10月1日2日の両日で無事父のお葬式が終わりました。

今日のブログはほとんど愚痴ビックリする出来事で長文になります。

できればグチは軽くスルーしていただいて、最後のほうのビックリする出来事はしっかり読んで覚えておいて欲しいと思います。




連日父の様子を見に実家に通い、29日の早朝に亡くなって、お通夜や告別式の日取りや親戚各所に連絡をしたり、準備が次々とあり本当にあっという間の出来事でした。

たくさんの方々に来ていただいて父も喜んでいると思います。



昔から母と兄が決めることは私を深く傷つけて、それを父がいい感じに収めてきてくれました

口数が少なく人に気持を伝えるのがヘタな父の愛情はこういう形であらわれていました。

昔こどもの頃、年子の兄は本当にいたずらで父にとって自慢だった私の長い髪の毛の上のほうにチューイングガムをベッタリつけたことがありました。

それを見つけた母が裁ちバサミでガムがついている束を切ろうとしたとき、父が母の行為をとめて、時間をかけて1本1本丁寧にガムをとってくれたことがありました。



母は昔とても裕福な家庭の初孫長女として生まれ、特別扱いで育ったせいか我儘でちょっと金銭感覚がずれているところがあります。

他人に対してはとても優しく穏やかないい人の印象を与えているのですが、その反面祖母や父や私には我儘で勝手な人です。

(甘えがあったんだとは思いますが)

自分の妹や弟や姪、その子ども、兄、義姉、孫に対しては本当に優しくてお小遣いをたくさんくれるいい人なんです。


そんな母が溺愛して育てた兄もまた利己主義で表面上はカッコつけていい人を演じます

その分のツケがくるのは義姉だから相当大変だと思います。

それもまた父がいい感じに収めていました



父が亡くなって葬儀のことは主に母と兄で決めていました。

兄は親戚関係に連絡をしてくれて、私は父の知人関係や連絡できるところに連絡して、兄を見直していたところでした。

それでも自分が親戚に伝え忘れた供花を出すか出さないか一番聞きにくいことを私にふったりして、勝手なところが見え隠れしていました。

供花の件でも旦那くん関係の名前の供花が多いからできれば旦那くんの実家の義父と義兄のそれぞれのものを連名で1つにして欲しいとか。

これは偶数にしたほうがいいから承知して旦那くんの実家にも知らせました。

当日供花を見たら、うちで出したものは旦那くんと私の連名。

自分は喪主ではないから、自分だけの名前。



前日母から電話で”お兄ちゃんと決めたんだけど。受付を頼める人がいないからお願いね”っていってきました。

受付はお通夜が始まる前から座って準備していないといけないし、式の最中でも来てくださる方がいるから式にでれないことがほとんどで、お香典だってあるから席外すわけにはいかないし、お焼香だって見計らってする役目です。

私は実の娘で最期の最期まで会話してお世話して来てちゃんとおくってあげたと思いいていたのに、式にもずっとでれないなんてひどいっ!!!!


そういうことって普通は血縁はしないで、孫だったり甥、姪だったり町内会だったり会社関係だったり信頼できる方に頼むものですよね。

いないからって実の娘を受付にするところなんてないと思います。

(いないといっても私の従妹もいたし、頼みずらいだけの話しです。)

私は無知な母が決めたとしても、いくらなんでも兄がそれをダメだという常識くらい持っていると思っていました。

私は”私は実の娘だよ。実の娘が受付やるなんてありえない”とだけいって断るのが精一杯でした。

しかも言っていないのに私がやってもいいといったと母はいい、まるでやらないことが私の我儘かのようにいって電話を切りました。

誰よりも父の死を悲しんでいる私の大きくて深い傷口に塩を塗りつけるようなことを平気でいうなんて、やらないことになったとしても深く傷つき、本当に悲しくて寂しくて、こんな時に父がいたら絶対に”非常識なことをいうな”と母に一喝してくれたと思います。

私は今までずっと大きくて深い父の愛情に守られていたんだと感じて余計に悲しくて涙がとまりませんでした。



嗚咽しながら泣いている私を見て旦那くんが母に電話して”当日は外せない会議がはいっているけど1時間前には到着できるから僕が受付やります。受付をやると式にもでれないんですよ。せっちゃん泣いていますよ”といってくれたそうです。

そうしたら母は”あらそう。後で誤るわ。じゃあお願いね”といったそうです。

旦那くんだって私の主人なんだから式にでるのが当たり前の存在なのに。。。。



お通夜の朝兄から電話があって、いい訳のような話をしてきました。

もっともらしいことをいっていますが、適当にいいわけ考えた感じです。

”オレが式まで受付やるから”とか”式が始まる前までのつもりだった””ママも言葉が足りなかったから怒るなよ”とかね。

実際母は喪主でもなにもできないんだから兄がついてないといけないし受付なんてできるわけないんですよ。

この際だからと私も思っていた胸のつかえを吐き出しました。

”父がいたら非常識な事するなって絶対いったわよ””自分がいわれたらどんな気持がする?””受付やったことがある人ならそう思うわよ”といってやりました。

”わかったからとにかく機嫌直してちゃんとでてくれ”といってきました。

子供じゃないんだからどんなに怒りと悲しみでいっぱいでも父のために式は全部でるつもりでしたよ。



とにかく家からセレモニーホールまで父の遺体を運び出す時間までに実家にいきましたが、母は謝る言葉は一言もいわず”おにいちゃんから話してもらったほうがいいと思って。。。ママはパパにとって悪い妻だった”といって泣いていました。

