小学3年生にもなってくると、同じように育ててきた双子の子どもたちにも、それぞれ嗜好に違いが生まれてきます。
宿題が終われば自由時間。その自由な時間の使い方は、それぞれ違う。
一人は、マンガ。主にコナン。
もう一人は「なんだかチャンネル」とかの動画視聴。
自由なのだから好きに任せてきたし、マンガも動画もそう変わらないかな、と思ってこれまで何も言わずにいました。
で、夏休み中。二人の子どもたちと話す機会は自ずと増えます。
すると、すんごい差が生まれているんです、語彙に。そして知識に。
考えてみれば、たかがマンガでも、されどマンガ。主体的じゃなければ進みません。自分の理解のペースで進めますし、わからない文字は自ずと親に聞きます。
一方で動画。止めたり、巻き戻せば同じかもしれませんが、そんなことしません。勝手に流れていくものを目で追って刺激を受けているだけです。時折、わからない言葉を親に聞いてはきますが、耳で瞬間的に捉えた音声なので、間違っていることも多く、こちらも説明に困ります。こちらが説明に困った顔を見せれば、気を遣ってか、子どもも聞いてこなくなります。
やっぱりタブレットやスマホでの動画視聴は危険だと実感しました。
さらに、耳が空いているかどうかというのも大きいです。
子どもたちの傍らで、僕が録り溜めた国際報道とか歴史探偵とか、知恵泉とかを見ていることもありますし、普通に報道番組をただ流していることもあります。
もちろん子どもたち二人とも興味はありませんから、片方はマンガを読み、片方は動画を見ています。
そうすると、マンガの方には「音」は入っているんですね。
小池都知事とか、バイデン大統領とか、トランプとか、パリオリンピックとか。それが誰か、何かはわかってないんですが、「あ、聞いたことあるわ」ってリアクションがあるのは、マンガを読んでいる方なんです。
さらにさらに言えば、動画って同じようなものをずっと見続けるようにアルゴリズムが組まれていますよね。
最近、これまで以上に知識のない生徒が生まれてきていて、地球が自転しながら公転していることや、世界地図上でアメリカばかりか、日本すら差せないというケースも珍しくはありません。そして、そういう生徒は大抵スマホやタブレットの視聴に多くの時間を割いています。片時もスマホを手放さない。
時代が変われば環境も変わります。しかし、人間の能力は変わりません。明治であれ、昭和であれ、令和であれ、15年間、生きて活動していれば、多少の差はあれども、得ている知識の総量に大きな差はないはずです。
時代は変われど、どの子も、生きて活動している間は知識の水が常に注ぎ込まれるわけで、例えば、15歳の脳のバケツに入っている知識の量は誰しもおよそ1500リットル前後、どんなに差があっても1200~1800リットルの範囲内に収まる、とした時に、アルゴリズムによって偏重された動画を見続けてきた子は、1500リットルの中の内容がかなり偏っているのではないかという仮説です。
若い脳ほど常に新たな知識を求めていますから、どんな子でも起きている間は何かを入れていくだろう。という前提に立てば、あながち外れていないように思います。
ということで、我が家では、今日からタブレットは鍵をかけて見られないようにしました。
ごめんね、未来のキミのためになると思っての親心なの。その代わり、海や山に連れて行ってあげるから。

