wiggin's truth -106ページ目

清貧のススメ


清貧であることと 無欲 ってのは関係無い。

清貧というのは、
// あれこれと余計なものまで求めない //
というだけで、手にしているものに関しては
逆に 貪欲 とさえ言えるかもしれん。
何かを必要とする力が弱い訳では、決して無い。

必要不可欠なもののみ手にするから
余計なアレコレに惑わされず、
心を向ける対象が少なくて済むから
集中が利くし、結果、ブレにくい。
要点を外さず、身軽でいられる。

シンプルであるが故、
逆にどんなカタチにも転身出来る余地を持つ。

無駄なことをしないということは
力を撓める余裕を持てるということだ。

逆に言えば、追い込まれてる人間は
清貧にはなれない、ということだな。
己の意志で、
無駄に持っているものをそぎ落としてこそ、なので。

初めから何も持ち合せていない人間ってのは
単なる 貧乏 であって
概ね、深さよりも広さを求めてしまうものだ。
手にしたものを最大限に利用せず、次から次へと欲しがる。
彼らは「明確な何か」を欲する訳ではない。
// 欲することを欲する //のだ。

俺は、貧しくなりたくはない ので清貧を志す。

それほど、失敗しちゃいない筈だ。
たぶんね。





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白昼夢


その日の白昼。
俺の胸に舞い降りた実体のない何か。

実体がないのは始めからわかっていたが
それ以上に感じた 違和感のようなもの。

いま思えば、
その何かには 色が無かった。

あると思い込んでかき抱いたのだが
その時点で 既に色が欠けていたのだ。

俺の身勝手な思い込みに
俺の感覚器は、
真っ赤に点滅しながら異を唱えていた。
「わからないのか?」と。


感覚よりも、意志を尊重した。


その日、俺がこの腕にかき抱いたのは
たちの悪い 白昼夢。
とりわけ愚かな 色のない白昼夢。






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撒き餌


ここだったかどうかは定かではないが、
過去にも書いた覚えがある。

関わる相手が「何を欲するか」よりも
「忌避するものは何か」を察する方が重要である、と。

そうね。
食べたいものを饗されるのはもちろん嬉しいのだけど
食べられないものを出されるのは決定的に凹むだろ?

たとえ、その食べられないものの隣に
大好物が並んでいたとしても
その夕げは台無しになるのさ。
取り繕うかどうかは別として、本心はね。

好物を知りたがる前に
食えないものを知っておく方がいい。

あぁ、俺は
食に関しては偏りは無いけどね。

さて、今夜はなにを食おうかね (゚∀゚)








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2011/10/13 13:25

なんだこの機能わ。


ギッ○リ腰


ぼくが重い腰を上げると
だいたい よくないことがおきる。

ぼくの腰が重たいのは
よくないことがおきないための
ヒューマンインターフェイス。

きっと
じめんとおしりのあいだに
よくないことが はさまっているんだね。

ぼくの重い腰の中には
自明の理 が ギッシリ詰まってるんだよ。

ホントに ギッシリと ね。










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