美しきミッシェル・ヨーが、マルチバース世界を縦横無尽に駆け巡る、シッチャカメッチャカな映画。
全編に張り巡らされる比喩や暗喩や引用や(やや)尾籠なギャグに圧倒されるうちに、映画の世界に没入していく感覚を覚えた。ただ、その中に、ほんのすこーし、家族の愛の隠し味があり、それがこの映画をギリギリのところで、トンデモ映画から踏み止まらしている。
しかし、この映画がアカデミー作品賞筆頭候補とは!なんだかなと思わないではない。

唯一断言できるのは、「インディジョーンズ 魔宮の伝説」のショートラウンドが懐かしい、キー・ホイ・クワンが、アカデミー助演男優賞を取るということ!これは、間違いない。




2017年、世界中の「#MeToo運動」に火をつけた1つの記事が世に出るまでの、二人のニューヨークタイムズ紙記者の徹底した調査報道の過程を描く。

そもそも僕は、「大統領の陰謀」を観て本気で新聞記者になろうと思ってた頃から、「新聞記者もの」が大好きで、近時の「スポットライト 世紀のスクープ」や、スピルバーグの「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」などもそれぞれ良かった。

そして本作。

まだ記憶に新しい(何だったらまだ本人の裁判も続いている)ハリウッドの辣腕映画プロデューサー・ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ・性的暴行事件を、当のハリウッドが映画化。
数々の障害を乗り越えてワインスタインを追求する二人の記者の私生活(家に帰ればまだ幼い子供の母親である)もしっかり描くことで、彼女たちがこの問題にそこまでして取り組むモチベーションが伝わってくる。それは、社会のシステム自体が性加害者を守っているということ。そのシステム自体を変えなければ、いつか自分の子供らも被害者となりかねない。その切実な危機感が彼女らを突き動かしていく。

二人が真実に一歩ずつ近づいていく過程は、淡々と描かれているが故に非常にリアルだ。それを支えるタイムズ紙の上司や記者たちの真摯な姿勢にも胸を打たれる。中でも、女性の編集主幹を演じたパトリシア・クラークソンが、上品だが権力に一歩も引かない上司を巧みに演じていた(どこかで観たことある人だな、と思って調べたら「アンタッチャブル」で、ケビンコスナー演じるエリオットネスを支える奥さん役を演じた人だった!)

最初の記事を発信するまでで映画は幕を閉じる。その後何が起こったかは、殊にアメリカ人であれば誰もが承知しているところで、非常に鮮やかな幕切れだと思った。

ああしかし、、

ワインスタインが製作した映画群は、好きな映画も多い(『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』『恋におちたシェイクスピア』『ロード・オブ・ザ・リング』『英国王のスピーチ』etc)その裏でこんな悲惨な出来事があったなんで、なんとも居た堪れない気分になるなあ。。



韓国映画の大作は、古くは「シュリ」「JSA」、近くは「白頭山大噴火」と、ジャンルは様々なれど、バックボーンに北との関係性が横たわり、それが物語に得も言われぬ深みを与えている。日本映画の大作と比較するとき、世界公開を視野に入れたお金の掛け方とか、激しくメリハリの効いたストーリー構築の上手さとか、いろいろと差を感じるのだが、一方「国情」をストーリーに加えて深みを与えれるのは、正直「羨まし」くも思ったりしていた(無論、実際の社会では全く羨むような状況にはないわけだし、韓国の人に言ったら怒られるだろうが)。

しかし、今回の「非常宣言」には、そのような国情のバックボーンはない。それでもこの面白さと深み。恐れ入るしかない。堂々たるパニック大作である。導入から緊張の糸が緩むことなく、しかも韓国映画らしい情感にも満ち溢れている。
ソン・ガンホとイ・ビョンホンという、もはや韓国内だけでなく、世界的トップスターをツートップに据えて、それぞれが地上と上空に分かれてバイオテロと戦うという構成も含め、脇役に至るまで描写が行き届いている(個人的には、パニック状態の機内で、恐怖に押し潰されそうになりながらも、チーフパーサーとしての職責を果たそうと努めるキム・ソジンの凛とした佇まいに♡)。
緊張と興奮のフライトを終えたあとの、静かな余韻を湛えるラストも素晴らしい。






「ケイコ 目を澄ませて」


主演の岸井ゆきのが、圧倒的存在感で主人公ケイコを演じ切る。生半可な取り組みでは、あのリアルさは出せないだろう。その演技を見るだけでも価値がある。


ケイコは、生まれつきの聾者だ。

ホテルの清掃の仕事をしながら、場末の古びた(日本で一番古いらしい)ボクシングジムに毎日通っている。

ジムのオーナーは、父親からジムの経営を引き継ぎ、以来ジムで選手を育てるのを生き甲斐にしてきたが、よる歳並みには勝てず、ジムを畳もうかと思っている。しかし、彼の気掛かりは、ケイコだ。聾者でありながら、天性の素質と、根気強い努力でプロテストにも合格したケイコは、他のジムでは練習もさせてもらえない。聾者にとって、ボクシングは危険過ぎる競技だからだ。

ケイコ自身も迷っている。いつまでボクシングを続けるのか。続ける意味はどこにあるのか。


しかし、彼女自身気づいているかは分からないが、ボクシングをしている時のケイコは、輝いている。「痛いのは嫌いです」と筆談でコーチに訴えていても、いざグローブをはめてミット打ちを始めれば、彼女の瞳はいきいきと輝いていく。軽快なミット打ちの音が、彼女の鼓動とシンクロする時、確実に彼女の生が光を放つ。その光は、周りの人の生にも、輝きを与える。


映画は、そんなケイコと周囲の人たちの営みを、淡々と描き出す。特にドラマティックなことは何も起こらない。時々挟まれる街の風景の描写、佇むケイコをロングショットで捉える描写は、ケイコのストーリーが観ている私たちの世界と地続きだと感じさせる。


結局、身体を壊し、倒れたオーナーは、ジムの閉鎖を余儀なくされる。

ケイコは、ジムに所属する最後の試合で、苦い敗北を期す。


しかし、ケイコのひたむきな生は、敗北でさえも輝きに変える。そして、その輝きは、それを見る周囲の人たちの、さらにはそれを観る私たちの生も照らしていく。

情感を湛えた幕切れが、そんな深い余韻を残す。









裁判員裁判がひと段落して、頑張った自分へのご褒美に。


「THE FOG」
4K上映で甦る、ジョン・カーペンターのone of masterpiece
1980年公開時(当時16歳!)に劇場で観て以来。と言うことは42年ぶりに再見ということになるが、やはり面白い!
上映時間99分。極限まで刈り込んだ編集、今や誰もが模倣しているが、当時は斬新だった"突然のショックシーン"のインパクト、何かが潜む霧が海から街に迫ってくるのを俯瞰で捉えたショットの素晴らしさ。どこを取っても傑作。監督自らが手掛ける音楽も、聴くだけでカーペンター映画とわかる。
そう言えば、当時親友Yと映画館で観た時、主人公たちが乗った車が立ち往生する中、霧が迫りくるシーンで、場内で悲鳴(それもかなり本気のやつ)があがった。後にも先にも、日本の映画館であそこまで声が出たのはこの映画だけだった。