空模様が気になる24日のアミノバイタルフィールド。四大戦の決勝が雉達VS欅で行われました。
第1Qは双方攻め手を欠き、ダウン更新はするもののどちらも得点には結びつきません。

第2Q中盤、欅陣45ydからの攻撃権を得た雉達はRB#36中野の13ydsランできっかけを掴み、QB#2中山のキープ、RB#5柏木のランなどでゴール前16ydへ。これをTEにコンバートされた#10小野沢へのパスで決めて、雉達が先制しました(キック成功で7-0)

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押し気味に試合を進めていた雉達でしたが、前半終了間際に4thダウンでP#56原嶋が低いスナップを膝をついてキャッチするという痛恨のミスを犯します。攻撃権を得た欅は#5が20ydsを走り切って追撃(キック成功で7-7)、前半を同点で折り返します。

第3Qに入り、欅の自陣でのファンブルを雉達DT#76福田が欅陣29yd地点でリカバー、攻撃権を得ます。これもQB#2中山がエンドゾーンに走り込んだWR#11大岩へ冷静にパスを決め、欅を突き放しにかかります(キック失敗で13-7)

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得点後の欅のシリーズは自陣35ydから。グランドアタックとミドル~ショートレンジのパスを織り交ぜて雉達陣20ydまで攻め込み、最後は#20が残りを走り切ってTDを挙げます。キックが安定していた欅でしたが、このPATはゴールポストに当たり不成功、13-13と試合は再び振り出しに戻りました。



第4Qも半ば過ぎ、雉達の攻撃は自陣37ydからでした。すでに負傷者も数名出ている雉達は必死の攻撃を始めます。RB#26小野寺のオフタックル、WR#4へのパスなどで欅陣に入り、敵陣17ydから逆風の中でのK#3宮のFGトライはギリギリでゴールポストを越え、再度リードを奪います(16-13)


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残り時間は後4分を残していました。キックオフがOBに出たため、欅は5yds下がっての再キックを選択、これがハーフラインまでのリターンとなり、時間を気にしながらの欅の反撃が始まりました。満身創痍の雉達D。欅QB#1のオプションキープやRB#11のオープンランなどで次々にダウンを更新、雉達エンドゾーンに迫ります。ゴール前15ydからの第1ダウン、欅はパスを選択、パスディフェンスの隙間に走りこんだWRへパスが投じられました。すでにWRはエンドゾーン内。ここでDBも兼ねる雉達#26小野寺がWRと同じタイミングでジャンプ、空中にあったボールはWRとDB小野寺の4つの手でキャッチされました。近年のルール改正で、エンドゾーン内の空中でキャッチされたボールは、キャッチしたプレイヤーが着地した時点で確保が確認されないとTDとは認定されません。DB小野寺はそのことを知っていたのかどうかは定かではありませんが、同時キャッチしたボールを欅WRが着地する前にその手から奪いとり、自身が確保した状態で着地したのです。審判の笛が鳴り、タッチバックの宣告。インターセプトに成功しました。残り時間は50秒でした。雉達Oはもちろん「eat the ball」です。のこり1秒でのディレイオブゲームは余計でしたが、ファイナルスコア16-13で四大戦の2年連続優勝を達成したのでした。


第2試合の3位決定戦、将軍vs橙光線は、いいリズムで先行TDを奪った橙光線でしたが、地力で勝る将軍に終始圧倒され、28-7で将軍が3位となりました。

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前にも書きました八幡山の鳥神との合同合宿は、あの月刊誌にも掲載されるようなエピソードを伴っていました。当時鳴り物入りで鳥神に入学していたQBのM田が私たちが合流する前日に合宿から「逃亡」していたのです。後に関東を制覇し、甲子園で関学と死闘を演じることになるM田が、1年の夏合宿は半分しか参加していなかったのです。これを読み物風に仕立ててT誌が取り上げたのは、その数ヶ月後のことでした。
実はこの合宿では、もう一つの「逃亡」がありました。高校の先輩でもあり、私を入学式の正門前で勧誘したセンターのKさんが、合宿の中日の午後の練習に出てきませんでした。M田の話は合宿入りした時点で聞いていたのですが、まさか、2人目が出るとは誰も思いませんでした。
人数が少なかった私たちにとっては、一人が欠けるだけでも大変なことでしたが、なんとか日程をこなし、合宿を終えました。
合宿後には2日の休みがあります。その間にKさんと同期のUさん、Oさんが、Kさん宅を訪れ、復帰するよう説得しました。最初は本人は応対せず、お母様が先輩2人と話し合ったそうです。その時のお母様の言葉が、その後わが雉達の間で長く「名言」として語り継がれていくのです。



「あなたたちは合宿を最後までやり遂げた根性がありました。うちの子はそこから抜けるという勇気と男らしさがあったんです」と。



結局Kさんはチームに戻り、今でも体育会OB会の理事として、ご活躍いただいています。


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最近の学生は、シーズン前にその年のスローガンや目標を決めてシーズンインすることが多いようです。2部を目指してがんばっていた頃には「崖っぷち」というのがありました。確か3部は制覇したものの、入替戦で綱島の稲妻に惜敗した翌年のスローガンだったような気がします。




