8月3日までの夏期講習前休館日、この休みの間を利用して、日頃なかなか会えない友人知人と会ったりしています。

 

50歳を目前ですからね、話題はもっぱら「自らの健康」、そして「子どもの受験」。

 

その中で、とりわけ興味深かったのは、みんな意外にも遺伝論者だということです。

 

「オレの子どもだからこのくらいできるだろう。」とか、「うちの家系じゃあこんなものだろう。」とか。

 

現場で実際に受験を指導している自分にはまったくない発想で、いや、そんなことないぞ!と実例を挙げて一つ一つ丁寧に否定しました。

 

確かに、遺伝がまったくないわけじゃない。

 

浦和や川越のような県のトップ校なら、ある程度は必要な気がします。

 

でも、そうじゃなければ、たとえば県内の上位2割くらいだったら、実際に誰でも行けます。← これは実証済み

 

大学入試で言うならば、東京大学や国立医学部は遺伝的要素が必要かもしれませんが、MARCHレベルくらいであれば、遺伝子なんて関係なく誰でも行けると思います。

 

これだって、あくまで私の指導力での話であって、私よりも凄い指導力の人なら、浦和や川越にだって誰でも行かせられるかもしれない。もしかしたら『東京大学や国立医学部だって、誰でも行かせられるよ』という指導者がいるかもしれません。

 

何が言いたいかって、つまるところ遺伝なんて、こと受験においてはほとんど関係ないってことです。

 

月並みですが、やれば誰でもできます。「できない」のは、イコール「言われたとおりにやらない(≒やれない)」からであって、そこに遺伝的要素は決して大きくはない。

 

では、なぜ言われたとおりにやらないのか。やれないのか。そして、そのすべての源泉となるやるためのパワー(やる気)はなぜ出てこないのか。

 

ここについてどうしたらよいのか、個人的な見解を書いてみます。 

 

まず「どうしたらやる気が出るのか」や「どうしたら興味や関心を持つようになるのか」または、「どうしたら言われたとおりにやるようになるのか」というようなことには、個人差がかなりあると感じています。

 

もし遺伝的要因が大きいところを挙げろというなら、こういった「やる気が出やすいかどうか」「素直に人の意見を聞き入れやすいかどうか」「興味を持ちやすかどうか」「集中力の持続時間はどれくらいか」のようなことだろうと思うくらいです。※ 集中力の持続時間なんて、別に短くたって構いません。切れたら少し休んでまたやればいいだけなので。

 

ですから、「こうやったらやる気が出たよ」のような類いのアドバイスはあまり役に立たない。逆に「どういう時に人はやる気を失うのか」の方が重要です。なぜならこちらの方はかなり共通だからです。

 

よって、やる気を失うような状況にしないようにすることが、親ができることの中で最も大切なことだと言っても決して言い過ぎではないと思います。

 

では、人がやる気を失うときは、どういう時でしょうか。

 

① かけた時間や労力に対して、見合うとは思えない成果が続くとき。

② あきらかに遅れをとっていて、やるべき量が見えない or やるべき量が多過ぎるとき。

 

これが二大巨頭です。どうでしょうか。確かにって思いませんか?それくらい共通だということです。


ということは、とにかく追いかけるようなことにならないよう、先回りをして手を打っておくこと、これこそが親ができる一番の対策になるわけです。

 

もうね、後塵を拝したら終わりくらいに考える。

 

私たちの子ども時代も言われていましたが、今の子どもたちも私たちの頃と同じかそれ以上、基本的に満たされています。

 

満たされているから、欲しいものに対しての熱量が相対的に上がらない。

 

欲しいものだとしても、そこまでパワーが必要になるならいらないやって思ってしまいがちです。

 

子どもたちは「内容がわからない」とか「やり方がわからない」とか口では言ってくるかもしれません。

 

でも実際には、説明を受けても教科の内容がわからないなんてことは極めて稀ですし、どうやったらいいのかわからないからできない、なんてこともほぼほぼ無いんです。

 

みんなよりできなくなっているという現状に気落ちしてやる気がおきない、巻き返すために必要な時間or量を想像して、だったらいいや、となっているというのが深層心理、やる気がおきない要因の根っこです。

 

だから、親としてできることは、とにかくそうならないように全力を尽くす。

 

なってしまってからでは、時間もお金もよりいっそうかかります。いや、時間とお金をかけて取り戻せればまだいいです。かけても取り戻せないかもしれない。

 

病気と一緒、予防が大切です。

 