だから私は”そうだよ。パパは全部お見通しだったし、ママが我儘放題できたのはパパがいたからだよ”といってやりました。


ホールについたら受付は式が始まるまで義姉がやってくれるといってくれました。

従妹も忙しいのに急いで早く来て受付をやってくれました。

旦那くんと義姉と従妹で受付をしてくれている間、母と兄はお坊さんのところにいったり、セレモニーの人の打ち合わせでいなかったので、私は唯一親戚関係の顔を知る者としてご案内したり、お線香をあげていただいたり、父のお顔をみていただいたりで受付をやる時間などありませんでした。

やはり遅れてくる方も多く、従妹は見計らって交代で最後にお焼香してくれました。



告別式の当日朝です。

実家にあまり知らない名前の人から”日野市の高木一夫ですが、告別式にでたいから時間を教えてください”と女の人から電話があったそうです。

場所を聞かれなかったので、”それでは11時から12時斎場”でといって母は電話を切ったそうです。

でも実際告別式は斎場ではなくてセレモニーホールだったんですよね。

しかも父のことってあまり多くの人に知らせていなくて、親戚以外では多摩市の町内老人会と自治会の人と昔二世帯に住む前の日野市の極親しい人ふたりにしか伝えていないし、その方も他には話していないからすごく不思議に思いながら告別式をしていたんです。


実際受付の芳名帳にも高木一夫という名前がなく、誰だったんだろう?とみんなで話していました。


告別式が終わり、焼き場に移動して最期のお別れをしました。

私はこの焼き場がどうしてもダメで、お棺が焼くところにはいっていく様が本当にダメなんです。

それでもちゃんとおくってあげないといけないから倒れそうな気持をおさえながら見届けました。


お骨が焼きあがるまで通常お茶とお菓子で待つのですが、祖母のとき時間的にお昼時でみんなお腹をすかせながら終えてから2時半からの食事だったので、今回は待っている間にお食事を出しました。

お骨をみんなで拾い終わったのは2時過ぎ。

ホールに戻ったのが2時半でした。

来て頂いた方を都合のいい駅まで送迎してもらったり、私と旦那くんは鎌倉に住んでいる叔父夫婦を実家の最寄駅まで送り、実家に戻っていました。

兄家族と母と義姉のお父さんが全部済ませてお花などと一緒にセレモニーホールの人と一緒に後から戻ってくることにまっていました。


たぶん2時50分くらいだったと思うのですが、実家の電話が鳴り私がでました。

すると”さがわ急便ですが、お届け物がありまして住所が不鮮明なので確認したいのですが”と女の人がいってきました。

連日の疲れと式が終わって何も頭がまわらない私でしたが、”ではどこが不明なのか住所いってください”といったところ正しく番地までいっていたので”合っています”といいました。

そうするとその女性は”これからいらっしゃいますか?今日告別式ですよね。もう終わられたのですか?”といってきました。

私は”ええ。だからずっといますから持ってきてください”といい電話を切りました。


そして兄たちが帰ってこないので3時過ぎに姪や母に電話したのですがみんなマナーモード。

やっと母の携帯につながりもう帰って来るというので待っていました。

セレモニーホールの人が父の祭壇を家に作ってくれて、そうこうしている間に宅配便がきたりして”あぁ来たんだ”と思っていました。


兄と母と49日の話をしたり、夜ごはんは疲れたからお寿司でも買って来ようと義姉が買ってきてくれて、みんなでいろいろ話しながら、”ところでさっき届いた宅急便ってさがわだった?””違うよ。それに義姉のだから電話番号2階のだし””えぇ~!じゃあまださがわ来てないんだ。遅くない?””高木さん告別式こなかったから高木さんからだったのかな?うちが告別式だったこと知っていたみたいだし””なんかおかしくない?””それってさぁ。。。なんかヘンだよね”そういえば告別式とか宅配便の人知らないし””だから高木さんなのかと思ったんだよ”などなど怪しい感じになったので、私が管轄のさがわ急便に確認の電話をしました。


調べて電話してくれるということだったんですが、40分しらいしても電話がなくて、これは完全に怪しいという話になり、これは私たちが留守にしている間にお香典を狙ったものだったのではないかってことになったんです。

