毎年恒例、当たらずも八卦のボーダー予想です。


本日2026年2月26日に行われました埼玉県公立高校入試の、あくまでウィルの県立高校受検生、およそ60人の自己採点から予想するボーダーラインです。


なお、ウィルの生徒たちのほとんどは、県内上位16%に当たる偏差値60以上の高校を受検していますので、中学校のレベルではなかなか対応できないという、学校選択英語と学校選択数学を採用している高校のみのボーダー予想であることを予めご了承ください。


さて、まずは各科目の難易度予想です。


 各教科 難易度予想

学校選択の英語と数学は易化したようです。とりわけ数学は例年より高得点の生徒が多いですね。


たとえば川越女子を受検した生徒らの自己採点を見る限り、数学が50点を少し欠けるくらいの生徒が1人いるだけで、他はしっかり取れていましたし、所沢北受検の生徒らも1人を除いては60点を超えていました。


そして私が作った鉄壁のカリキュラムを擁する英語。これは私が作成した独自テキストをちゃんとやっていた生徒は受検校に関わらず、いつものように7割は取れていました。


次に理科。これもかなり取りやすかったようで、多くの生徒が高得点でした。学校選択校だけではなく、学力検査校を受検した生徒を含めても、およそ7割の生徒が得点率8割を超えています。


そして今期の私の担当科目である社会。

4問くらいは「中学生にはなかなか手強いな」という問題がありましたが、その他がいつもよりも簡単でしたので、90以上は減るかもしれませんが、70点以下はほぼいないというようなギュッとした団子状態でしょう。


ウィルの中で、70点に達していない生徒は、学力検査校を含めたすべての生徒の中でも6人だけでしたし、その70点に届かなかったと言っても、わずか数点です。北辰テストで偏差値50くらいの生徒でも70点くらいになるのですから、今期の入試においては、社会で点差はほぼつかなかったと言えます。


国語は、生徒たちの自己採点をアテにしてはいけない科目ですから、あくまでも担当講師のイメージで、例年どおりか、やや難化でしょうか。


ということで、ボーダーラインは例年よりも下がることはなさそうです。


 ボーダーライン予想

最後に、高校別ボーダーラインを予想して今年度を締め括りたいと思います。


浦和高校、大宮高校レベル

410点


浦和一女、川越高校レベル

380点


川越女子レベル

360点


所沢北レベル

340点


所沢レベル

310点


この辺りの点数を取っていれば、通知表がかなり低くない限りは、おそらく大丈夫ではないでしょうか。


 最後に

中学3年生にとってはこれで義務教育が終わります。


まあ、今の世の中、義務教育が終わって社会に出るなんて人はほとんどいなくて、また新たなステージでの学生生活が始まるわけです。


だからこそ今、そのステージに上がる前の今、ぜひ振り返ってみてもらいたい、自分の選択してきた道を。


このボーダー予想を目にした受検生はきっと思うのではないか。


「ああ!あの問題を取れていれば今頃は安心していられたのに!」

「やっぱり苦手から逃げずに英単語やっておくべきだった!」

「もう後1ヶ月早く本気になっていれば!」


悔やむ気持ちは少なからずあるはず。


その気持ちを忘れない。その気持ちが成長のきっかけになるのだから。


「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の言葉があるように、合格してしまったら忘れてしまう。


まさに今、悔やんで悔やんで悔やんで欲しい。

次のステージで輝くために。


だって、そのための、それ以外にはなんの意味もないボーダー予想ですから。

ぜひこちらもお読みください。



 「やれば上手くなる」

成長速度や成長曲線は人それぞれだけれど、「やれば」必ず上手くなっている。

 

自身が求めるだけ上手くなっているかはわからない。しかし、やる前よりは確実に前に進んでいるし、成長している。それは間違いない。信じていい。

 

一方で、

 

 「やらせれば上手くなる」

これには上限がある。

 

人それぞれ上限となる壁は異なるけれど、勉強でも、スポーツでも、おおよそのイメージでいえば、100人いたら30位〜25位くらいだろうか。そこからなかなか上がっていかなくなる。

 

 それで良ければ、やらせるもアリ。それ以上を求めるなら、やらせるは悪手

「やらせる」はどうしたってネガティブな感情を作り出す。当然、やらされている時間以外は心理的に避けようとする。

 

それでも、やらないよりはずっとマシだから、やらせる指導者の腕にもよるけれども、ある程度までにはなる。でも、必ず壁が立ち塞がってくる。

 

