自分のものは自由にしてよい | wiggin's truth

自分のものは自由にしてよい

所有すること、または生むこと
イコール
生殺与奪を自在に行使出来る権利を持つ、
ってことでは「無い」。

まぁ「そこには命がある」と云うことを認識せずに
生んだり所有したり、なんてことをすれば、
そりゃ平気で殺すだろう。消し去ってしまえるのだろう。

かたや殺しに手を染めながら
愛やら命の尊さやらを
空想世界の物語風に
または光学顕微鏡で覗いた世界のように語られると、
失笑と云うよりは、ひたすら気持ち悪くなる。

自由についても同様だ。
自由について、いくら論理的なアプローチをしてみたところで
殺しは決して正当化されはしない。
そして他人の目の前に突き付けたものをイキナリ消滅させる行為は、
所有権云々の問題なんぞでは無いし、
もちろん「自由」なんて詭弁では済ませられるものでもない。
発生させたものには命があるのだ。

って、
広げるつもりもないので、筆を置こう。

まぁ、こんな未完成な代物でも
命であることにかわりはない。
 
 
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