高校は大学受験のためにあるわけではない。


よって、大学進学実績は高校選びのための尺度の一つでしかない。


ただし、進学校と名乗っているのなら話は別だろう。


進学校とか、難関大学進学コースとか、そういうネーミングを名乗っているのなら、進学実績は正直にわかりやすく伝えないといけない。


なぜならば言うまでもない、進学を求める保護者や生徒にとって、進学実績はもっとも大きな尺度だからだ。


どういう学力の生徒が入っていて、そして、どういう指導を行なっていて、結果、どういう学力に育っているのか。


それをできる限り正確に知りたい保護者や生徒に対して、


過去◯年間の卒業生の進学先


のように数年の結果を合算することでカサマシするとか、


主な進学先

◯◯大学、△△大学、⬜︎⬜︎大学、その他多数


のようにボヤけさせるとか、


隠そうと考えての苦肉の策なのだろうが、残念ながらそういう姿勢であること自体が、学校側が自らの指導力がなさ、自信のなさを認識している、ということを透けて見せてしまう。


うまいこと隠そうと、騙し騙しやろうと、そういう方法で仮に騙せたとしても、それで選んでくれるのは騙された人だけなのだから、結果として進学校からはより離れていくだろう。


進学校を名乗るのならば、結果を正直に伝えて、その敗因をしっかり分析し、次はこう改善するのとで必ず成功させます!と、真摯に向き合うべきだ。


その姿勢、そして改善された指導内容を見て、期待できると思ってもらえたら、そういう生徒が選んでくれる。仮に1年や2年、実績が良くなくてもだ。


ということで、進学先をボヤけさせ始めた高校を見ると、「終わりの始まりだね」なんて先生たちで話しています。


※ 今日の授業で「後の祭り」という言葉を知っていた中3がほとんどいませんでしたので、タイトルだけを変更しました。



さて、今年の2月に行われた県立入試の開示データが2社から届きました。

 

「1点、1問で合否が分かれたりするんだからね!」

 

こうやって、僕もよく先生に脅されたものです。


とはいえ、内心では「そんなことそうそうあるわけないよね」なんて思ってましたけど。

 

生徒側からすれば、事故に気を付けてね、みたいなあるあるのフレーズだと思うでしょう。

 

でも、実はその確率、事故なんかとは比べようもないくらいに高いんです。

 

毎年、東所沢教室からは20人くらいの生徒が県立高校を受験していますけれど、だいたい1人はいますからね、1問で不合格になってしまうことが。

 

しかもなんと・・・それが今年に限っては、4人ですよ。

 

川越高校を受けた生徒、所沢北高校を受けた生徒、所沢高校を受けた生徒、志木高校を受けた生徒。

 

特に、川越、所沢、志木の3人は本当の本当にあと1点。そして、所沢北の生徒はあと3点でしたから、全員あと1問(1問だいたい3点)を取れていたら受かっていたんです。

 

埼玉県の県立入試は3年間の通知表と当日点(500点満点)の合計で決まりますから、1点差だった生徒は当日点じゃなくたっていい。中1か中2の通知表、たとえば技術家庭科が1つ高かっただけでも合格だったことになります。

 

所沢の生徒にいたっては当日の点数が自己ワースト、過去最低の得点でしたから、それでも1点差ですよ・・・いっそう悔しい!

 

ちょっとしたミス、気をつければ避けられたミス、それが一つもないという生徒は基本いません。ですから、取れたはずの問題が誰にでも数問はあるものです。

 

また埼玉県の入試は記述問題も多いです。どこかの減点をほんの少しでいい、無くせていたら、もうそれだけで合格だったんです。

 

でも・・・今となってはすべてが後の祭り。

 

 

本人もめちゃくちゃ悔しいでしょうけれど、悔しい思いは我々も、保護者の方も同じです。

 

「あの問題、もっと念を押しておけばよかった。」

「あの時、無理やりにでもやらせればよかった」

「だからあんなにも言ったのに・・・」

 

もしかしたら悔しさという意味だけなら本人よりも悔しいかもしれない。

自分でやったことならあきらめもつきますが、そうではないだけに納得なんてなかなかできやしないから。

 

思えば、あの時の先生も同じ気持ちだったかもしれません。

先生なら合否のデータを毎年目にしていたことでしょう。

 

一人でも多くの受験生に、この感情むき出しのブログを読んでもらいたいと思って書きました。

 

確率は、10人に1人くらいだと思っていた方がいい。