親が子どもに望む力、第4位にランキングされる主体性。


保護者が子どもに望む力 2023


主体性は、任せないと育ちません。管理してたらどんどん受け身に育っていきます。


でも、任せて失敗したら取り返しがつかないと思ってしまう。(※そんなことは本当はないんですけれど、そう思ってしまうのが親心)


それでも信じて任せてみる。


けれどやっぱり失敗。しかも、やって失敗ならまだしも、碌にやらずに失敗している(ように親からは見える)。


ふざけんな!💢


だったら、管理する!やらせる!どうせやらないんだろ?やれなかったんだろ?だったら問答無用、まずはとにかく言うことを聞け!


と、なる。


親となってみて、よりいっそうこの気持ちがわかる。めっちゃわかる。わかりまくる。


だって、任せてやらないくらいなら、やらせた方が良いって思ってしまうから。


でも、この苦悩、子どもに見えてますか。ちゃんと伝わっていますか。


子どもからしたら、

「やらなきゃいけないのはわかっている。できると思っている。言われたくない。任せてもらいたい。」と思っているかもしれない。


次はできる!って、思っているかもしれない。


ここで、前述の「子どもを子どもとして捉え直す」です。


大人で、何度も何度も同じ失敗するような人には期待しません。だって変わらないから、大人って。


それで互いにイライラするくらいだったら自分でやった方がいい、と思う。


でも、相手は子どもです。『三日会わざれば刮目して見よ』の年代です。1ヶ月前にできなかったことが、サラっと急にできてたりする年代です。


三日はちょっと短すぎな気がしますが、1ヶ月なら別の人になっているかもしれない。前にできなかったことが、今ならできるかもしれない。そんな年代なんです。


①「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」

②「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」

③「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」


① しっかりやり方を伝えて、させてみる。そしてできていたところは褒める。

② 互いに話し合い、親の気持ちを伝える。また相手の考えに耳を傾け、相手の考えを認めた上で、任せる。

③ 絶対にいつか自分でできるようになると信頼して、目の前のやっている姿を見守る。


これを繰り返していけば、4位の主体性だけじゃなく、1位も2位も3位も、6位も7位も、9位も、個人差はあるにせよ必ず育つことは間違いない!(さすが五十六さん。)


あとは時間的余裕があるかないかだけですよねえーん


でも、大学生になって失敗するくらいなら、高校生の方がまだ良い。


高校生になって失敗するくらいなら、中学生の方がまだ良い。


中学3年生になって失敗するくらいなら、中学2年生の方がまだ良い。


任せなければ主体性は育たない。そして、人間が〝呆れるくらいに痛みで学ぶ生き物”なのだとしたら、ここは山本五十六を信じて、やってみるしかありません。


最初からできたわけじゃなく、失敗を繰り返すことで成長することを、大人は知っているはずです。


そしてまた、今が一番若いということも、私たち大人は知っているはずです。

そもそもですが、


親として、子に望む理想の将来像ってどんなものがあるでしょうか。


ちょっと考えてみました。


① 健康でいてほしい。病気で苦しんでいる姿は見たくない。自分より先に死なないで欲しい。


② 人に恨まれるような人には、絶対になって欲しくない。倫理観のある人であって欲しい。


③ 少なくていい、誰かに大切に思ってもらえる人でいて欲しい。


④ 1人でいいから、結婚したい(健やかなる時も病める時も、生涯を共に歩みたい)と思ってもらえる人になって欲しい。


⑤ 生活に苦しんで欲しくない。人生をそれなりに楽しく生きていて欲しい。


ちなみにこれ、言うまでもないでしょうけど、あくまでも個人的な、かつパッと今思いついたものを羅列しただけのものです。


で、何が言いたいかと言いますと、要はそう育ってくれたら、自分にとっては理想の子育てができたってことなわけですよね。


そう考えると、結果を叱るよりは、イライラする気持ちをグッと抑えて、そこに至った過程を問うことで、ちょっとだけ考えてもらった方がいい。


たとえば嫌いなものを食べたがらないときは、「作ってもらったものを残さない!」よりは、食育と健康について教える機会だと捉えた方がいいし、


宿題をやらずに遊んでいるときには、「宿題、終わってないんだろ。遊んでたらダメだろ!」より、「寝る時間が10時でしょ?今、6時だよね?これからご飯を食べて、お風呂があってって考えたら、さあどこで宿題をやろうか?」って声かけした方がいいし、