新装なった我が雉達HPは、管理人をしてくれているコーチKが一人で切り盛りしている関係で、なかなか更新されないのですが、カウンターは毎日数百の訪問を数えています。私のブログなんぞ比較にならないくらいです。(笑)

普通はHPのトップにスローガンが出るものなのですが、そこは奥ゆかしい現役諸君のこと、チームプロフィールのところで見つけました。それが「ALL OUT」でした。




英語のボキャブラリーが極端に少ない私にとっては、直訳しかできません。まあ福留の「偶然だぜ」と同じレベルなのですが、直訳したら「みんなアウト」・・・・・

これじゃあスローガンにもならないし、意気なんて上がりませんよね。それで、後輩も勤務しているyahoo!の辞書でひいてみました。




ちゃんとあるじゃありませんか。「総力を挙げて」「徹底的な」。ウンウン納得です。まずは2部昇格、次に2部定着、上位をうかがって1部を目指す。現役諸君と指導陣の着実な努力が伝わってくるスローガンだと、贔屓の引き倒しで拝見している次第です。先日の将軍大戦などはまさに「総力を挙げて」の勝利だったんだなと一人合点しています。




ちなみに、1部の各校にもスローガンはあるようで、下高井戸の不死鳥が「剛毅果断」、武蔵小杉の斧が「決意~学生日本一奪還~ 計画≦実行 」、八王子のアライグマが「破壊」などなど。2部では横須賀の士官候補生が「殻を破れ」、千葉の海神が「咬み付く」と、日本語表記が多いようです。
盛岡の岩手大グランドで行われた岩手大VS弘前Gサージェントの試合は、学生が6月8日に行われる仙台グリーンボウルの合同練習日だったため、岩手大と盛岡ラウディーズの混成軍での対戦となった。
人数に勝る岩手連合だが、キックオフがOBとなった好位置からの最初のシリーズは、一度ダウンを更新して攻守交代、なかなかランが出ない立ち上がりだ。対する弘前GSは、パス主体で攻める。こちらも一度ダウンを更新するも、攻め切れずに攻守交代。まずは静かな立ち上がりだった。
試合が動いたのは第2Q。弘前陣ゴール前に攻め込んだ岩手連合が30ydsのFGを決め先制した。次のリターンを自陣40yd付近まで返した弘前は、QB#4が岩手ゴール前に走り込んだWR#28にロングパスをヒット、#28はそのままエンドゾーンに駆け込み逆転のTDをあげた。(7-3)
なかなかランが出ない岩手大ユニットに対しラウディーズユニットは巨漢RB#88のダイブ、QB#4のオプションキープなどでダウン更新はするものの、得点には至らない。弘前は徹底したパスオフェンス。前半終了間際に、またも#28へのロングパスが決まり、前半を14-3で折り返した。

後半レシーブの弘前は、そのシリーズをTDにつなげて点差を開く。(キック失敗で20-3)
岩手連合はその後ラウディーズユニットのRB#11が右オープンを75yds走り切りTDで追い上げる(20-10)が、弘前が1TDを追加(PATラン成功で28-10)した後のエンドゾーン内からのパントでパンター#1が低いスナップを膝をついてキャッチするというミスを犯し(セフティで30-10)、第4QにもTDを追加した弘前が36-10で勝利を飾った。
ブログネタ:自殺について考える 参加中
1975年の創部ですから、雉達は間もなく35周年になります。この間、亡くなった先輩や奥様を亡くされた先輩もいます。齢を重ねていくと、結婚のお祝いが多いと思っているうちに、ある年代からお香典が多くなり、最近ではお祝いの熨斗袋はほとんど利用することがなくなりました。
私たちが最上級生だった年のメンバーは、私が入学以来一番良い成績を残せたこともあり、卒業して何年経っても全員の顔やエピソードが昨日のことのように思い出されます。
2級下の連中は入学時のリクルートがうまくいったこともあり、人数も多く個性の強い連中揃いでした。年齢は私と同じながら、QBとして不死鳥のS御大の目にとまったS、親父さんがプロ野球選手だったN、兄貴が橙光線にいたI、今は現役を率いてくれているH、高校時代はバレーボール選手だったT、スキーでは国体の出場経験もあるKなどでした。
そのKの訃報が飛び込んできたのは、卒業して数年が経ったある日のことでした。卒業後は故郷に帰り、実家のホテルを親父さん達と一緒に経営し、結婚して子供もいる、と聞いていましたので、急病だったのかと聞いたところ、連絡を寄越したHは言を左右にして死因を教えてくれませんでした。OB会からの弔電などの手配をして、他のOBに当たったところ、どうも自殺だったらしい、というのです。
まだ30代の働き盛り。会社経営には心労もあったのでしょう。ただ4年間あれだけキツい練習に耐えられたのに、と思うとそれが口惜しくてなりません。社会人になり、家庭を持つということは、それだけ責任が増すことですし、人間的にも大きくなっていたはずなのですが・・・・
新歓コンパで「自分には芸がないので」と言って日本酒を一気飲みしたK、ヘルメットで額に傷がついたら「跡取りなんだから顔に傷がつくなら辞めます」と言いながらワンワンでは一番激しい当たりをしていたK、いつもニコニコしていた彼のことは永遠に忘れないでしょう