており、これらを断ち切るために皇室に対するテロしかないのだと決心した。

難波大助は死刑宣告を受けると「日本無産労働者・日本共産党万歳、ロシア社会主義ソビエト共和国万歳、共産党インターナショナル万歳」と両手をあげて叫んだ。

翌々日、市ヶ谷刑務所で死刑執行。

今の世の中、2人殺さなければ死刑にならんというのに、当時は皇太子暗殺未遂だけで死刑とは・・・やれやれだ。


参考「昭和暗殺史」森川哲郎 1994年 毎日新聞社刊(三一書房新書版の復刻。森川さんの「幕末暗殺史」「明治暗殺史」「昭和暗殺史」の暗殺史三部作のひとつ)森川さんは市民運動家で帝銀事件の平沢死刑囚の罪を晴らすために奔走した。ちなみに仮面ライダーの緑川ルリ子役の女優森川千恵子さんは娘さんである。


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