wilkinson
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アトピーとは

半年前ぐらいから幼少時代に持っていたアトピーが復活しました。

て言っても薬さえ塗っていれば確認できないぐらいの。

皮膚科に行ってみると、体質なんでもう治りませんね~みたいな感じ。


そうなのかと思って、じゃあもうアトピーがあることに不満を嘆いても仕方ないから、アトピーがあることを前提にいかに楽しく生きるかを考えなきゃなという結論に達した。

そんでもって、これって体質だけじゃなくて精神面でもそのまま当てはまるよなーと思った。


どうしても嫌な出来事、悲しい出来事があって、それはこれから生きていく上でずっと心に残ってしまうもので、でもそれを嘆いてたらキリがないっていう。それはアトピーみたいなもので、それがあることを前提にどう楽しく生きていくことを考えなきゃいけないなー。

と思っていたのが先週まで。

最近何かの拍子にふと、その考えはちょっと間違ってたんじゃないか、正確に言うと、間違いではないけれどもっと良い考え方があるんじゃないかと思った。


アトピーはなくならないと諦めた時点でアトピーは一生なくならないのではないか。

最後の最後まで希望を持って闘うべきなのでないか。

ランスアームストロングだって癌が完治したし、

早速最近新しいアトピーの薬ができそうとニュースやってたし、

そうでなくても乾燥防ぐためのビタミン取ったりまだまだやれることはたくさんあるし

体質だってこれから変わらないとは限らない。

ということで今は完治させることを目標としています。

それと一緒で心だって、どんなに嫌なことも悲しいこともなくならないと諦めてしまった時点でなくならないわけで、最後まで乗り越えられるように頑張ってみようと思いました。

さぁ、今からまた横浜で闘って来よう。

願うのではない。信じるのだ。

「ひとを批判したいような気持ちが起きた場合にはだな、この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ。」

江古田とは

ちょっと前に発売した東京通本に載っていた『江古田ちゃん』の作者の江古田論が面白い。

「江古田は終着点ではない。通過点の街だ。」

なるほど。曰く、江古田は下北や高円寺ほどポピュラーではないし、人情味があるわけでもなく、有名人も有名な店もない。みんな無名で、全てが“ほどほど”である。ただそんな“ほどほど”だからこそ居心地の良さを感じる人がいる。江古田のある西武池袋線だって、中央線や小田急線のほうがかっこいい。いや、東急東横線や田園都市線はもっとかっこいい。江古田はあくまでそれまでの通過点なのである、っていう話。

たしかに、東京通本にも載っているantique oddやFouesieは、代官山らへんにあるお店に勝るとも劣らないほどおしゃれであり品も良い。半年前にうちの向かいの隣にできた「きこころ」は、おしゃれな植木や和雑貨を扱ってて、かなり良い。が、江古田に出した理由は「本当は恵比寿とかおしゃれな街がよかったけど家賃が安いし」という理由がほとんど。江古田は夢への通過点のようである。あのYUKIも売れてなかった時代は江古田の八百屋の二階に住んでいたという。

そんな江古田もそろそろ開発の手が…。自分にもう少し余力があれば反対運動とかしたんだけどなあ。

あっちの世界とは

先日、早稲田大学で『降りてゆく生き方』という映画を見た。主人公である武田鉄也が、お金のために始めた地方再生を進めていくうちに、すっかり生き方が変わってお金なんていらない生き方に変わっていってしまうというまあある意味では予想通りの展開だったが、その中でこんな台詞があった。

「なんだか、死ぬのが楽しみになってきた。」

この考え方って凄いと思うなぁ。きっと彼は死ぬ瞬間、幸せそうに死ぬであろう。どんな人生を生きたにしろ、死ぬ瞬間に後悔を感じて死ぬか、笑って死ぬかが、人生そのものを決定づけると思う。

戦後アメリカ型の生き方が浸透してきて、すっかり「成功すること=幸せ」のような価値観が生まれてきた。しかし、そもそも昔は「成功」なんて概念自体がなかった。最低限生きていければそれでよかったから。そして、今のような経済成長が減速している社会では「成功者」自体がどんどん減ってきている。そんな中で成功を求め一喜一憂する、それは果たして幸せに繋がるだろうか。

結局、成功しようがしまいが幸せな人は幸せだし不幸せな人は不幸せなのである。

まあだからといって成功を目指すことがいけないと言っているわけではない。個人的には特に成功を目指していないけど、常に闘っていたいと思っている。五十代、六十代になっても、いつまでも自分の信念を持って闘って生きれる人、そんな男になりたい。

最近つくづく思うのが、人はこの世界で生きているようで実はもう一つの世界に生きているということ。この世界で何をしようが、何を得ようが、結局それに対してどう思うか、何を感じるかは自分自身の気持ちの問題であり、あっちの世界の話なのである。

そしてあっちの世界でどう生きるかが死ぬときにどう思って死ぬかも決定づける。さらに言えば、あっちの世界とこっちの世界は決して無関係ではなく、あっちの世界でどう生きているかがこっちの世界にも影響を与えている。良い心を持った人には良い人が集まるし、そういう人はきっと幸せに死ぬ。

なんだか宗教じみてしまった。

まあ要するに言いたいことは、久しぶりに愛犬のお墓参りでも行かなきゃなということ。すこやかに、おだやかに、しなやかに生きたいということ。

インドで出会った青年が、目の前に広がる圧倒的なガンジス川を眺めてぼーっとしてるときにこんな台詞を言っていた。そのときは、よくもまあこのシチュエーションにぴったりなベタな台詞を言うなぁとひねくれて考えたものだけど、今でも心に残っている。

「人間、死んでしまえばあの世には名誉も地位もお金もなんにも持っていけないんだよ。」
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