前回のこの場面についてです。
このライバルという言葉、日本語訳としては競争相手、対抗者ですけど、僕はそういう存在というよりも、高め合う仲間、励まし合う仲間というイメージで捉えています。
親じゃないとできないことがあるように、先生(大人の経験者)じゃないと響かないこと、同い年の仲間じゃないと変われないことというものが、人の心の成長には必ずある。
親も含めた大人たちに何を言われようと、心に届いてはいるものの、動くことができない。動けないけれど、「このままじゃいけない」「動かないと」「やらないと」という気持ちは常に頭の中にある、そんな思春期真っ只中の頃。
常に頭の中にあるからこそ、親の「やらないでいいの?」という言葉に、「やろうと思っていたよ」とつい返してしまう。
これは決して嘘じゃない。でも、動けない。そんな自分への苛立ちを、親の言葉や態度に責任転嫁するような言葉を吐き捨ててしまっては、後から自己嫌悪。
そんなとき、自分を変えてくれた仲間がいた。
そういった仲間の存在なしでは変えられなかった、変わらなかったと思うことが、誰しもにあるのではないでしょうか。
僕にもあります。
くすぶっていた僕に、「一緒に勉強しようぜ」といって、何度も何度も家に呼んでくれたアイツ。
勉強から長く離れていたので、ちょっとやってはすぐ集中が切れて、アイツの部屋の漫画に手を出す。
その間もアイツはずっと机に向かってる。何時間もずっと。
そんな日が何日も続いていけば、さすがにやろうと思いますよ。いつしか、自分も勉強していました。
誰に何を言われても、どうにかしないといけないって毎日モヤモヤするだけで、自分では動けなかったのに、アイツの存在が僕の人生を変えてくれました。
そういう仲間が集まる学び舎を作りたい。
集団塾にした理由です。
ちなみに、その友人は今偉くなってます(笑)。
アイツが書いている本です。信じられないくらいめっちゃ良い奴なんで、もし興味がありましたらご購入ください。
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