60点のテスト用紙を隠してたときも、「こら!そういうカッコ悪いことすんな!」より、笑い飛ばして「さて、できなかったところを一緒にやってみるか」


忘れ物をしたときには、「忘れちゃったらもうどうにもならないんだから、大切なのは忘れる前、忘れても気がつけるようにするにはどうしたらいいだろう?」


のような、声かけの方がいい。


相手は、「言わなくてもわかるでしょ?これまでどうやって生きてきたの?」なんて思ってしまうような大人じゃない。


「三日会わざれば刮目して見よ」と言われる、まだまだわずか数ヶ月で体つきが変わっていくような若者です。


私たち親も人間、いつも悠然と構えていられるわけじゃないですから、時々こうやって相手を子どもとして捉えて直して、子育ての目標を確認しておかないと、ついあれもこれもと、いつままにか求めてしまいがち。


いつのまにか、求めることが天井なく上がっていっちゃうんですよね、親って。


なんて、「何度言ったら直るんだよ!💢」と、息子に感情のまま怒りをぶつけてしまった夜に反省。

自分が学生の頃、「英語ができない」で困った人って多いと思います。

 

なのになぜか、自分の子も「英語ができない」ようにしてしまう。

 

自分が英語に困っていなかったのならわかります。

 

いったいなぜでしょう。英語ができなくなる原因なんて、ほとんど1つしかないのに。

 

 

まず、英語は語学ですので、やれば誰でもできるようになります。その証拠にアメリカ人3億人、みんなできます。ここが他の科目と決定的に異なるところです。ですから、英語ができない理由は100%やらないからです。


※ ちなみに、先天的に単語が書けない、覚えられない人は残念ながら存在します。今回そのケースは除かせてください。

 

ではなぜやらないか、それは単語を覚えるのがめんどくさいから(笑)。しかし、著名な講師、著名な大学教授もみんな似たようなことを言いますが、英語学習の9割、単語です。単語さえできていれば、後はもうほとんどやることはないと言っても言い過ぎではないくらいです。

 

ということは、「英語ができない」にしない方法は、単語をやればいい。単語を覚えること自体はできるとするならば、数をやる、量を増やすめんどくささを軽減すればいいわけです。

 

では、どうすれば軽減されるか。

 

それは、溜めないこと

 

これに尽きます。

 

 

人間、溜まったものを処理することほどめんどくさいことはないでしょう。溜まれば溜まるほど、ヤル気は削がれて、やりたくなくなるものです。

 

それでも、単語を覚えることは自分でやるしかない。こればかりは誰も替わってあげられないわけで、どんな塾、予備校に通おうとも、どれほど評判の良い素晴らしい先生にお願いしようとも、助けてはあげらることはできません。自分でやる以外の方法がないのです。


生徒からすれば「やらなきゃならないのはわかっているよ」ですが、それでもどうしてもヤル気が出てこない。だって溜まってしまっているから。


そして、あーだこーだ自分に言い訳をしてやらずにいる今日もまた、新しく覚えなければならない単語が増えている・・・。

 

もうこうなってくると終了は近い。

 

どんどん溜まっていく、イコール、どんどんヤル気が無くなっていく。にもかかわらず受験日は近づいていく。そして、溜まった単語数を受験日までの残りの日数で割って、その数がその子の許容範囲を超えたとき、そこが終了の日です。

 

みんなこのパターン。

 

ですから、このパターンにさえハマらせなければ「英語ができない」にはなりません。

 

ちなみに、英語が好きになるかはまた別の話です。


教え子の中には、英語がめちゃくちゃできるのに英語が好きではない生徒なんて珍しくないですから。


「単語を覚えるだけで、なんにも楽しくない。理科とか社会、数学のように驚いたり、感動したりがない」


なんて言われます。