夢と妄想の違い、で検索してみました。
 
今とは違う姿、そこへの可能性を夢み、それを実現するため体を動かせる人は夢みる人で、違う姿への憧れはあるが、日常を離れることのできないでいる人を妄想家と言う。なるほど。
 

 

 

夢と妄想の違いは、

① 時間軸(期限)を定めているか否か、② 夢(目的)を実現するために、適切な目標(ステップ)が設定されているか否か、③ 実現に向けての具体的行動をしているか否か、だそうです。

 

例えば、ただ「お金持ちになりたいな」と思っただけなら妄想。そのためにいつまでに何をしていけばいいのかを考え、行動し始めたら夢ってことですね。

 

では、適切な目標はどうやって設定したらいいのでしょうか。

 

これについては素晴らしい動画や記事がありました。

 

やったことがない人は「できない理由」を教えてくれるんだけど、やったことがある人は「どうやったらできるか」を教えてくれる

 

 

 


そして、適切な目標、どうやったら実現できるのかがわかったら、後はこれです。



教えてもらった実現する方法を、とりあえず「やる」。1週間だけでもいいから「やる」。やってみる。


もし、それもできないとしたら、それはきっと他のやりたいことがあるんでしょう。


当たり前ですが、やる意思というものは相対的なものです。他にしたいことがあれば優先されちゃいます。


ですから僕みたいないわゆる凡人は、叶えたいものがある時は、それに類するもので周りをあえて固めていくしかないような気がします。


そして頭の中に、達成して満足している、成長した数時間後の自分の未来をイメージする。ドラマように自分を鼓舞するBGMでも流しながら。



さて、ここからは勉強の話になります。


ウィルには、キミたちの志望を実現させられる「どうやったら実現できるか(ノウハウ)」があります。そしてそのノウハウは誰でもできるレベルの、決して難しくないほんのちょっとのことばかりです。


もし中学1年生から、それをやってくれるのなら、川越高校、少なくとも所沢北高校くらいは必ず実現します。


そして中学3年生の、たとえ今からでも、かつ今がオール3だとしても、ここからの7ヶ月をもしそのノウハウどおりにやってくれたら、偏差値60くらいは超えられます。


実際に何人も過去にいます。だから可能です。


ただ、それもやってくれればの話です。


キミがやらずに、周りががんばっても、キミが成長することはないじゃない。勉強だけじゃない。スポーツだって、ダイエットだって、キミが成長するためにはキミがやらないと。


妄想じゃなく、夢にしよう。




前回のブログの続きです。


勉強ができるようになる王道は、


まず溜めないこと。


溜めても後でやれればいいんですけれど、効率が悪いんですよね。時間と労力、精神力が余計にかかっちゃう。


というのも、溜めると今やっている授業から受け取れる情報が少なくなりますから、徐々にわからなくなっていきます。


焦って追いつこうとするので、オーバーワーク、オーバーペースになりがちで、そうなるとどうしても忘れやすくなる。たくさん頑張ったのに結構忘れてしまっている、そんな自分に、だんだんヤル気も削られていきます。


逆に溜めずにやれれば、今に余裕が生まれます。すると楽しめるんですよ、少なからず。


楽しい、おもしろい!という感情って、心に余裕がないと生まれないです。「やらされている」とか「やらなきゃならない」という状態ではなかなか楽しめない。そして、楽しさがあれば効率も上がっていきます。


次に、手順を端折らないこと。


家を建てるみたいなイメージで、順番を変えても問題ないところもありますが、変えると余計な手間がかかったり、後でやり直しをしないといけなくなったりするところが出てきたりします。変えちゃいけないところ、変えたりしたら、後で積み上がらなくなって先に進まないとか、最悪、崩れ落ちてしまったりするところすらあります。