インターネット調べるとやっぱり宅配業者を名乗っての個人情報の聞き出しが頻繁にあると書いてありました。

香典狙ってのそういう話はなかったのですが、朝の高木さんから始まって不審電話。

さがわからも電話がありそういうお届けものは確認できない旨の連絡もあり、セレモニーホールでも個人情報だから他言していないとのこと。

もしかすると連日セレモニーホールの車が家にとまっていたのを見ていたのかもしれないです。

セレモニーホールも焼き場も実家から車で5分くらいのところなので、調べようと思えば調べられることですよね。


実際もしあの時焼き場で食事をせず、終わってからセレモニーホールで食事をしていれば帰って来るのは5時半くらい。

本当は旦那くん終わってから会社にいかなくてはいけないことになっていたから先に車で実家にいくことはなかったんですよね。

でも疲れちゃったから会社にはいかず私と一緒に実家にいたんです。


みんなでぞっとしてとにかく戸締りしっかりして防犯等をつけて寝ようということになり、今日は兄も義姉も仕事休みなので私たちは帰ってきました。

凄く嫌な気持でいっぱいになりながら帰ってきたのですが、結果空き巣に入られたわけでもなくお香典取られたわけでもないのでよかったです。

そんなことがまさか実家で起きるとは思っていなかったので本当にビックリでした。

あまりにも驚いて受付事件はあっさり私の心の中から消えてしまっていたというわけです。


みなさんもくれぐれも宅配業者からの不審電話には気をつけてくださいね。

まず電話があるときはドライバーで名前を名乗るし、個人情報に関係することはいわないそうです。

住所や名前は受取人ではなく差出人に確認するそうです。

女の人だからと安心しないでくださいね。

私の今回の教訓でした。

父は9月29日朝方に静かに眠りながら逝去しました。

死に目には会うことができませんでしたが、昨日いっぱいいっぱいお話ができたので悔いなくおくることができそうです。


長く寝込むこともなく介護らしい介護は2日程度でした。

母も介護疲れすることなく父らしい最期を受け止めています。


台風の去った後に、お通夜と告別式をすることにしました。

兄も義姉も姪も父の死を悲しみ涙してくれたことが本当に嬉しかったです。


私のグチをここで聞いてくださったみなさんに支えられていたように思います。

ありがとうございました。

昨日の父のことが気がかりで朝母に電話したところ、夜中に事件があったそうです。


大人しく寝ていると思った父が夜中2時にベッドから落ちたとの事。

たぶんおトイレに自分で行こうと思ったけど、足に力が入らず落ちたんだと思います。

当然母だけではベッドに持ち上げることができず、初めて2階に寝ている兄を起こしてベッドに乗せ様としたらいいのですが、うまくいかずベッドの下に布団を敷いてなんとか寝かせたそうです。


それからやっぱり父は息が荒く今にも逝ってしまいそうだったとの事。

ずっと母は父を擦りながら朝を迎えたところ少し落ち着いて、私が持っていった梅酢の飲むゼリーを結構食べたそうです。

しかしやっぱり眠れずに、やがて布団の上で寝ながら動き回り、わけのわからないことをずっと延々しゃべっているとの事。


心配だったので、男性用尿器と吸い口とドライシャンプーと使い捨ての吸収シートと母のお昼用ににサンドイッチと甘いパンを買って実家へ行きました。

家に着くとふとんの上でずっとしゃべっている父がいました。

父は寡黙であまりしゃべる人ではありませんでした。

そんな父がずっと延々わけのわからないことをしゃべっていて返事や会話をしないと怒っていました。

私はずっと父の布団のそばで背中を擦ったり、マッサージしたりしながら、わけのわからない父の話し相手をしていました。

会社に行きたいようなことをいったり、カッコいい格好をさせて欲しいとかもいっていました。

会議に参加していたり、郷里の家で過ごしていたり、電車に乗っていたり、どこか旅行にきていたりのツジツマの合わない話。

それでも話しに対して答えると嬉しそうでした。

お風呂にはいりたいというので暖かいタオルで体中を拭いてあげました。

疲れている母のかわりに今日は全部私が父のことを受け止めました。


看護師さんがきてくれて診てくれました。

脈拍はかなり多く、血圧はかなり低く、酸素も50%前後。

尿器にとった尿の色をみて、点滴をいれてくれました。

いれている間もふとんの上で動いて点滴がなかなか落ちませんでしたが、4時間近くかかってやっとはいった点滴で18時にやっと寝てくれました。

その間に母を息抜きさせたくて自分の病院や銀行など1時間半くらい外にだしました。



父が寝ている間にばんごはんをちゃちゃっと作って母と食べ、19時にドクターがきてくれました。

父はわかっているのかわからないのか寝ていました。

ドクターは今日明日でもおかしくない。その日がきてしまったようだと話しだしました。

いいにくそうに1週間以内だと。。。。

この状態は昏濁だと。


ドクターが帰ってから21時くらいに一度父が起きたのでお茶を飲むか聞いたところ飲むというので睡眠導入剤も一緒に飲ませました。

23時半に旦那くんが迎えにきてくれたときは父は昏々と寝ていました。


母にも今日はしっかり睡眠をとるようにドクターからもらった睡眠導入剤を半分だけ飲ませてました。

明日また実家にいくつもりです。


今日兄や兄家族が父を心配する言葉を聴かせてくれました。

意識がはっきりしている間に父にいってほしかったけど、その言葉だけで私のわだかまりは消えたような気がします。


父との会話。

会話が成立していたかどうかわかりませんが、こんなに長く今まで父と話したことがなかったような気がします。