wiggin's truth -70ページ目

過ぎたるは及ばざるが如し

 
過ぎたるは及ばざるが如し
ってのはさ、

鼻毛は大事なモンだけど、
伸び過ぎたらみっともねーから切れよ。
でも、調子に乗って切り過ぎると風邪ひくぜ?

ってことだろ。
そうに決まってる。
 

 

雉も鳴かずば撃たれまい

 
// 雉もなかずば撃たれまい //
ってのは真実に属すると思うが、
勘違いしてもらっちゃ困るのは、
鳴く「以前」に、
「己がキジである」という自覚の部分が大事なのではないか?
ということ。

雉という存在が、雉の声で鳴くからこそ撃たれるのであって、
獅子が獅子らしく吼えたからといって、そうそう撃たれはしないのだ。

撃たれるおそれのある存在が、
わざわざ「撃たれて然るべき」状況を自ら作り出すこと。

あなたが獅子であるならば、思う存分吼えたらいいじゃないか。
撃とうとする者がいたら、逆に狩ってやればいい。

あなたが雉であるならば、鳴き声なんぞ上げたりせずに
生き延びることに粛々と専念した方がいいのではないか?

雉の自覚が無いからこそ、不用意に鳴いて、
結果、撃たれるのだ。

撃つ方はね、「雉を探し求めている」のだよ。
雉が鳴くのを待ち構えているのだ。

雉が雉らしく振る舞うのは「正直」というものだろうが、
早死にしたくないのなら、正直は後回しにしといた方がいいと思うんだよ。
 
冗談ではなくてね。





 

自分のものは自由にしてよい

所有すること、または生むこと
イコール
生殺与奪を自在に行使出来る権利を持つ、
ってことでは「無い」。

まぁ「そこには命がある」と云うことを認識せずに
生んだり所有したり、なんてことをすれば、
そりゃ平気で殺すだろう。消し去ってしまえるのだろう。

かたや殺しに手を染めながら
愛やら命の尊さやらを
空想世界の物語風に
または光学顕微鏡で覗いた世界のように語られると、
失笑と云うよりは、ひたすら気持ち悪くなる。

自由についても同様だ。
自由について、いくら論理的なアプローチをしてみたところで
殺しは決して正当化されはしない。
そして他人の目の前に突き付けたものをイキナリ消滅させる行為は、
所有権云々の問題なんぞでは無いし、
もちろん「自由」なんて詭弁では済ませられるものでもない。
発生させたものには命があるのだ。

って、
広げるつもりもないので、筆を置こう。

まぁ、こんな未完成な代物でも
命であることにかわりはない。
 
 
// Android携帯からの投稿 //

まさよしではない

「個人的な真実」ってのは絶対に存在しないが、
正義ってやつは基本的に個人的なものだ。
または特定の集団の暴力的イデオロギー。

帰納的に断ずるならば、
正義と真実は同義にならないということ。

正義なんて、マジでクソだぜ?
 
 
 

存在

基本的には、
存在ってやつには「意義」があるべきだとは思うが、
意義を見出す前に、「取り敢えずカタチだけでも」ってのを否定しない。

「何もなくなる」よりはカタチだけでもあったほうが良い。
とっかかりさえあれば、そこから何かが生まれることも往々にしてある。
何も無ければ何も生まれない。

強く意義を求める俺だけど、
カタチやルーチンにホっとすることもあるんだよ。

ああ、小腹が減ったよ(´∀`)