やっぱり教科書や参考書の順番って意味あるんですよ。意味なくテキトーに並べているわけない。


日本を代表する教科書発行会社が何年も時間をかけて作成したものを、文部科学省の教科書書記官と呼ばれる方々が審査して、クリアしたものを、学校の先生や塾の先生なんかのレベルじゃない、はるか雲の上の研究者たちの組織、教科書図書検定調査審議会がチェックするんです。


素直にあの順番で積み上げて行くのがベストです。「出る順」とかは演習でするものであって、あれからスタートしちゃいけません。


この二つ、たったこの二つを自分でやれるなら塾や家庭教師はいらないです。覚えるべきことをその日に出た分だけでいいから覚えて、教科書の順番で行われる学校の授業を一つ一つ理解していく。もし授業を聞いても、教科書を読んでもわからなければ、その日のうちに先生に聞いて理解すればいいだけ。


でも、もし自分でやれないなら、こういったことを、寄り添って、一緒にやってくれる誰かを付ける。できるだけ溜まる前に。できるだけわからなくなる前に。


紀元前から世界中で行われてきたシステムです。

できるようになる方法。
うまくいく方法。

これはおそらくずーっと言われてきたことで、かつ、これからもうずーっと変わらないことなのでしょう。

にもかかわらず、勉強のノウハウ本は毎年何十冊も出版されている。

私もたまに本屋でパラパラめくってみますが、書かれていることはずーっと変わってません。

つまり勉強ができるようになる方法なんてものは、一つか二つか、そのくらいしかなくて、そしてその方法はもう世間で周知のことばかりなんです。

にもかかわらず、こんな本が毎年何冊も出版されているってことは、わかっていても、その道を歩むことができない人がいかに多いかということなんでしょう。

わかっちゃいるけど、できない。
楽してできる方法はないか。
今からでもチャチャっとできる方法はないか。

そういう人たちの心の隙間にスルッと入っていって、うまく騙くらかして儲けよう。

そんな人たちが、勉強の本質はそのままに、かつ、あたかも簡単にできるかのように、表現の仕方だけを巧みに変えて、ずーっと出版し続けているんでしょう。

かくいう自分も高校生の頃…

恥ずかしながら英単語を覚えることをサボってしまって、あっという間に英文が読めなくなってしまったことがあります。

先生や友人に相談しても、とにかく言われるのは「語彙力が足りない。」「語彙を増やすべき」。

わかっちゃいるけど、覚えなきゃならない英単語の数があまりにも多すぎる、どうにか楽してできる方法はないかと、本屋で探しまくったことがあります。

あの頃、もしネットがあれば、そんなことあるはずないだろ、ボケ!ってことがすぐにわかったものですが、90年代、もっとも信頼できる情報といえば本一択でしたから、背表紙に書かれた「中学レベルの語彙力でセンター英語は解ける」だとか、「センター英語は1000語で解ける」みたいなワードになんだ、楽な方法があるんじゃない!」なんて心躍らせ、買っては読みまくったものです。

…あの時間、マジで返して欲しい笑い泣き

語彙なくして、言語が読めるわけないじゃん。
っていうか、言語なんてむしろ語彙がほぼすべてじゃんか。

つまるところ確実にうまくいく「王道」はみんなわかりきっていて、でも、その「王道」をやれない。やりたくない。

だからどうしても先延ばしになっていって、期限となる入試日はどんどん減っていって、やむなくヤマをはってダメ元で賭けにでるしかなくなる。

始末が悪いことに、その賭けに運良くたまたま勝てる人が何割いるかわからないけれど、何割かはいて、その人の声ばかりが甘言として知れ渡っていく…。

他の人がコツコツ積み上げていっているのに、それをしないで楽に進める近道なんてあるはずない。あったらみんなやってる。広まってる。

他の人がコツコツ積み上げていっているのに、自分だけが楽にうまくいく方法を見つけられると思ってしまう思考は、気持ちわかるけれど、変えていかないと大人になって騙されちゃうよ。