「やらせる」と「やる」の違いは主体性

片や、たとえ「しょうがない」というネガティブな感情からのスタートであったとしても、自分事に捉えての行動なら、そこに多かれ少なかれ主体性が生まれる。

 

主体性が生まれれば、なぜできないのか、どうやったら上手くいくか、どうやった楽になるか、どうやったら効率が上がるか、やっている間だけではなく、やっていない間も考える。

 

この勉強している時間以外の時間が大きな差を生む、なんてことは、なにも勉強だけじゃない、スポーツでも、仕事でもなんでも同じ。これがいわゆる「意識の差」というやつ。

 

 きっかけは「やらせる」でもいい。

いや、むしろそれが普通。親が何もせずとも、社会が求めるものに自然と興味を持ってくれて、勝手に夢中になって、勝手に努力するなんてことは、無いとは言わないが奇跡に近い。

 

きっかけは「やらせる」でいい。ただ、スタートはそうであっても、どこで手を離すべきか常に考えておかないと、ついついやらせることに慣れてしまって、手を離せなくなってしまう。

 

やらせることに慣れ、やらされることに慣れる。

 

これが最悪のパターン。互いが互いのことを大切に思うほどに、互いにつらく、いつしか互いの心を削り合ってしまう。

 

親、先生、コーチ、上司、すべてに言える落とし穴。オールを持って漕ぐのはあくまでも相手であって、いつまでもそばで一緒に漕いであげていたら、いつまで経っても漕げるようにはならないし、この船の行き先が自分次第なんだという責任感も育たない。

 

 

 

つくづく他人ができることは限られると思う。「先生のおかげで変われた」なんて言われても勘違いしちゃいけない。本人以外の人にできることなんて、思考の癖に気づかせたり、思考の種を植えたり、所詮はきっかけ作りしかできない。あくまでも選択しているのは相手で、がんばるのも相手。周りにできることはそばにいることだけ。


「先生のおかげです」なんて言われると、正直嬉しいけれど、「いや、違うよ。もし僕に人を変える力があるのなら、他の人たちも変えられるはずだし、なんなら世の中だって変えられちゃうじゃん。そうじゃない。すべてはキミの決断と努力だよ」と本心から思う。

 

もし相手を自分の思うようにコントロールしようとしてしまったら、それはもはや教育ではなくて、マインドコントロール。れっきとした人権侵害です。

 

 ちょっと話は変わりますが、

勉強にもスポーツでいう運動神経のようなものがあると思っています。やはりプロになるとか、全国制覇するとか、世界レベルでやるとか、そういうレベルになるには、それなりの運動神経が求められると思う。

 

でも、全国に出るとか、ましてや県大会に出るくらいなら、中学生レベルだったら誰でも可能です。そんなに特別な練習、無茶苦茶な練習などしなくても、やるべきことをちゃんとやるだけでいけます。これは勉強も同じです。

 

実際に知っている範囲で、教え子や教え子の友人たちの中には、偏差値50とか、55とかの高校から早慶とか結構いますからね。MARCHならその10倍は余裕でいる。

 

いや、そういう人は中学時代に努力してなかっただけで最初から才能あったんじゃないですか?

 

そんなことはない。才能あったら中学レベルの定期テストなんかで250点とかにならないですよ(笑)

 

でも高校に行って、何がきっかけかはわからないですけれど、周りが引くくらいにめちゃくちゃ頑張るようになって、そうしたら早稲田に受かりましたからね。確かに、あくまでも意外に多いというだけで、そんな生徒は何百人も知っているわけではないですが、少なくとも「たまたま」とは言えないくらいの人数は知っています。

 

やればできるは間違いない。誰だってやればできる。だからどうか行きたい気持ちを過去の経験なんかで諦めないで欲しい。

 

過去にはできなかったかもしれない。でも過去の積み重ねで今がある。今のキミは過去のキミとは違うところにいるんだから。


 


「勉強しなさい」が「スマイルゼミしなさい」に変わるだけじゃん。

 

 

 

機械は道具でしかないのだから、今まで使っていた道具より良いか良くないか、合うか合わないかってことであって、使っていなかった人からしたら、手に入れた最初こそ興味はあっても、なんだかんだで、どれも同じだったりする。

 

ChatGPTより、Geminiがいいよ、とかいや、Copilotだとか、いやいやClaudeだとか言われても、結局よくわかっていないから、全然使えてないもの。